このページは、学級通信2年D組『枇杷林檎びわりんご』です。 |
枇杷林檎 184号 2001年2月7日(水)
これは6日(火)授業後に書いたものです。
色 松 尾
色って誰が考えたんだろう?赤、青、黄、緑、茶、黒、金、銀など考え出したら、ず〜とと言えるぐらい多くの色がある。この1つ1つの色を全て、1人の人が考えていったのかなぁ〜。たぶん1番初めに考え出した色は、青だと思う。なんでかと言うと、青空は昔からず〜っとあるからだ。ちなみに、ぼくが1番好きな色は、赤です。それは、燃える男ですから・・・く つ 新井多佳美
今日、朝、学校へ行く時のことだった。わたしは(あ〜。雨だ〜。やだな〜。)とか思いながら学校へと歩いていった。その時っ!私のくつがぬれはじめた!私のくつのなかに雨が入ってきている!うっそー!そっ!そういえば、このくつ!穴があいているんだった!この前、雨の日にこのくつを絶対はかないと思っていたのにっ!しかし、今さら家に戻ってくつをはきかえてくるわけにもいかない!くっそー・・・くっそー・・・。・・・明日は絶対、このくつをはいてこないぞっ!・・・はっ!まてよ!このくつのほかに学校にはいていける白いくつってあったっけ?ないじゃん・・・。う〜・・・明日っ!雨ふんないで〜!全教科 太郎左エ門
今日は火曜日なので国、数、理、英、社と全教科プラス音楽だ!授業にとりかかってしまえば何とも思わないが、登校中は、「あ”ー今日は全教科あるし、やだな〜。」と思ってしまう。だから、火曜日の登校中の足はもつれている。でも、毎週この日を乗り越えてしまえばもう安心。今 日 今川君
今日のことは、朝遅刻したこと。8時35分に起きた。あ〜ぁ遅れた。
火曜日は毎回こんな感じだ。でも、なおすことはできないから・・・・・・。。読みたい 加納良枝
「よく1日で(小説)2冊も読めるね。」と今日たか×2に言われた。正確には1冊半で、残りは学校の放課に読んだ。けど、推理ものというのは読み始めると止まらないし、途中読みにすると続きが気になる。読みたいから読む!!(欲ぼーのまま生きるタイプなのね私って・・・。)ペンネーム 花子左エ門
今日のペンネームの由来は太郎左エ門さんです。対抗して花子左エ門にしました。っていうより、Nに「そうしろ!」って言われた。自分がそーすればいいのに。あと、今日はジャンケンの運がよかった。国語の時間はAさんが楽しかった。だって、「イレイザー(消しゴム)」と連発していたから。ハプニング続き! 沢田祐ノ介
理科の時間にハプニングが立て続けて起こった。それはH君が氷をこぼしたり、なぜか知らないけどU君のおふざけでH君を怒らせて(?)しまい、H君は1人で実験を続けた。よりによって何でこうも立て続けに起こったのかわからない。チューリップ 松田隆幸
前回書いた時より、あまり成長していない。初めだけだった。ぼくは、後から成長したほうがいい。なぜなら、後のほうが伸びたように見えるから。チューリップ レモン・バーム
教室のチューリップが咲き始めた。春より1足先に花が咲くみたい。
咲いたら気分は春。チューリップ2 は ち
咲いた咲いたチューリップの花が・・・
赤と黄色がまじってきれい。いい色。今 日 豆まき
今日みーちゃんとイスとりゲームっポイことをした。くだらんケド楽しかった。そのイスとりゲームの名は、かずおとりゲームです。あははは。名前はおもいついたから・・・。かずおクン FINE
私のイスの名前は『かずおクン』である。どうしてかというと、
・・・なぜでしょう。ビークンが考えたからな・・・。インターネット カメレンゲ
2月4日、友の家で福地先生のインターネットの日記を見た。
8時半にコメダと書いてあったが、どこのコメダか教えてもらいたい。寒い日の話 ホットマン
なかなかあったかくならない今日この頃。氷を使ったときにはもう、手がマヒしてカチコチだ。こんな日にプールにはいったら、どうなるだろう。たぶん私だったら心臓麻痺で病院に行ってしまうだろう。冬にプールに入る人もいるらしいが、その人はスゴイなぁ。無敵だなぁ。プールの話題でもう1つ。今のプールは緑色+青色。プールと思うと汚いけど、海と思って見ると・・・とっても美しいよね。ダウン フ
日曜日から、勝行が熱でダウン。医者に行ったら、カゼと診断された。夜中にまた病院行ったし・・・大丈夫かな。去年も、2月にカゼひいた。そん時は、ひきつけまで起こして入院した。また、そうならなきゃいいけど。この時期は勝行にとって、油断できない時。来年も気を付けないと心配!!バレンタイン・デー 千鳥生
みんなは誰にあげるのかな?お父さん、おじいちゃん、兄、弟。そして・・・。??どーなってるの?そのへんは・・・?〈〈笑〉〉
話の玉手箱9 チョコレートとバレンタインデー
チョコレートの売れ行きが急増する、2月のバレンタインデー。女性も男性も心なしか落ち着きを失うバレンタインデー。ほんとに聖(セント)な日のだろうか?ことの始まりは1958(昭和33)年、女性から愛の告白ができるバレンタインチョコと称して、当時の若者の街、東京・新宿のデパート伊勢丹いせたんで売り出された。しかし、最初の年は3枚、170円しか売れなかった。爆発的に売れ出したのは、1960年にバレンタインチョコに大手製菓メーカーが目を付け、女性週刊誌に、「OLの95%、中高生の68%がチョコを贈っている。」という内容で大々的に宣伝してからである。バレンタインチョコを仕掛けたのは、チョコレート専門店の若い経営者だったのである。商業主義に踊らされないよう、くれぐれもご注意を!と言いつつ、ついつい期待してしまう私でした。
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