このページは『Mr. takaによる、若手教師のためのワンポイント・レッスン』です。

第10章 子どもとは何か

1 私には分からない子どもの人生

─気持ちは分かる、と言ってはいけない─
2007 june 17

 問題を抱えている子どもが本当に必要としているのは、無条件に話を聞いてくれる人です。もし、あなたが聞き手になるチャンスを掴んだなら、黙って「うんうん」と聞いて下さい。話している内容がさっぱり分からなくても構いません。子どもが求めているのは、一生懸命に聞いてくれる人です。あなたは、問題を理解できなくても構わないし、「君の気持ちは分かる」という必要はありません。

 ここで問題にしている子どもの悩みは、一般の大人が経験できない悩みです。例えば、両親の身勝手で保護者が不在になっている子どもです。このような生活環境にある子どもの悩みは、一般的な教員には、本当の意味での理解はできません。もちろん、私も理解できません。自分が経験したことがないものは、黙って聞くしかないのです。

私には理解できない人生を歩んできた子ども達
(1)自分が生まれるときに、母親が亡くなった子ども
(2)両親が喧嘩して2人とも行方不明になり、祖母に育てられている子ども
(3)借金が膨らみ、夜逃げして転校してきた子ども
(4)小さな夜の酒場で働く母親を手伝い、その調理場で寝泊まりする子ども
(5)朝食を作ってくれる人がなく、しかも、作る金もない子ども
(6)夕方家に帰っても、365日、誰もいないことが分かっている子ども
(7)幼い時の不慮の事故で、後遺症をもっている子ども
(8)継父から身体的な虐待を受けている子ども
(9)母親が若い男性と毎晩過ごす小さな部屋で生活する子ども

 上の例をみれば分かるように、その多くはあなたにも理解できないと思います。自分が同じ経験をしなければ、本当の意味での理解はできません。軽はずみに、10分や20分話を聞いた程度で、「君の気持ちは分かる」というような大人には、もう2度と本心を話さないでしょう。あなた自身が経験したことがない環境で育った子どもに対しては、「先生は分からないけれど、かなり辛いんだね」と言うのが精一杯だと思います。

 基本的に、生徒の気持ちや心は理解できないことを、あなた自身の肝に命じて下さい。そうすれば、子どもの話を本気で聞く態度ができるはずです。また、「君の気持ちは分かる」という言葉も封印しましょう。例え、分かったような気がしても言ってはいけません。私は絶対に言いません。自分が同じような体験をしていた場合は、自分の個人的な特殊な体験として、その話をします。そのような話ができた場合は、子どもの心はぐっと近づき、問題は解決に向けて大きく前進します。

 逆に、「君の気持ちは分かるけれど、@@してはいけないと思うよ」と言うのは、少なくとも10時間以上、黙って話を聞いた後のことです。良識がまったく欠如しているように見える子どもでも、本心から悪いことをしていることは多くありません。自分の心に「わだかまり」をもっていることがほとんどです。苦労をしている子どもは、あなたよりも誰よりも、常識や良識や普通であることを求めています。

 もし、子どもが全く問題意識を持っていないとすれば、もはや、普通教育にたずさわるあなたの守備範囲を超えていると判断すべきです(勿論、人として絶対に許されないような行為に対しては、毅然とした態度で厳しく注意、制止します。相手の話を聞く必要は一切ありません)。あなたには、他にもしなければならない仕事がたくさんあります。自分が経験したことがない、しかも(大学で)専門の勉強をしたことがない、極めて特殊な例に入り込んではいけないのです。あなたを必要としている子どもを見て下さい。

 くり返しますが、子どもを理解する上で大切ことは、子どもには子どもの人生があり、それはあなたが経験したことがない人生であることです。子どもだからといって、なめてはいけません。苦難の環境で生活している子どもは、すでに、あなたに対して人生のアドバイスを与えることができる存在かも知れません。ただ単に、言葉で表現する能力が十分に育っていないだけで、経験と感受性は遥かに人生の師といえるのです。

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(C) 2007 Fukuchi Takahiro