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  忘れられない時間  

                 (上)空港に向かうオート3輪の中で

    写真集『ラオスの人々 』


    私の日記 1月2日

 何とかなるさ
 
目覚めるとカーテンを静かに開け、ロウソクを灯した。荷物の整理、そして、日記を書き始める。私の心配はただ一つ。
「香港6日発の飛行機に乗って、日本に帰れるかどうか。」
時間があれば、ここに2、3泊したい。できれば民泊して、ゆっくり舟でメコン河を下っていきたい。しかし、常識から考えて、ここはラオスの最北端。幸運に恵まれなければ、4日後に香港にたどり着けないだろう。ラオスの首都ビエンチャンだって、遥か遠方だ。

 ラオスのラーメン
 西岡さんと朝食。ラオスで、初めてのラーメンは、旨かったぞ。
 スープは、ミンチの入ったチリソース。平ぺったい麺の上には、スクランブル・エッグ、青菜と白菜、それに、トマトを炒めたものが乗っている。
「味といい、色といい素晴しい。」
中国元で払った。10元(140円)。
 それから、両替のために銀行へ直行。
 次に、空港に走る。
香港、バンコク、あるいは、日本への航空券を手配するためだ。

 緑の空港
 確かに、この村には空港がある。
 しかし、ジェット機かプロペラ機か分からないようなものが、週に何便か飛んでいるだけ。さらに、所長さんは良い人だが、英語もスペイン語も通じない。
「がっちょーん。」
やっと、中でぶらぶらしている人の中に、英語のできる人を見つけて通訳してもらった。すると、今日14時発『ルアンパパーン行き』の便があることが分かった。
しかし、こうなると、もう少し滞在したくなる。
「他の航空会社の便はありますか?」
と尋ねたが、
「分からない。」
と言う。そこで、Air Aviationの住所を書いてもらい、タクシーで訪ねた。
 しかし、香港、あるいは、日本行きのの便の予約は不可能だった。
「短い滞在だったなあ。」
西岡さんともお別れである。

バスもチェックしたが無駄だった。

 残された70分
 
私達は、市場に迷い込んだ。眉毛のない女<写真>、今まで見たことのない少数民族がたくさんいた。この市場は、私が見た中でも数少ない素晴しい市場だ。
「朝、来たい。」
私は、もう一度ここに来れることを心から願った。
 ところで、私は市場でシャンプーを買った。
「メコン河で洗髪したい。」
が、時間がない。
「残念。無念。」
 残された時間を写真にとどめたい。
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 もう少しで、アウト
 
12時。駆け足で宿に帰り、シャワーを浴びた。髪も洗った。西岡さんは、
「本当に、飛行機が来るのか見てみたい。」
と言って、見送りに来てくれた。
「嬉しい。」
ところが、空港に着くとびっくり。
「西洋人が、一杯いるじゃないか!」
しかも、飛行機の残席が無いようで、
「お前のチケットは、無い。」
と言う。
「そんなばかな。」
しかし、
「お金をだせば、搭乗券をやる。」
と言う。もう、全然わけが分からなかったが、とにかく、正規料金で塔乗券が手に入った。
「チケットなんてどうでもよい。飛んでしまえば、勝ちである。」
すっかり安心した私は、滑走路の見える位置にどっかりと座り込んだ。タクシ乗り場で買ったビスケット、魚と黒豆の缶ずめを取り出し、杏のリキュールで、最後の乾杯をした。凄い取り合わせだったが、美味だった。
 そして、飛行機に乗り込んだ。
 がらがらの席の中から、飛行場の見える席を選んだ。
 西岡さんと目が会った。
「彼との日本での再会が楽しみである。」

