ボディーサスペンション
数日前、日本にボディサスペンションがあることを知り衝撃を受けました。思い返せば、1994年夏(26年前)スリランカ北部でヒトの背中に穴をあけて糸を通し、ブランコのよう吊す儀式があることを知りました。私が現地で見たものは、大凧のように複数の糸で引っ張られながら歩く男性の一群です。彼らの背中には耳ピアスのような穴が空いており、いつでも糸を通せるようになっていました。
私は多様な文化に興味をもっているので、いつもはその文化的背景を調べるのですが、この時は無意識に記憶を消そうとしていたようです。生理的に受けつけない、ということでしょう。
あれから歳月が流れ、私の感覚が鈍くなってきたのでしょうか、私はネットでボディーサスペンションを調べました。それは欧米で新しい文化として受けれられ、日本国内(名古屋)でも行われていました。それはピアス、タトゥー、ネイル、散髪の延長線上のようになっていました。それは身体を保全したり、美しくたり、改造したり、というもののようです。しかし、私が生理的に拒絶してしまうのはどうしようもない私の特性です。
また、一般現代人が間違った認識をしているとすれば、それは「プリミティブではない(原始的でも粗野でもない)」ということです。
スリランカ文化は不明ですが、ネットで見る現代の西欧や日本におけるボディーサスペンションは、それをしなければ自我を保てないほど過酷な精神的あるいは肉体的に過酷な経験をしたり環境にいたりする人々が行っているということです。日本は年間3万人の自殺者(1日あたり80人)の自殺大国ですが、ボディーサスペンションによって自我(心の命)を保つことができるなら、むしろ奨励すべきものなのかもしれません。
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私は縄も得意ではありませんが、「美を追求する手段としての縄」は悪くない、と感じています。とくに、さんぴんさんは縄を「女性(男性でもよいけれど...)の身体をより美しく見せるための衣装」として扱っているように感じています。一般的な緊縛と隔絶している、ということは断言できます。
つまるところ、さんぴんさんと私は貪欲に「美を追求するという点」において共通しているからこそ、撮影を繰り返すのでしょう。
私は人と美の探求者でありたいと願っています。
余談:2020年2月18日、白の背景紙(2.7m×11m)を購入してわくわく。