クロッキー F 美術館

第1章 クロッキーの描き方(基礎)
写実を進化させる
現実って何?

1 写実という日本語
 日本語の『写実』は、英語で『リアリズム』、フランス語で『レアリスム』と訳します。写実は文字通り「実を写す」ということですが、「写す」は「実」を写す(描く、描写)することなので、さくっと理解できるのではないかと思います。問題は実。現実とは何か! これがこのページのテーマです。

2 一般的な「実」
 一般の人々は「自分の網膜に写ったものが実(現実)である」と感じています。写実的なデッサンでは「その現実を写すこと」を目的にしています。

3 デッサンが求める「実」
 「現実を正確に描くこと」をデッサンといいます。もう少し詳しくすると、「ある場所から見た『網膜に写った像』をそのままを平面上に描くこと」をデッサンといいます。そして、物体の位置関係や大きさが違うとき、「デッサンが狂っている」といいます。したがって、デッサンが求める「実」は、描き手の場所によって変わるもので、対象に近づけば大きくなり、上や下から見れば形や陰影が変わります。つまり、デッサンが求める「実」は、ある位置から見たときの網膜に写った像、ある位置からカメラが写した像と同一です。

4 網膜の像は本当に実なのか?
 あなたや私の網膜に写った像(カメラに写った像)は、日常生活をするときに役立つ現実です。万人に共通する現実です。しかし、私はそれが唯一絶対の現実であるとすることに不満です。違和感を感じます。最近は、3Dの映画が登場し、立体動画がとても身近な存在になってきましたが、私はそれを現実とは違う芸術作品であると強く認識しています。最先端を研究する技術者は、私たちの脳へ完全な3次元空間を感じさせる電気信号を送りろうと努力しています。自分の目で見た現実(網膜に写った像)と同じ電気信号をつり出そうと、世界各社がしのぎを削っています。

5 私が大切にしている現実
 クロッキー中の私がもっとも大切にしていることは、モデルと私の存在そのものです。ある時間、ある場所、ある関係で存在していた現実です。網膜に写ったモデルの映像だけで満足することは、絶対にできません。私は、そこに存在した全て、モデルと私が共に創造した全てを描き、作品とし、残し、未来に公開したいと考えています。

6 進化する現実
 のように「実」を定義すれば、現実がモデルや作家とともに成長し、表現方法も同時に進化していくことが理解できるでしょう。網膜に写る像は同じでも、視点を変えれば「実(現実)」は変わります。クロッキーが上達するということは、現実を捉える視点が増え、表現方法が多様化することです。

7 クロッキーFは現実だけを描く
 私のクロッキーは写実です。現実を良くみて、ありのままを描きます。私はそこに在るもの、できるなら、現実や真実を超えたものを描きたいと願っています。それが、私の写実であり、クロッキーFです。これは空想や妄想とは無縁です。私は自分自身を鏡ような存在であると認識しています。

8 本物そっくりには興味がない
 私は、本物そっくりに描くことに興味がありません。「そっくり」は、本物ではない『似せもの』だからです。何度も繰り返しているように、私はカメラと同じ映像には興味がないのです。カメラと同じものはカメラで良い、と思っていますし、そもそも、カメラは網膜に写る「いわゆる現実(3次元空間)」を超えた平面(2次元空間)を私たちの網膜に提示する」という、絵画にはできない可能性を持っています。写真のような自然(風景)や人物、『似せもの』は不要です。私は自然や人物を求め、それらをクロッキーしたり写真に撮ったりしています。

9 関連ページ
 ・ クロッキーとは、Fって何?

2010年2月15日公開

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