クロッキー F 美術館

インスタレーションという作品


1 インスタレーションって何!
 ある空間に自分の作品を置き、その空間と自分の作品を響きあわせることで、両者をより良く表現することをインスタレーションという。例えば、玄関先に庭先で見つけた一輪の野草を飾ることはインスタレーションである。それは全く新しい空間世界の創造である。

2 空間は移動できない
 インスタレーション・アートは、ある1つのもの(作品)が独立して存在できない。従来の絵画や彫刻のように持ち運びできないものである。会期終了(展示されていた空間が占有できなくなる)と同時に消滅する。もしも再生可能なインスタレーションがあるなら、それはその時間や空間の特性を十分に活かし切っていない『不完全な作品』であるか、インスタレーションとして分類するべきではない作品(活動)である。

3 一過性の作品
 インスタレーションは1回限りのライブ、舞台芸術と同じように、その会場にいなければ鑑賞できない。限られた時間内に、用意された空間に踏み込める人だけが鑑賞できる作品である。過去のインスタレーション作品はビデオや写真で振り返ることもできるが、その本質は『時空間』なので、後から体感することは絶対に不可能である。それは、半永久的な作品作りを目的とする画家や彫刻家の活動と異なる。

4 一瞬にして鑑賞者をとらえる作品としてのインスタレーション
 現場に足を運んだ鑑賞者からみると、インタレーションは古典的な芸術作品と同じように作用する。つまり、会場に足を踏み入れた瞬間に勝負がつく。作品に引き込まれたり、驚かされたり、捕えられたりする。基本的に時間を持たない作品なのである。そうした意味において、インスタレーションは古典的な絵画や彫刻と同じように作用する。

 以上をまとめると下表のようになる。

分類項目

活 動
インスタレーション
(空間芸術)
古典的な芸術
(絵画、彫刻
このクロッキーF美術館など)
舞台芸術
(ライブ音楽、オペラ)
作品そのものの永遠性
(時間の移動)
な し
(不可能)
あ り
(可能)
な し
(不可能)
作品の空間移動 不可能
(移動できる作品は、その空間特性を活かしきれていないと判断される。移動した時点で別の作品になる)
可 能 ある程度、可能
鑑賞する時間 基本的に瞬間 一 瞬 決められた時間
制作時間 比較できない

5 インスタレーションの問題点
 次に、私が感じているインスタレーション・アートの問題点を3つ述べる。

5-(1) 貧弱な内容を誤魔化すための空間利用
 ちょっとした感性がある人が簡単に陥ってしまう落とし穴がある。作品にとって大切なのはその内容や品質であり、空間配置の妙ではない。冒頭で紹介したように、一輪の野草を飾ることは簡単だが、一輪の野草に込める思いは多様である。思いつくままに記すだけでも、客人をもてなす心、到来した季節の驚き、生活の潤い、日常生活では見逃してしまう小さなものを見つめる目、自分が手折った生物に対する責任、などがある。自分の作品には、明確な意志とコンテンツがなければ技術を持ったアートとして洗練されていかない。

5-(2) すき間を埋めるための作品配置
 十分な量のコンテンツ(内容)を持っていない作家が、必要以上の空間を与えられた時、その空間を埋めるために作品を製作することがある。この場合、薄め過ぎたコーヒーのように本来の味を楽しむことができなくなる。一般に、作品は絞り込むときに輝く。

5-(3) 驚かせることが目的のインスタレーション
 単純な興奮や驚きを目的とするなら、旧来のサーカス小屋やお化け屋敷と比較しなければならない。全ての活動を芸術だ! アートだ! と言うこともできるが、私は歴史と伝統ある文化を『現代アート』の一分野に入れてしまうことは失礼だと思う。文化は分化し、独自性と持ち、それぞれに発展していく。

5-(4) そこにある空間に頼っているインスタレーション
 高い天上から自然光が差し込む単一色の大きな壁をもつ部屋なら、ほどんどの作品は美しく映える。これらは熟考されたインスタレーション作品と区別しなければいけない。展示スペースに合わせて作品を考えることは大変良いが、作家の狙いとは無関係な部分で嗜好を凝らすことは、鑑賞者を煙りにまくための作品づくりであると言わざるを得ない。

2009年12月20日公開

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