国内問題

 憲法・国防

昭和21年11月3日公布、翌年5月3日施行された現行憲法。

憲法は最高法規で有り、根本規範であらねばならない。

その国の歴史・伝統・文化そして国民精神の上に立ち上げられたものでなければならない。

しかも、建国以来の国柄を盛り込み、未来への理想をも描き、理念化したものでなければならない。

これらなくして国民の拠り所となり得ず。

現行憲法は、占領下、明らかに歴史の分断を狙って押し付けられたもの。その意図は、強靭であった日本精神の弱体化を狙ったもの。二度と自分らに歯向かわせないがための連合国の思惑がある。

「平和憲法」が、戦争抑止力になり得るはずがなく、侵略を企てる国にとってみれば、その国がどのような憲法を持っていようが関係ない。今の日本のごとく「平和憲法」が侵略の盾になり得るとの甘い考えから、国防努力を怠る現実こそが侵略を誘う。

現行憲法は、第九条において交戦権の否認と戦力不保持を明記する。素直に読めば自衛隊違憲論が出て当然。政府見解は「自衛権は独立国固有の権利であり、憲法もこれを否定していない。自衛のための必要最小限の武力行使は認められる」との解釈。

安全保障の要が、違憲・合憲と揺れ動いていては国の安全も憲法の威信も保てまい。

国民が自衛隊に望むものは、まさか災害復旧だけではあるまい。国の緊急事態における最大の効果。しかも最小のコスト、リスクによる最大の効果であろう。

だが、現状では制約が多すぎる。緊急時といえども、自衛隊車両は赤信号を無視できない。陣地の構築にも地主、役所の許可なしでは出来ない。破壊された橋、道路の修復も勝手に出来ない。ないないずくしである。

それ以前の問題として、侵略者発見から内閣が防衛出動を命じるまで、どれだけの時間を費やすことやら、自衛隊出動までに我が国が壊滅的被害を受けるであろう。 

ようやくにして有事法制国会通過となったが、ほんの第一歩。

先に論ずべきは、確固たる国防体制であろう。不毛の国防論議はやめ、憲法九条の呪縛から自衛隊を解き放つことこそ急務である。

日本有事に際し、同盟国としてアメリカは敵に当たってくれるであろう。だが、それはアメリカの国益のため、日本の国益は二の次であることを自覚せねばならない。

55年体制といわれる昭和30年の保守合同、自由民主党の誕生は、憲法改正のための国民投票発議に必要な3分の2以上の議席確保の為だったはず。

それがいつの間にやら憲法改正の看板も下ろし、知らん顔。憲法改正を「パンドラの箱」と思い込み、開けることが怖い。政権が不安定になる、己らの身が危ないということであろうが、思い違いも甚だしい。

機は熟している。最早、憲法改正を望むは大多数の声。今こそ国民へ憲法改正を訴えるべき時。「さすが自民党」の歓喜の声で、支持率倍増が見えぬのか。「党はあっても国はなし」の汚名を雪げ。

 

歴史観

広島県尾道市の民間出身校長の自殺事件。根底には組合加盟教師との対立があった。

行事での国旗・国歌の取り扱いで対立。卒業証書の元号表記の対立。掲げて当然、唱って当たり前の国旗・国歌を問題とせねばならぬこと自体がおかしい。

「戦争に日の丸を掲げた」 シンボルとして当然。どの国もしかり。簡潔にして美しい。

「君が代は天皇賛美だ」 天皇の歴史はそのまま日本の歴史であり、125代に亘って連綿と続いて来たことこそ日本の真髄。天皇否定は日本人否定である。天皇賛美、大いに結構。厳か、かつ平和的で国歌にふさわしい。他国の国歌を見られよ。戦闘的、血なまぐさいそれの何と多いことか。

直立不動で国旗掲揚、国歌斉唱は「形の文化」であり、押し付けで構わない。子供の自主性やら権利は、基本を身につけての上でのこと。未熟な子供らへの最低限の常識、躾は押し付けてでも教えるべし。

自国の国旗・国歌に敬意をはらえぬ者が、外国において出来るわけなし。日本の若者が各国で失笑をかっていることを重く受け止めねばならない。

国旗・国歌同様、国際常識に反して、日本のみ、蔑ろにしているのが「殉国の英霊」である。

世界各国は自国のために犠牲となった戦没者に対しては、各国の宗教・習俗・伝統に則り慰霊施設を設け、最高の儀礼をもって慰霊を行っています。

アメリカ「アーリントン国立墓地」、ロシア「永遠の火」記念碑、フランス「無名戦士の墓」等。

日本にあっては、東京九段の「靖国神社」です。

御祭神は明治維新以来の国難に殉じた方々、246万6千3百余柱。多くは旧軍関係者ですが、日本赤十字社の従軍看護婦さんや、沖縄戦で散華された「ひめゆり」「白梅」部隊の女子学生、疎開途中、鹿児島沖で、敵潜水艦に沈められた対馬丸乗船中の小学生、日本降伏後、不法に樺太へ侵攻したソ連兵から身の純潔を守るために自決した真岡郵便局の九名の電話交換手も含まれています。

