第4章 Fのクロッキー技法
モデルを光源として見る1 モデルは光の当て方で変わるのか
下の写真5枚を見て下さい。モデルは同じでも、光の当て方によって『見え方』が変わります。昔の西洋画家は、光が安定している北側をアトリエにしたそうですが、それでも光線は時間によって変わります。蛍光灯で描く現代の人は、光源について深く考えていないか、光源を意識する必要のない作品を製作しています。古典的な日本画は陰影がありません。
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2 写真における光の役割
写真は光によってモデルをあぶり出す、と考えることができます。モデルは光を発しない、そんな当たり前のことを意識するだけで、上の黒背景の写真は存在価値を放ちます。暗黒の宇宙に埋もれるモデルを救い出す感じです。これに対して、白背景で影をつくらないコマーシャル写真は、『モデルのポーズ集』としては価値がありますが、モデル個人を無視しているような気がしてなりません。美しい完璧な?モデルを使った写真は、『生きているような美』の追求しています。3 デッサンは光の当たり方を描いたもの
本物らしくさを追求するデッサンは、写真と同じように『光の状態』をとても気にします。初心者は正面斜上から柔らかい光を当て、モデルが自然に見えるようにして描きます。上の写真では、左端がもっとも自然に見える位置になります。光を感じないデッサンは不合格、と言われます。デッサンの最重要課題の1つは、角度が異なる2つの面が接する場所では明確に、曲面ではゆるやかに、モデルの明暗を変化させることです。 関連ページ:4つめの条件としての光(デッサンの描き方から)4 一瞬の動きをとらえるクロッキー
クロッキーで、光源に左右されるのは馬鹿げた話です。確かに、陰影をキッカケにして正確な表現を心がけることはできますが、それはモデルの本質的な美しさとは違うからです。光が必要なら、作者であるあなたが頭の中で作り出せば良いことです。その光源によってできる陰影を正確に表現することは難しいと思いますが、短時間のクロッキーは大きな陰影を掴めば十分です。5 光がモデルから溢れている
モデルは光そのものであり、モデルから光が溢れ出ている、と私は考えています。物理では太陽や電球のように自ら光を出すものを『光源こうげん』といいますが、モデルは光源の1つです。最新の物理学は、光は『光子こうし』という小さな粒、電磁波の1種類として考えていますが、それに通じるものです。私は、自分の心身がモデルから出るエネルギーを感知できる、と考えています。そして、この主観を客観的な事実として積み上げようとしています。すでに私と同じように感じている作家がたくさんいるだでけでなく、私や多くの作家が描いたクロッキー(作品)がその動かぬ証拠です。6 モデルの光は遷うつろう
ウツロイゆくモデルの美しさを捕らえましょう。生きているモデルの美しさは永遠に続くことはありません。描いているうちに、3分のうちにもエネルギーを放出し、新たなエネルギーの充電を必要とします。生きることは死ぬことと等価です。なお、モデルと作家の相互作用については、別ページ『』をご覧下さい。7 光には強さと色がある
光はいろいろな部分から出ていますが、部分によって光量、出す色、方向などが違います。8 私はモデルそのものをクロッキーしたい
私は、モデルそのものを描きたいです。外からの光に左右されない、モデルの輝きを描きたいのです。その輝きは科学的に肉眼で見える『光による刺激』ではありませんが、私はモデルそのもから溢れ出るエネルギーやパワーを感じ、それをクロッキー作品として表現したいのです。そのためには、モデルが放つ光を感じる力を磨き、より微妙な光を感じることができるよう努力する必要があります。モデルは光そのもの、それが私のクロッキーFです。note
外光を意識しない点で、私のクロッキーは古典的な日本画と通じる2010年4月5日公開