クロッキーF美術館コレクション vol.2009 Sep 6

22 pictures
A3 (420 x 297, thin paper)

画 材: 鉛筆、A3上質紙
時 間: 8分×4、5分×4、3分×2(キャメロン)、5分×4(Hiro)、10分×3、8分×4(ダブル)
モデル: キャメロン、Hiro

note
 ナゴヤ路樹絵(第3回)に参加させて頂いた。モデル・キャメロンは美しいだけでなく、揺れ動く風を感じた。私は初めてだったので、画面を全く見ずに何枚か描いた。紙面には私の感覚器官の痕跡が残っている。モデル・Hiroは2回目だったので、およそのプロポーションを掴んでいた。私はテンションをかけ過ぎないように注意しながら描いた。

 次に、男女のダブルポーズについて考察する。この会でダブルポーズを描くのは2回目であるが、初めの10分ポーズは6分以上描けなかった。2人が表現ていることを掴めなかったし、私も感情移入できなかった。その理由を分析すると、2人は両手を恋人つなぎしているにもかかわらず、顔を背けあっている。それは一時的なもので、やがて向き合うものかと思えばそうではない。むしろ、私がテンションをかけて描けば、その意識は私に注がれてしまうように見えるのである。2人のポーズを書き写すことは簡単だが、それではタダの写生かデッサンを超えることはできない。そんなことなら、私は2人と一緒に手を繋いでポーズしたいと思ったし、背いていてもキャメロンと手を繋いでいるHiroがうらやましいと思った。このような状況だったが、何も描かないわけにはいかないので、私はとりあえず手を動かした。
 2本目のダブルポーズも恋人つなぎだった。ただ、片手が開放されていたことから、2人のあいだに隙間ができた。私は、それを描くことに専念した。
 3本目は、キャメロンの視線を感じるポーズだったのでそれに集中した。紙が小さいので真っ黒になってしまったが、場所が許せばB1サイズの大きさに描きたかった。素晴らしい作品が完成したと思う。
 休息後の2人が向かい合っているダブルポーズは、とてもスムーズに描けた。なぜなら、2人の間に意識が完結し、まるで1人のように存在ているだけでなく、周囲を意識していないので、描き手は冷静かつ客観的でいられる。とくに、彼らは高い表現力をもっているので、作家はその身を任せるだけで良い。1つの世界を構成している2人から得る情報は膨大であり、作家は努力することなくたくさんのインスピレーションを受け取れるからだ。
 最後の2ポーズは互いの関係性を感じないものだった。私はそれぞれを造形的に面白く描いたり、切り取ったりした。このような無関係さを感じるポーズは、写真家のように計算して描く楽しみがある。

 このようにダブルポーズを描く時は、2人の意識やエネルギーの方向を定めることが欠かせない。それが完全な一致、あるいは、完全な不一致なら話は簡単だ。しかし、エネルギーが混乱している場合は、描き手が創作することになる。

 また、モデルは身体を拘束されているが、精神は描き手と同じように自由である。作品を共同作業によって創ると考えるなら、両者は対等な自由を謳歌しなければいけない。そのハーモニーが作品となるなら、どちらも欠かすことはできない。それが、私が求めるクロッキーであることを強く意識できた時間だった。

 紙のサイズはとても重要だ。今のサイズは小さく、鉛筆とも私とも合わない。これを打開するには、大きな転換が必要だ。

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