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クロッキーF美術館コレクション vol.2012 Mar 12

22croquis
(420 x 297, pencil)

画 材: 鉛筆、A3上質紙
時 間: 指定時間固定
モデル: ocotea

note
 ビデオを回そうとしましたが止めました。クロッキーに専念したかったのです。そして、初めの何回かは捨てました。準備運動の記録を残したり記録することに興味を失ったからです。

 ということで、今回の先頭作品(右図)は気持良い作品です。私が描きたかったことは、モデルの顔面から下に伸びる直線です。モデルの下に向けた意識、それを何本もの線で気持良く描けました。描くときは画面を見ませんでした。いわゆるノールックです。モデルだけを見て、モデルの意識だけに集中しました。意識を描くことに満足してから画面を見ると、首や背骨や大腿筋などいろいろな部分を描きたくなりましたが、それを描いてしまうと意識が逸れてしまうので、止めました。そして、私が描きたかったことを受け止める台を描きました。モデルは安定感のない小さな低い椅子の上に膝を曲げて立っていたのです。


 2枚めは自分のゾーンに入っていくことが実感できた作品です。3枚めはただ脚を上げているだけ。4枚めは後ろを向いているだけのようなもの。そして、5枚め(下左)から面白くなりました。私の興味はモデルの形態から離れ、そして、モデルがまとうもの、モデルのオーラを見たり描いたりできるようになってきました。6枚め(下中央)は暴力的な怒り。7枚めはうまく表現できていませんが自嘲するかのような喜び。8枚め(下右)は両手の中に咲かせた花。この花はいろいろなものを生み出す能力を持っていますが、今は小さいので大切にしなければ死んでしまいます。9枚めは高く空に飛び去っていくモデルが生み落とした大切な生き物。


5枚め


6枚め


8枚め

 以上が今回のクロッキーのピークだと思います。休息後は、形態を追うようになりました。唇を挟んでいるポーズは、モデルさんによると、ただ挟んでみたかっただけだそうです。私もそのように感じていました。クロッキー後半は、脳より身体が主導権を握っていました。

 右は最後から2枚めの作品です。モデルは自分の片方の上腕にもう一方の手の平を載せています。私は花が咲いているように感じました。色鉛筆が自然に入りました。黄色を使っていますが、ピンクでも同じです。その上にある顔は、自ら咲かせた花と同一です。と、私は感じながら描いていましたが、モデルは自分の上腕にかかる手の重さ、筋肉の変化を感じていたそうです。かくいう私も、制作の現場では自分の筋肉に任せているので、本物そっくりの写真とは違います。そもそも、人体の一部に色がつくことはあり得ません。私の狙いと手法は、いずれも本物そっくりの平面づくりからはほど遠いものです。


 最後の作品(右図)は、これまでのクロッキーと全く違います。描きながら思考した痕跡です。私は持つという行為、見るという行為について思考しました。モデルが指で摘んでいるものは『空想のもの』です。モデルは自分が幼いときに遊んだ子供部屋で、昔遊んでいたものを見ています。私は指輪を想像していましたが、モデルは具体的なものではなく、子どもの時は大きく見えたものを想定していたそうです。モデルと私の一致した見解は、物体の大きさ、物体との距離です。物体のと距離によって見えるものが変わります。なぜなら、距離の変化は物体との関係を変えるからです。

 モデルと物体との間にある斜線は、適切な距離を求めるために描いた計測用斜線です。モデルや物体から出た光線のようなものではありません。ところで、物体は空中に浮くいたまま単独で存在することができるもので、その直径は5mm。光を3次元空間に均等に放つ光源のようなものです。その物体を2本の指でつまむ必要ないのですが、モデルは摘んでいます。したがって、私が描きたいものは、(1)物体、(2)持つという行為、(3)見るという行為、という順です。なお、物体は黄色のような青のようなオレンジ色のような色で、目はブルーのような色です。そして、口は自然にぽかんと開きます。モデルが見ているものは時間や思い出(過去)を含む4次元の世界です。

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