正しく日本の聖地は靖国神社ですが、現状は国で慰霊するどころか、総理大臣の参拝すらままならない。

国の為に亡くなられた方々を慰霊も出来ない、非常識国が日本です。

敗戦の年、昭和20年12月15日、占領軍総司令部は「神道指令」を発令。国と靖国神社の関わりを禁じた。

狙いは、日本人の心の基盤であった神道と国民の切り離し。

敗戦、占領下、占領軍の言うことは絶対であり、受け入れるは仕方なし。問題は、昭和27年講和条約発効、再独立後も英霊の名誉回復を図らなかったことである。

現状、靖国神社は怪しげな新興宗教と同類扱いの宗教法人の一つとしてしか存続出来ない。この異常さを一刻も早く、取り除かなければならない。

「国旗・国歌」も「靖国」も問題の根底にあるのは日本人の歴史観である。大方の国民の歴史観イコール東京裁判史観となっていることが大きな問題である。

我が先人は好戦的国民ではなかった。奴隷を欲しなかったのである。黄色人種侮蔑をあらわにした諸列強の画策が、避けられぬ戦争へと進んだのである。

我が先人の偉業は、敗戦後、国際法無視の東京裁判において、全て悪業とされてしまった。

東京裁判は、裁判の体はとっているものの、中身は報復劇以外の何物でもない。日本側提出の証拠は全て却下、連合国側の証拠のみを採用、審理と呼べるものもなく、事後法を設け罪無き者を裁くリンチに他ならない。

東京裁判において七名がA級戦犯として絞首刑。忘れてならないのは、諸外国の法廷で裁かれたBC級戦犯とされ死刑執行を受けた1176名(獄死、自殺を含む)である。民衆裁判で死刑か無罪かだけが即決され、群衆意識の餌食になっている。法なくして人を裁き、法なきに人を罰する。戦勝国と言えど、そのような権限はなし。これら尊い犠牲も忘れてならず。 

「先の大戦は、侵略戦争であった」への反論  やむにやまれぬ独立国の威信をかけた聖戦であった。この時立ちあがらねば、属国の屈従に甘んじなければならなかった。戦争はその本質上、相手国領土に侵入する。侵略したとする国は、既に諸列強の支配下にあった。日本は連合国という大国相手に戦ったのであり、弱いもの苛めの侵略戦争をしたわけではない。日本の勇気に後押しされて、アジア諸国の独立が成ったのは、紛れもない事実。

「南京大虐殺という悪事を行った」への反論  日中戦争の一環として昭和16年、日本軍は首都南京を攻略した。戦争であり、市街戦でもあり市民の犠牲もゼロではなかったであろう。しかし、当時の人口20万、面積は世田谷区程度、人口以上の30万の虐殺が出来るわけなく、大量殺戮兵器があったわけでなく、不可能。外国の特派員はじめ従軍記者、カメラマン等、誰も見ていない。中国軍、日本軍、いずれの軍事記録にも虐殺の記録はない。東京裁判において、日本を陥れんが為に、ナチスドイツのアウシュビッツ、ユダヤ人虐殺になぞらえて捏造されたもの。その後の中国が政治利用しているのはご承知の通り。日本軍の士気の高さは定評があり、市民への暴行、略奪等は堅く禁じられていた。ひきかえ中国軍は、軍律あってなきがごとしであり、各地よりの寄せ集め兵は、言語の雑多さから意思の疎通もままならず、敗残兵として退却時には略奪、暴行、放火を繰り返す癖があった。また、国際戦争法規に、兵士は軍服を着用すべしとあるにもかかわらず、中国兵は市民の衣服をむしりとり、市民を装い背後から襲い掛かるというゲリラ戦を用い、日本軍を悩ませた。

「従軍慰安婦」への反論  公娼制度が合法であった時代。慰安婦はあった。だが、従軍はなかった。慰安婦は、女衒と呼ばれた斡旋業者による商行為であった。兵士相手の慰安婦である以上、軍が衛生上の管理を行った。戦地ゆえ移動に便宜を計った。それだけのことである。ソープランドは警察の風俗営業法許可、また浴場として保健所の管轄下にあり国営だと言っているようなもの。

戦後、半世紀以上に亘り、誤れる歴史観は日本全土を暗雲のごとく覆ってしまった。結果が教育の荒廃、人心の荒廃に帰結している。逆に見れば。今日の、祖国を思う欠片もない日本人の姿こそ連合軍の意図したところであろう。だが、このままでは将来に禍根を残すこと必定。日本人の意識改革を断行せねばならない。

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