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クロッキーF美術館コレクション vol.2012 May 17

25 croquis
(420 x 297, pencil)

画 材: 鉛筆、A3上質紙
時 間: 指定時間固定
モデル: ocotea

note:モデルを写す鏡と模写
 私は鏡ではないことを発見しました。これまで、ずっと鏡だと思っていたのですが、どうやら違ったようです。私は自分のことを個性的だと思ったことはないのですが、個性的だったようです。長年勘違いをしていた原因の1つは、絵を描き始めた時にたくさんした模写です。模写をするときは自分らしさや自分の個性を消して、写す。模するものは作家の技法だけでなく、作家の思い、作家を取り巻く環境、作家の人生そのもの。どれだけ自分を捨てても、自分の個性が出る、と信じていました。自分を信じていたからこそ、自分を捨てようと思っていたのです。

 模写、作家の全てを模するためには相当の努力が必要ですが、その努力をするのは自分です。その行為者は自分であり、手本としている絵画ではありません。技法解説書でもありません。努力の種類は、手動かすことだけでなく、新しい方法を考えたり思考することです。

 この模写とモデルを写す鏡は、通じるものがあります。模写しながら、新しい自分の個性をつくっていたのだと思います。絶対に他人と同一になることできないからです。

 私はモデルの鏡であることを好みますが、単純な鏡ではなく、私が望むものを引き出す鏡だったようです。モデルがもっていないものを写すことはできませんが、かなりいろいろな方法で引き出すことができるます。1人の人間はたくさんの側面や引き出しを持っているからです。

 私は、たくさんの引出しを持っていること、あるいは、モデルの引き出しを開けることができることが作家として生きていく生命線の1つであると思います。私は、モデルと直接向い合い、モデルも私も知らない引き出しを創ることに興味がある作家だ、と思うのです。勘違いもたくさんありますが、思い過ごしも創作です。思い過ごしも創作、って核心をついているよ。

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