クロッキーF美術館コレクション vol.2006 b 1

19 picters
A2 (626mm x440mm, thin paper)
sumi

<画 材> 墨汁、A2上質紙
<時 間> (5分×4)×4、(3分×7)×2
<モデル> 風未子

note
1 不覚にも開始時間を間違えて遅刻した。しかも、前回予定されていたクロッキーを拠ん所ない事情により欠席した後だったのでテンションがかからない。/ それでも3時間予定されいたクロッキーのうち、30分の遅刻ですんだことはまずまずだったと自分に言い聞かせた。

2 準備時間1分で、直ぐに描き始めた。ポーズは全て5分で、その内容はモデルさんが事前に考えてきてくれたもので、非常に内容の濃いものだった。1枚目は上手く行かなかったけれど、2枚目は本日最高のできかも知れない。(1枚目は破棄したので、HPの先頭作品がそれ) 描き終わった直後にそうした意識が自分の中にあったので、その後の作品づくりにプレッシャーを与え続けた。しばらくは、その作品の影を追うことになった。

3 いつからかは忘れてしまったけれど、違う自分を見つけなければならないことに気づき、新しい表現方法を無意識の中で模索できるようになっている自分を見つけてほっとした。それでも、これまでの方法を踏襲している部分があって、それは自分の指に墨をつけて直接画面を汚す手法だ。ばたばたした指を動かした触感が画面に残り、紙を通して、あるいは紙の下の台紙まで墨が到着していくけれど、そうしたつまらないことが楽しい。楽しいのだから、それはそれで仕方がない。飽きるまでやるしかない。関連ページ『遊びとしてのクロッキー

4 その他、描き上がった作品を見ないうちに昨日を思い出しながら書き残しておきたいことは、濃厚な墨を背骨と腰の部分に入れたくなること、そうそう、もっと重要なことを思い出した。彼女は芸術作品のようだった。アンタッチャブルな作品であり、長い時間をかけた作品であり、ただ単に生まれたばかりの美しさではないということだ。全く次元の違う、コントロールし、自制された素晴らしい作品である。鑑賞するだけではすまないような、生きた作品であって、大変なメインテナンスをしているのだと思う。

5 ここから先は、作品の選別、HPのアップを終えてからの話だ。1;やはり先頭作品は素晴らしい。自画自賛してしまったけれど仕方あるまい。 2;3分になると5分のとき休憩していたことがばれてしまう。何を言いたいかと言うと、5分のときの集中力が足りない。最近はクロッキー以外のことに専念しているから、仕方ないと言えば仕方ないが、もっと違うアプローチの仕方を模索する必要がある。なぜなら、あることに専念しているからといって、100%には程遠い熱中度だからだ。2つや3つくらい、同時に集中する方法があるはずだ。本当の原因は私には分かっているけれど、どうしようもない部分でできないような気がするけれど、、、それは逃げだ。結局、クロッキーに関するコメントはほとんどなかった。

補足 作品を見ると、モデルを写す次元から、モデルと協力する次元へ移行する途中にいるものと思われる。とても良いことだ。

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