 カットされたルアンパパーン
 
15時10分、ルアンパパーン着。しかし、飛行機の外に出ると、小さなジェット機が『ゴーー。』といっているではないか。ラオスの首都、ビエンチャン行きに違いない。私は、すぐに、その飛行機に走り、
「乗せてくれー。」
と叫んだ。ジェット噴射の音で返事が聞こえないのか、私の言っていることが分からないのか。もう一度、叫んだ。
「乗せてくれー。」
帰ってきた返事は、
「ここに荷物を載せろ。」
『うっ、ひょー。ラッキー。』と、思ったのも束の間。向こうから、英語の堪能な男がやって来て、
「搭乗券を見せろ。」
『ギク。』そんなものはない。まあ、当然のことだが
「駄目。」
と言われ、
「あっちのビルに行って、チケットを買って来い。」
と言う。私は、走った。何しろ、この便を逃したら、次は、何日後か分からない。しかも、この街ルアンパパーンは、機内の窓から見ただけで十分だ。『もう、絶対、あの飛行機に乗ってやる。』しかし、ビルの中には、またまた、西洋人が、溢れ返っている。今度は、日本人らしき人物もいる。『がびーん。もう駄目。』が、なんと、窓口でビエンチャン行きの便を尋ねてみると、
「今日、これから、2本ある。」
と言う。『ふー。』体中から、力が抜ける。私は16時発のチケットを手に入れた。思いつきでラオスに来ると、馬鹿みたいに右往左往する。

 ルアンパパーンの空港で出会った人達
 
初めて見たとき、
「この人達は、旅人だ。」
と思って声を掛けた。やはり旅人だった。早稲田大学O.B.の山浦さん、北村さん。
 ビエンチャンに着くと、タクシーでこの街一番の Lane Xang Hotel に向かった。そして、大きなツインのへやにエキストラ・ベッドを入れて、3人で泊ることになった。私は、
「そのベットにします。」
と申し出たが、さすが、旅の達人。ジャンケンになった。敗者は、北村氏。が、このエキストラベットが、悲惨だ。制服を着たポーター2人が、ドアを、
「コン、コン。」
と叩いて、入っくる。持ってきた物は、錆びが浮いていそうな、ベットの形をしたスプリング。ここで、北村氏は、
「まじ。」
という顔になる。その上に厚さ20センチのマットレスを乗せると、ポーター二人が、糊の効いたシーツを、『ピッ。』とひいた。手で押すと、『キコキコ』いう。北村氏が怒るのは、当然である。しかし、若いポーターでは、話しにならない。彼はフロントまで行き、支配人まで呼んできたが、どうにもならない。
「おー、こわ。ジャンケンに勝って、よかった。」

 夕食は鰻鍋
 その後、3人で、夕食に出かけた。メコン河沿いに歩くと、対岸にタイが見える。これだけ近くに見えると、ミャンマーとタイに国交が無かったなんて、信じられない。泳いで行けそうだ。
 私達は、タイの街の夜景を見ながら晩餐を楽しんだ。
「私は明日、タイへ行く。」

 立派なお方
 私は疲れていたので、先に眠ってしまった。
12時過ぎだったのだろうか、彼らの友達がやって来た。短パン、半袖、サンダル、手にはコンビにの袋を持っている。この姿で、日本から来たそうだ。
「さすが、早稲田大学O.B.には、立派な方がいらっしゃる。」
と思った。彼とも、話がしたかった。

                 
 飛び続ける運命          
<私の日記 1月3日>
 
朝、目覚めると、、山浦さんと北村さんは、もう出発していた。しかし、偶然にも、ロビーで、別れの挨拶ができたので良かった。私は、ホテルで朝食を済ませ、そのまま、ラオス航空のオフィスに行き、チケットの手配をした。ここまで、飛び続けたんだから、『ついでに、ホーチミンに飛んでやろう。』と思ったが、結局、時間の関係で、バンコク行きしか、買えなかった。また、バンコクで、日本か香港行きのチケットを手配しなけれなならない。

 ビエンチャンを走る
 飛行機は、14時発なので、時間がある。私は、自転車を借りて、朝市を見に行った。市場はたいしたことなかったが、酒盛りをしている若い女の子達を撮影しようとしたら、私も、酒を飲む事になった。ウイスキーをストレートで2杯飲まされて、いい気分になった。それから、近くにあった寺院2ヵ所を回ったが、普通だった。そして、ホテルに舞い戻り、絵葉書を100枚買った。今年は、まだ、年賀状を書いていないから、これで胡麻かす、つもりだ。。チックアウト12時寸前、ホテルに戻ると、タクシーで空港に向かった。財布には、2550キップしか残っておらず、私は、メーターの料金より、随分、おまけして貰った。それでも、わざわざ、私を呼び止めて、『グッド・ラック。』と言って笑った、運転手の笑顔が忘れられない。

※ 続いて、私の日記(3日)
『バンコクにて』
をご覧ください。

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