クロッキー作品群2001 Feb 4 
          
2001年2月4日(日)


今回の作品について

期せずして、1日空けて同じモデルを描いた。
結果は『吉』と出た。

構図、画面に身体をどう入れるか!

その続きを考えながら描いた。

ただし、今日の位置はモデルの真後ろしかないので、
必然的にそこになった。
また、距離が1メートルしかないことも厳しかった。

<画 材>   コンテ鉛筆
      B2クロッキー用紙
<時 間>  2〜5分固定
<モデル>   かおり 

自分だけの独り言

クロッキーとは、
表面を通して、内部を表現すること
と書きたいんだけど、
表面と内部が渾然一体となって、それを
僕が画面に描くこと。

僕はモデルにポーズを注文しないけど、
どんなポーズの中にも美しさを発見することができるから関係ない。

僕のしたいことは、
別に女性である必要はないけど、男性よりは興味がある。
風景よりは人間のほうがいい。
着衣よりは裸のほうがいい。
できるだけ、露出していたほうが本質に迫りやすい。

少なくとも本質とか根本と呼ばれることに興味がある。

絵はシンプルじゃなくて、どろどろしているほうが好き。
見ようによって、どのようにも変化するほうが好き。

自分が描くときは、瞬時に思い通りに
平面に固定されていかなければ気がすまない。

だから、絵の具を乾かして、
なんて作業は考えれられない。
瞬時に自分の感情を描かなくては

出来上がった作品を見ると、
そこに存在するもは、
私の描いたものではなくて、私の気に入ったものである。

私があとから心地よいと思うものがある。
だけど、それをまた見たいとは思わない。
また、違うものを描いてみたいとは思うけど、
見たいとはあまり思わない。
そうした意味で、私は鑑賞者というより表現者だ。

もりろん、出来上がった作品を大切に分類し保存することに興味を持っているが
コレクターというのも適切ではない。
無くなったら無くなったで仕方無いし、
他人の作品を手元に置いておきたいとは
さほど思わない。

こうした考えは、私と共に変化していくと思う。

出来上がった作品は誰のものなのか?
それは、私の物だ。
私の子どもみたいなもの。
私じゃないけど、私の生み出したものを
滅多矢鱈に他人に手渡したくない。
精魂込めた描いたものをだから。

私は常に同じではない。
というより毎回違う自分であろうと最大の努力を払っている。

私は私ではなく、あなたはあなたではない。
そうなりたいが故に、
絵を描き、絵を見る。

新しいものを見たいがために、
そのままでいることは有りえない。
変化する、というようなポジティブな表現は適切ではない。
そのままでいようとすると腐るから・・・

どうせ腐るなら、うまく腐るように努力と根性。

気合いは必要ないかもしれない。
努力と根性は、もっとさらっと流して
力の入らない自然な活動でなくてはならない。

ポーズについて
僕は今まで、モデルにポーズを注文することはなかった
これからもそうだと思う。
だって、僕は受け身な人間だから
自分から積極的に働きかけることは不得意だから。

僕にできることは、美しさを発見することや
相手を鏡のように映し出すこと。

これらは、僕が意識しようとしてすることではなくて
僕がもって生まれたものだと思う。
この年になってようやく、気付いてきたようだ。

  

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