クロッキーF美術館コレクション vol.2009 Sep 18

21 pictures
A3 (420 x 297, thin paper)

画 材: 鉛筆、A3上質紙
時 間: 指定時間固定
モデル: 彩海(あみ)
撮影機材:ニコンD700、17-35(f2.8)、500W-3000K

note
 このHPを見て応募されたモデル彩海を描いた。待ち合わせた時間は、夜9時。朝型の私にとっては辛いが、火急の応募に応えるのはFの宿命である。今回のクロッキーはかなり特殊なので、個人情報に配慮して可能な限り現場の状況を記録する。

 彩海は物事をストレートに前向きに捉える明るい性格のように感じた。今は理由あって本来の個性を十分に発揮でてきないが、写真も撮って欲しいという要望からは、高いチャンジャー精神とひたむきな実直さを感じた。ただ、写真については「顔が明確に識別できるのるものは避けたい」という現状と本来の彼女の性格が一致しないので、ストレートな記念写真にとどまった。

 クロッキーを始めると、彼女はポーズを指示して欲しいと言ったが、私はそのままの姿を描いた。2ポーズ目も同じようにして描いた。その間、彼女は静止することがなく、自分の体内リズムにしたがって大きく動いた。本人はじっとしているように意識していたと思うが、私は大きく揺れ動くモデルを描くことになった。

 そもそも、人の心(精神)はとどまることがない。さもなければ、モデルは意識不明の放心、あるいは、睡眠状態にあると言えるだろう。どんなに強い意志でポーズを固定しても、初めと同じ緊張感を持続することは不可能だし、筋肉が震えだしてしまえばモデルは現状維持に精一杯で、その他のことを考える余裕はなくなるだろう。モデルの身体は拘束されていても、その心は常に自由なのである。彩海は無意識のうちに『自然な心の動き』を身体表現しているに過ぎない。

 さて、現場での私は、モデルの意識が自由に動くことを承知していたつもりでいたが、彩海のとどまることがないポーズと不安定な精神は、私に新しいクロッキー表現の模索を強いた。描き初めの何枚かは捨ててしまったが、

 このページの先頭に掲載したクロッキー(図版:左)は、いくつかの線が融けることで成立した。それは、私が、無意識レベルで彼女の動きと私の手の動きをリンクさせた結果である。下半身はおよそ固定されていたが、重心は彼女の腕が自在に動くので定められなかったし、顔はおよそ正面に向けられていたが、視線が安定しないので、描き込むことは不可能だった。

 ここで、彼女の名誉のために付け加えると、「いろいろたくさんお話しましょう。でも、時間がもったいないのでクロッキーをしながらお話しましょう」と提案したのは私である。だから、彼女は実に様々な話をしながらポーズをとった。彼女は私の難題に応えてくれたのである。思っていることを言葉にする作業は単純ではなく、肉体的にも精神的にも『静止』から生まれることはない。

 このようにして、私は今回のクロッキーを成立させる糸口を見い出したのである。それは、無意識の振り子運動の支点を探したり、揺れ幅そのものを確定して捉えたり、揺れ幅のある部分を切り取ったりすることから始まるが、次に、少しずつ明確で力ある線を増やしていけば、画面に『ある時間内に存在した実態』を定着できるだろうと予測した。

 掲載作品4点目のポーズのとき、一瞬のうちに彼女は眠った。すとん音を立て、眠りに落ちた。それは浅い眠りで、いつなんどき大きな目を開けるか分からないものだったけれど、完璧なる眠りであるとは間違いなかった。現実問題として、今回のクロッキーで、身体がほとんど固定されているポーズを描いたのはこれが最初だった。その後もいくつかの眠ってしまうようなポーズがあったが、完全なる眠りを感じたのはこれ1度きりだった。

 このうつ伏せポーズは面白いものではないが、私は比較的安定して見たり描いたりした。

 掲載作品7点目は、揺れ動く身体がうまく描けたと思う。彼女はストレッチしているが、それは、私が「どうぞ!」と勧めてからである。 .  8点目のとき、私は初めてポーズの注文をつけた。柔軟体操の途中、横向きになって仰け反っていたときに描き初めたからである。どうしてもその姿勢が欲しかったので、仕上げの数10秒間だけ同じ姿勢を繰り返してもらった。
.

 図版左のように、目を閉じているように描いたポーズもあるが、実際は大きく見開いたり、あっちやこっちを見たりしている。目を開いている作品も同様である。私は自分の意志で、多くの具体的ポーズを決定した。ただし、「どんな基準でどんな目的で決定したのか」と聞かれると困る。私はそうしたいからそうしたのであり、私の目的と行為は直結していた。

 モデル彩海が私のアトリエに足を運んだ理由も同じであろう。当初は深い動機があったにせよ、実際の行為(モデルとしてここに存在する、描き手としてここに存在する)において、両者は完全に一致していなければ作品は生まれない。

 そうして点で、今回のクロッキーは揺れ動く身体と心の偶然によって生まれたものである。2人はこのクロッキーが始まる2時間半前に初めて会話した。これは不確定な人生の連続の一部分であり、必然と偶然と掴まえることが大切なのだ。とくに強いエネルギーに出会うのは何度もあることではないから、チャンスを逃してはいけない。

.

 描きめてから2時間以上たってから、彩海は「背中を描いて下さい」と言った。私は美しい髪を使って画面をまとめたが、なるほど背中には深いこれまでの経験が刻まれていた。彼女が背負っているもは深く、私の貧弱な経験からは理解することも表現することもできないと直感した。私は十分な敬意を持って描かせて頂く立場であると認識した(最後から2番目の作品)。

.
 最後の作品は美しくまとまったと思う。少しずつ彼女の視線も身体も定まってきた。次も同じようにいくとは限らないが、彩海は1人の人間が持ち得る限界に近い、深くて青い、暗く透明な淵を感じさせる。彼女は今の自分を描きとめて欲しいと願ったが、その深さは身体の揺れとなり、具体的に私の目前に示された。それを描きとめることは、私にとって新しい自分の創造となる。

↑ TOP


Copyright(c) 2009 All rights reserved.