このページは『Mr. takaによる、若手教師のためのワンポイント・レッスン』です。 |
第6章 社会性と育む自然な争い
9 1995年頃の徒党を解体する方法
ここでいう徒党は『問題を起こす集団』を意味します。
1 1995年頃までの徒党
徒党を組むためには、徒党内のルールが必要です。そのルールを守れる者だけが、徒党の一員になれるからです。そのルールは時代によって変わりますが、1995年頃までの徒党には、年功序列(後輩は先輩にしたがう)、弱い者は虐めない、がありました。それは、互いの連帯感を生み、心でつながっていました。もっと古い時代の徒党は、先生集団と対立することなく、互いに共存できるほど大人顔負けの厳格で人間的なルールを持っていました。2 2010年現在の徒党
しかし、時代とともに価値観が多様化し、徒党内のルールが失われてきました。喫煙や万引きなどの犯罪を犯す生徒達は、その犯行の目的ためだけに集り、犯行後は何もなかったように解散します。そして、次の悪事をするとき、新しい集団が形成されます。たまたま近くにいただけで参加してしまうこともあります。いじめも同じようにして発生するので、A君を虐める時とBさんを虐める時では、メンバーが違います。このようにメンバーが毎回変わる徒党集団においても、中心人物はある程度固定しているので、問題解決策はあります。3 1995年頃まで有効だった方法
ここで、私の経験にもとづく1995年頃までの『問題を起こす集団を解体する方法』を紹介しましょう。現状と合わないこと、現在では不適切な表現がありますが、今でも有効な考えや方法がたくさん含まれているので、ここに公開します(執筆したのは2003年3月です)。
問題を起こす集団を解体する方法(1995年頃まで)
徒党を組む中学生集団を撃退する唯一の方法は、そのヘッドを潰すことである。ナンバー2やナンバー3をやっつけても何ら意味がない。どんなに手強い相手であっても、狙いはただ1人、その集団のヘッドである。そいつが恐いからといって、ナンバー2を厳しく指導しても全く無意味、時間と体力の無駄である。まして、簡単に指導できる「パシリ」から指導するのは愚の骨頂である。力の序列をもった集団は、そのヘッドを牛耳らなければ何回でも再生する。逆に、他の数10人に及ぶ問題行動を起こす生徒集団は、たった1人の生徒を指導下におくことで、全員指導可能になる。
ヘッドが通常の教育的方法で対処できない場合、専門の機関に任せるより方法はない。普通教育には限界があるこをと忘れてはいけない。私たちには指導の限界がある。教師にできることは有限であることを肝に命じておかなければならい。
さて、上記の徒党集団解体法は10年前まで有効だったが、2003年3月現在、その手段を使う場面がなくなってしまった。徒党集団の質が変化したからである。まず、ヘッドがいない。10年前は『番長』あるいは『番を張っている者』がいたが、今は無くなってしまった。番長を引き継ぐための厳しい儀式(しきたり)を通過することを嫌ったり、先輩後輩という上下関係が希薄なってしまったことが原因であろう。
この新しい集団の問題点は、誰もが自分が1番だと妄想を持っていることだろう。あいつが1番でオレが2番という感覚はない。その連鎖反応の結果として、弱い者が弱い者を虐める連鎖が際限なく続いていく。5年前なら、番長がいい加減なところでストップをかけていたが、今はとどまるところを失ってしまった。先輩後輩の中にも、同年齢の中にもブレーキが存在しなくなった。かといって、教師や大人の中に、そのブレーキがあるか言えば、はっきり言って存在しない。まさに、ノンストップの転がる先を知らない苛めの連鎖社会なのである。
ブレーキを失った原因は、次のようにいくつか考えられる。
(1) 少子化による家庭内の過保護
(2) 共働きによる幼児期の愛情不足
(3) 父母の権威失墜
(4) 教師の権威失墜
(5) 教師の教育技術低下
※ 教員の新規採用法を改善する必要があるこんな現状にあっても、問題が日常的に発生する学校現場では、できる教師ができることをしなければならい。
2010年10月25日
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