クロッキーF美術館コレクション vol.2011 Nov 22

14 croquis
(420 x 297, pencil)

画 材: 鉛筆、A3上質紙
時 間: 3分*6、3分*4+2分*5、2分*10、2分*5+5分*2
モデル: あやこ

note
 描きたいという欲望さえあれば良い。1つの単純な欲求を高く維持することが描くためではなくて、よいクロッキーをするための条件だ。その他の欲望を排除することより、より強い『描きたいという欲望』をつくる方が重要だ。しかし、欲望はつくるものではなくて必然から生まれるものだから『必然を生み出す』。と、書いてしまった後に、必然をどうやってつくってるんだ、必然なんかつくってどうするんだ、と思うけれど、そうしたい自分がいるのだから仕方ない。そうしたい人だけが永遠にクロッキーを楽しむことができるのだ、と思う。でも、最近は重大な変化があって、クロッキーなしでも生きていけるような気も少しずつしているけれど、まだ自分の根幹の一部をなしている。

 手を自由にさせておいて、それが生み出した平面を見て、満足できなければもっと動かして、満足できたなら感謝して、描き過ぎてしまったなら諦めて。それらをくり返しているうちにクロッキーの時が終る。

 線のタッチは問題外で、自分の手を信頼して心ゆくまで描くことを楽しむ。自分でも知らない自分を見たつけたり、自分の手や動きやしていることに驚いたり、自由気ままに脳を動かしたり。結局のところ、脳が満足するところに行着くような気もするけれど、体力的に厳しいクロッキーをしなければ満足できないことも経験上よく知っている。

 さて、このnoteで本当に記録しておきたいことは過去2回にわたって線を意図的に意識しないようにしていること。ごちゃまぜのクレヨンを1本無造作につかみ出し、偶然得た色で描いてしまうように、線のタッチを意識せずに描いていることだ。意識しないように努力しても勝手に出てきてしまう線ではなくて、これまで見たこともないものを見るために、未知なものが生み出される瞬間を目撃するために行為する、ということが書きたかった。失敗が多いけれど、失敗と成功は等しいので心配していない。その前に失敗と成功の定義が必要になるけれど、僕が満足すれば成功。満足しなければ失敗。基準は自分にある。自分が満足することが絶対条件で、自分が満足することの1つに『他人が満足すること』が含まれている。もうしばらくでたらめな線を描くことを意識して、それから形態を意識しないことを意識しようと思っている。それから、描きたいものを言語に置き換える作業もしようと思っているけれど、いつから言語化するかは未定。登場時期は必然によって決まるから、とくに設定する必要もないし、設定できるものではない。設定してもろくはことはない。今は1つひとつクリヤーすることに興味がある。

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