このページは、Mr. takaによる若手教師のためのワンポイント・レッスンです。

第3章 理科の授業

自然って何だろう

 理科は物化生地の4分野に分けられますが、それらの共通点は自然です。理科は自然を対象にした科目です。しかし、自然とは何か! これは私にとって超難問です。

1 人が認識できるもの
 自然は、人が認識できるものの一部、または、人が認識できるものの全てです。よく考えてください。認識するのは人であり、自然とは関係ありません。誰もその存在に気づかないなら、それは存在しません。つまり、自然は人が認識できるものです。

2 数値化できるもの
 自然=物質とするなら、自然は数値化できます。さらに、物質間の関係を法則として数式で表したり、時間による変化をグラフで示したりすることができます。

3 物質の現象を表すための物理法則
 さまざなな自然現象を数学的に説明できる物理法則は、物質とは関係ない、と私は感じていました。例えば、ニュートンの運動方程式(F=ma、力の大きさ=質量×加速度)は物質と無関係にように感じていました。しかし、よく考えると、その対象は物質です。物理法則の数式は、物質の現象を客観的に示すための道具です。数式は、日本語や英語などの言葉と同じように、いろいろな事象を表現するための道具です。言語との違いは、明確に定義されているものを使って説明しようとする姿勢がある、ということです。この姿勢を科学といいますが、科学の対象は自然だけではなく、人類の活動すべてを科学の対象にすることができます。

4 感覚的にしか区別できない1つの生物
 『生きる物』と書く生物は、まわりの物質と明確に区別できません。顕微鏡レベルで観れば、あなたの皮膚の表面はいわゆる生命現象をしていない垢(あか)、という物です。分子レベルなら、あなたの肺をつくる毛細血管の細胞膜は、肺胞内の酸素や二酸化炭素液を物質交換しています。つまり、あなたの表皮はどこまで生きているのか、肺に取込んだ空気は自分自身といえるのか、その境界線を引けないのです。できるとすれば、それは感覚的な区別です。生命現象は、生物を構成する物質の現象です。

5 熱エネルギーの法則に逆らう生命現象
 私の感性が眠れないのは、生物が熱エネルギーの法則に逆らっているからです。生物は自らを維持します。物質代謝します。自己複製をします。これらの活動は、私には不自然で不自然で仕方ありません。DNA複製やいろいろなイオン交換などの微細な現象は、それぞれ物理法則にしたがっています。しかし、それが生物という巨大な個体になると、途端に、全体として熱エネルギーの法則に逆らうのです。何がどこで反転するのでしょう。これは私の感覚の問題なのでしょうか。

6 生物は、自然と隔絶した奇跡
 私の直感は、生物を自然として認めようとしません。春の芽生えや生命誕生は奇跡。自然と隔絶した感動そのものです。自然は生ではなく、死。形あるものがそれを失っていく無常に自然を感じます。これは私が日本という国で生まれ育ったからでしょう。自然は私に畏怖を抱かせるもの、熱エネルギーの法則にしたがい時間とともに失なわれるものです。その一方、私の直感はその真逆も同時に認めます。生き物こそが自然である、と主張しています。生命力、どのような環境でもあらゆる可能性を試みる現象に自然を感じます。以上のような矛盾は、『形を失うためには形をつくる必要がある』ことから発生すると思います。この考えを延長すれば、私にとっての自然は、形をつくったり形をうしなったりする現象すべてです。ブッダの言葉『色即是空 空即是色』と重なります。

7 人の精神は、自然の一部
 人は社会科、ヒトは理科で使う言葉で、両者は物質からできている点で同じです。自然と人を対極とする考えがありますが、私の直感はそれを拒絶しています。人は明らかに自然の一部であるように感じます。人の精神は(形而上の)思考もできますが、物質にもとづかない思考は存在しないからです。人の精神が利用する道具、言葉や数字や直感などはすべて物質を表現するためにつくられたものです。愛、神、正義なども、物質の現象の表した言葉です。私にとって、それらは自然を表す道具の1つに過ぎませんし、愛も神も正義もそれ自体が自然の一部です。

2012年5月31日

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