このページは、Mr. takaによる若手教師のためのワンポイント・レッスンです。

第8章 職員室での対人関係

 一枚岩の危険性

2007 june 14

 一枚岩は、一枚の岩からできている丈夫で強くて美しくて高価で貴重な岩です。その反面、規則正しい結晶構造ゆえに、小さな衝撃によってバラバラに崩れさる危険性があります。


 一般に「落ち着いた学校を維持するのは大変だけれど、一旦荒れはじめると崩壊するのは速い」と言われますが、その原因は簡単です。つまり、学校内の指導体制が、規則正し過ぎるからです。ダイヤモンドは硬い物質ですが、特定の方向にはとても脆いのです。

 学校はそんなに美しいものではありません。さまざまな家庭環境で生活する生徒が集って学習する場所です。両親が毎朝怒鳴り合っている家庭から登校している生徒は、どれほど傷付いているでしょう。学校の先生には、何もすることができません。2人の男女の間に入って、「貴方達のつくった子どものために」と言うのは、至難の技であり、具体的に問題を解決させることまで教員の仕事とするのは行き過ぎです。

 過ぎたるは及ばざるがごとし、ということです。真面目で若い先生が多い学校ほど、この危険性があります。その点、私のような不真面目な先生いる学校は、小さないざこざや不平不満はあるけれど、一気に崩れることはありません。

 完璧な結晶構造をもつ『鉱物』は高価で取り引きされます。優秀な教員は、そのようなものを求めがちです。何故でしょう。私は、その原因をつまり、若い先生がたくさんいる学校は、美しい規則や構造を持っていますが、その強い構造や団結が災いとなることもあるのです。

 私は、新卒の頃、定年間近の先生から「わしは、いつも他の先生と違うことをする」と話してこもらいました。以来、私は、この教えを守っています。多くの教員が正門に並んで「おはようございます」と言うなら、私は正門から外れて位置に立ってみたり、正門に立つなら「今日もお疲れ様です」と声をかけてみたり、とにかく他の教員と違うことをするように努めています。

 私個人としては、安価なベニヤ板より、天然の一枚板の方が好きですが、教育現場では、あえて安価な『ベニヤ板(安価で、人工的に生産できる合板)』になることに徹します。私の存在は不純物であり、結晶の美しさを損ねるものですが、教育現場では必要なものであると確信しています。

 これと同じように、学校の基本方針の骨格は絶対に必要ですが、実際の場面では、先生個人の個性を十分に生かしたものでなければ、すぐに破損します。

 建築物に例えると、基本方針は建物の骨格にあたります。骨格がなければ、大きな建物は成り立ちませんので、絶対に必要です。しかし、骨格は同じ方向では地震にたえることができません。斜めの骨格、縦揺れや横揺れを吸収する免振装置、などが必要です。

 これと同じように、本当に強い職場にはいくつもの個性があります。個々を見るとまるでばらばらだけれど、何か合った時には大変強い。そうした職場が私は理想だと思います。

 しかし、学校の基本方針の中に、細部を規定し過ぎている学校が多く見られます。何もなければ、それは学校として美しい一枚岩と言われますが、何かあると一瞬で崩れ去ります。

 私はいつも他の先生と違うことをするように心掛けています。そのため、一枚岩の職場からは異端児扱いされますが、「学校が一瞬で崩壊する」なんて危機を感じたことはありません。崩壊しそうになったら、外部にいる私が警鐘を鳴らせば良いからです。

 このように、末端の現場で働く先生は、しなやかに個性をもって自由に指導することが大切です。明確でシンプルで細部にこだわらない指導法方針のもと、若手先生は「若さ」という個性を最大に発揮して下さい。失敗したら、ホローするのが得意な先生がホローしてくれます。

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(C) 2007 Fukuchi Takahiro