私の日記 8月4、5日

                 1997 08 04(月)晴れ
 ==◎今日の日程======================
 終日:移動 カンパラ(大型バス)→カバレ
           (大型バス)→キソロ
                           キソロ泊
 ==============================

 

  5時40分起床。
  日記を書く。これからの予定を考える。
  ・ 『幻の山ルエンゾリ』は雨、     と判断。→行かない!
  ・ 『セセ諸島』はブゴンドウと大差なし、と判断。→行かない!
  ・ 『ゴリラツアー』              →行く!

  決まったら、早速パッキング開始。シャワーを浴びる。

  7時半。
  朝食となる『ビスケット』を買い、『カバレ』行き大型バスに乗る。
 料金は11000Ush(1300円)。

  8時半出発。
  途中、とてもひもじい。
  焼きバナナを、1本200Ushで買う。隣の女が、
 「それは100Ushだよ。」
 と教えてくれる。

  次に停車した村では、ジュース(500Ush)と肉を詰めた揚げ物
 (250Ush)を買う。
 「美味しい。」
 値段は、隣の女に教えない。
 
 (写真上:バスの車窓から。ここには物売りが写っていない。)

  午後4時。
  『カバレ』の手前の検問所で、『キソロ』行きのバスに乗り換えた。
 追加料金5000Ushを払う。
 「運が良いでしょ。」
 「しかも、一番前の席。」
 「隣はかわいい女の子と美人な母親。」

  午後5時半。
  『キソロ』着。バス停前のパーク・ビュー・ホテルにチェック・イン。
 シングルで3000Ush。
  それから、女主人に国立公園の予約事務所まで送ってもらう。
 「ありがとう。」
 だけど、今日は閉まっているととが分かった。
 「明日、早朝に来よう!」

  それから、散歩。

  バーがあったので、入る。
  ビールを飲む。
  黒人女性とゆっくり話すのは初めてだ。緊張する。
    (注:この女性も、お客さんです。)

  それから、宿に帰って食事。
 「まずい。」
  ・ チャパティー
  ・ 卵焼き
  ・ 肉の煮物
  ・ チャパティーを揚げたもの
 これだけで2100Ush。
 「最悪。」

  そして、寝る。
 

                1997 08 05(火)晴れ
 ==◎今日の日程=======================
 午前: キソロ小学校訪問
 午後: ムガヒンガ国立公園に行く
     ゴリラツアー参加に失敗
                 ムガヒンガ国立公園前のロッジ泊
 ===============================

  とても素晴しい情報のおかげで、これから24時間以上も無駄にす
 ることになる。旅の途中には、こういう事もある。

  7時起床。
  ゴリラツアーの準備をして予約事務所へ。しかし、閉まっている。
 「これは予想通り。」
 次に、バス乗り場に行き、
 「国立公園に行きたい。」
 と言う。ミニバイクの男達が寄ってきて、
 「120000Ushだ。」
 「100000Ushだ。」
 などと言っている。
 「1200Ushじゃないの?」
 と言っても、8000Ushにしかならない。
 「高い。」
 「いずれにしても、今日のツアーに参加できそうにない。」
 私は、もう1泊する覚悟を決めた。

  宿に帰り、今日の宿代3000Ushを払う。

  そして、散歩。
 たくさんの小中学生が歩いている。暇な私は、彼等について行く。

 
 (写真上:キソロ小学校の子供達。1、2年生。迷い込んだ
    私は、学校の許可を得て授業参観をさせてもらった。)


 とうとう小学校に入ってしまった。子供達が、
 「わあわあ。」
 騒いでいる。私に、
 “ How are you? ” 
 などと近づいて来る子もたくさんいる。
 “ I am fine, thank you. And you? ” 
 と答えると、もう大騒ぎだ。次から次ぎへ、同じ会話の繰り返しだ。
 
  そうこうしているうちに、朝会の時間が来た。上級生が木の棒を持
 って下級生を追いかけ回す。整列させるためだ。
 「きゃあ、きゃあ。」
 言いながら整列する。
 
  ふと気付くと、私はぽつんと取り残された。先生達はこちらを見て
 いる。こんな時は、堂々と振る舞うに限る。私は、学校長らしき人に
 声を掛けた。彼は教務主任だった。

