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クロッキーF美術館コレクション vol.2012 Apr 7

22 croquis
(420 x 297, pencil)

画 材: 鉛筆、A3上質紙
時 間: 指定時間固定
モデル: ocotea

note
 モデルさんがいらっしゃる前の準備運動が功を奏したのでしょうか。とてもスムーズに入ることができました。ノールックで描き始めましたが、ちらりと画面を見ると、バランスが取れた優しいタッチの画面ができていたので、それを補強しました。画面を見て描くことは、今日の目標の1つだったので、上手く入れたと思います。

 優しいタッチを中心にした画面づくりに喜んだ私は、その流れを大切にしました。鉛筆は3Bを中心に5Bと7Bを使い、休息を挟まず9枚描きました。9枚描く中で、平鉛筆や水色の鉛筆も登場しました。今日は早く終る予定だったので、クロッキー前のトークをそこそこにして、撮影もしなかったことが良かったのでしょう。

 休息後(10枚目から)はカメラを回しました。それが原因ではないと信じたいのですが、結果は良くありませんでした。その後の全てを撮影したのですが、ピント確認を怠ったので、今回は掲載できる動画がありません。

 クロッキー後、モデルocoteaに話を聞くと、今日は何かを演じるのではなく、優しい女性や献身的な女性らしさを表現しようとしたそうです。表現者ocoteaの表現しようとしたことを上手く受け取れたのではないかと思います。最後の何点かは演劇家としての表現になっちゃってる、ような気がしますが・・・

  さて、次にクロッキー前のトークをnoteします。テーマはocoteaの演劇そのものについてで、彼女にとって演劇は『命の表現』です。私はいくつも突っ込みたかったのですが、今日は静かにしていました。

ocoteaによる命の表現
 古代の基本的考えはアニミズムです。自分も自然の一部であり、自分は他人と同じであり、演劇は神のための表現です。

 近代の基本的考えは二項対立です。世界は2つの対峙するものからできていて、例えば、善と悪、男と女、陽と陰です。演劇では演者と観客が対立する二項で、それらの間には壁があります。演劇は観客がいなくても成立するものであり、演劇は自己表現のための道具に過ぎません。

 現代(ocotea)の演劇は『命の表現』です。それは演者と観客の融合であり、円運動です。演劇の目的は見えないものを見えるようにすること、すなわち可視可です。

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