クロッキーF美術館コレクション vol.2011 Dec 21

20 croquis
(420 x 297, pencil)

画 材: 鉛筆、A3上質紙
時 間: 4分*5、4分*5、2分*10、5分*4
モデル: あやこ

note
 今日はクロッキーFの描き納め。たくさんの人が集まることを予想して、私はモデルさんの後ろに陣取りました。完全な背後から描くのは久しぶりでしたが、自分のスペースを十分に確保できたので、自分の世界に浸ることができました。

 さて、最後の5分ポーズになって、新しいゾーンに入りました。紙が立体的な石に見えてきたのです。画面のエッジが見えて、その中に自分の描きたい像が浮かんでくるのです。それを誰もが見えるよにする作業は簡単で、とても面白いものでした。イメージは完璧ではないので、それが壊れないように注意しながら、少しずつ、丁寧に作業を進めるのです。5分では足りず、4ポーズで終了してしまうのも残念でしたが、そうした制約による作用もよい条件をつくり出した可能性があります。

 この感覚は初めてなので、もう少し記述しておきます。私が意識していたのは、紙の右端とそこに入るトルソ、トルソにつづく下肢の位置。これらは塊、質量として感じました。画面のどこに、どれだけの質量として存在させるべきかいつも意識していました。不思議なことに、画面の左端に興味はありませんでした。

 トルソについて一通り満足すると、それを補強するように下肢を入れました。下肢を描く前に、臀部を描いたように思いますが、これは背後だから臀部だった可能性があります。正面からの場合、私は骨盤を描いてしまうのですが、今日は意識しませんでした。見えないから意識しなかっただけのことかも知れませんが、後から考えると不思議なことです。臀部といえば肉体としての肉であり地球に重力に支配されるものであり、骨盤といえば肉体を支える金属で地球の重力に逆らおうとするものです。本質的に異なるものです。それらは協力してはたらくものですが、今の私は協力しているという意識は皆無です。知識として知っているだけです。私が描きたいと思っていたことは存在そのものでした。

 それから首、頭を入れたように思いますが、興味はほとんどありませんでした。トルソがきれいに見れえるように配置したに過ぎません。腕の意識はとても薄く、どうでも良いと感じでしたが、手首から先の表現は興味がありましたが、時間がないのでかけません。膝や肘の位置は注意して記しましたが、戦略的な感じがします。


忘年会の記念写真(撮影:モデルさん)

 次回は来年になりますが、初めに白い紙の中に空間を創造すること、存在を感じることを目標にしようと思います。モデルさんと紙を半々に見れば良いことです。その見方は文章化できるレベルにありませんが、ちゃんと練習すれば、作戦なしの直感で紙が空間に変わるはずです。直感レベルになれば言葉になる。これは矛盾しているように感じますが、真実です。それから、この手法は鉛筆だからできるような気もするので、最近、画材の制約を感じていただけにワクワクします。鉛筆が彫刻刀のようになるわけで。でも、切り出すのは側面や背後ではなくて、あくまでも平面的なものであるような気がするんだよな。切り出すのか描き出すのか、その辺は未知なのでそれもまた楽しみです。

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