  応接室の中には、チョークや紙があり、きちんと整頓されている。
 私は、自分も日本で先生をしていることを話し、ウガンダの教育事情
 について質問した。
 ・ 教科書は全員にあるのか?‥‥‥‥‥‥No
           (数10人に1冊程度)
 ・ 学年は、1年単位か?‥‥‥‥‥‥‥‥No
           (ここは小規模なので2学年で1クラス。)
 ・ 先生の給料は?‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥100〜150ドル/月
 
 (写真上:ある児童のノート。左下には植物のスケッチ。
      また、授業のほとんどは英語で行われる。)

  そして、
 「英語と理科、あるいは、数学の授業を見せて欲しい。」
 と頼んだ。彼は快く引き受け、授業の時間割まで入れ替えてくれた。
 そして、私の希望した低学年クラスへと案内してくれた。

  私達は、授業が始まったばかりの教室に入った。彼は、授業をして
 いた女の先生と何やら打ち合わせ。
  そして、女の先生が、
 「起立。」
 と号令を掛ける。全員が起立した。そして、教務主任の挨拶。
 「皆さん、おはよう。」
   →「おはようございます。」
 元気な声が返ってくる。
 「今日も元気ですか?」
   →「元気です。ありがとうございます。」
 低学年なので、力いっぱい挨拶する。
 「では、日本から来た先生を紹介します。」
 そして、大きな拍手。私を黒板前の席に案内してくれた。

  しかし、一礼して座ったのでは、教師としてのプライドが許さない。
 「同業者として恥ずかしい。」
 私も挨拶する。
 「皆さん、おはよう。」
   →「おはようございます。」
 「今日も元気ですか?」
   →「元気です。ありがとうございます。」
 「私は、日本から来ました。一緒に勉強しましょう。では、着席。」
 子供達は見事に着席し、ほっとした。
 
  1時間目は理科。
  先生の教科書を見せてもらったが、実用的、かつ、分かりやすい構
 成。日本の教科書に、まさるとも劣らない内容だった。
  また、本時の内容は『身近な植物、作物』。先生は実物を用意して
 おり、興味ある内容を面白く指導していた。また、喋り方、板書の方
 法、児童の当て方、机間巡視方法など、どの点から見ても日本の教育
 技術と同レベル、あるいは、身体を使った指導(体罰ではないけど、
 、、)をしている点において優れていると感じた。

(ムービー左: 授業と授業の間
   に小学校校歌を歌う。気分
   転換には最高だ。一番最後
   の部分で『キソロ』と歌っ
   ているのが聞こえますか?)
 ※とんでもなく重い。
  ちょっと待ってて、軽くします。

  2時間目は数学。
  今日は足し算の勉強だ。あわせて、Kmとm、Kgとgも学んだ。
  私も、自分の赤ペンを取り出して、生徒のノートに朱を入れた。

 
 (写真上:問題を解く子供。真ん中の子はできない。先生の
      救いが必要だ。)

  2時間が終わると、私は先生と子供達に挨拶をし、応接室に向かっ
 た。そして、丁寧に礼を言いキソロ小学校を後にした。

  再び、ムガヒンガ国立公園事務所に行く。しかし、
 「ここでは、ゴリラツアーの予約はできません。直接、公園入り口ま
 で行って下さい。」
 「そんなバナナ。」

  ということで、宿に戻り、これから出発することを告げた。しかし、
 「今日の宿泊代は返しません。予約金として頂きます。」
 「もう一度バナナ。」

  でも、頑張って2500Ush返してもらった。

  それからバス乗り場で、バイクの運ちゃん達と交渉を始める。なか
 なか料金が折り合わない。そこに、2人の英国人を乗せた車がやって
 来て便乗。6000Ush(700円)/人。40分。

  午後2時。
  ムガヒンガ国立公園入り口着。そこには、テントを張った人が少な
 くとも20人。
 「やばい。」
 この公園には入場者制限があって6人/日。
 「何日待てばいいんだー。」
 この時、私はゴリラツアーを諦めた。

  テントを持っていない私は豪華ロッジを借りる。6000Ush/日。
 そして、ビールを飲んで昼寝。

  夕方7時起床。
  夕食を作ってもらう。そして、レンジャーの観光客用『ギター演奏』
 を聞かされる。
 「今日は、早く寝たほうがよい。」
 

続きを、どうぞ!

私の日記
『ルワンダ入国』
6 Aug 1997

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