私の日記 8月19日(晴れ)
==◎今日の日程=====================
→ 01.00 パ リ 空港で野宿
・ ピカソ美術館前の廃屋見学
・ ピカソ美術館見学
・ 写真美術館
パリ泊
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3:40 眠くないけど寝る
寝袋のチャックを半分開けて寝る
6:40 目の前のベンチから赤ん坊の手が伸びてきて、母親が
それを制止した。彼女は、私がベンチの裏で寝ていることを知っ
ているのだろうか。
トイレで顔を洗うと目が真っ赤で気味悪い
さあ、出かけよう!
無料シャトルバスでRER駅へ
そこで1週間のフリーパス券『カルト・オランジュ』を買う。顔
写真入りで嬉しい。
いったん北駅で降り、ユースホステルに電話した。しかし、電話
予約をしないというので、その足で現地に向かう。そこで沼田さ
んに出会った。彼はヨーロッパを20日間で回るそうだが旅立ち
を決めたのは出発の3日前と言うから驚き。目的は美術館見学と
写真撮影入門と日本人に声を掛けること。
ところで宿のベットが私の目前で一杯。つまり、ここから地下鉄
10分のユースホステルに行かなければならない。
何てこったい!
リュックを背負ったまま沼田さんと朝食(14F)
・ パン、クロワッサン
・ コーヒー
それから、ピカソ美術館に向かう。
しかし、美術館前の廃ビルが面白い。2時間も散策してしまった。
アーティスト、不法侵入者達
この5階建ての巨大ビルは改築、あるいは、ぶっ壊し途中でストッ
プしているようで、不法侵入のアーティスト達3、40人が活動し
ている。くずれた壁、階段、窓、ありとあらゆる場所が彼等のキャ
ンバスとなりアトリエになっている。ある作家に
他にアトリエは?
と尋ねたら
ここが僕のアトリエさ。駄目になったら次を探すよ。
素晴しい返事だ。パワフルな彼等に、また、何とそんな奴らの多い
ことか。わずか数ヵ月に制作された膨大な数の作品と、建物のあり
とあら場所に挑戦するエネルギーには恐れ入る。
ピカソ美術館
ピカソは若きアーティスト達を前にしてくすんで見えた。それは展
示場所の所為である。彼が悪いのではない。
廃ビルはそれ自体がエネルギーを放っている。しかし、ピカソの作
品は美術館に幽閉され、まるで、寺から持ち出された『仏』の様に
空しい。もし、彼の作品がアトリエにあるのなら、それらは光り輝
くであろう。
美術館を出た私達は、写真美術館での再会を約束して別れた
重いリュックを背負いユースホテルに向かう
清潔な4人部屋ドミトリーは快適
シャワーを浴び、横になった
写真美術館
写真美術館の前庭に沼田さんが座っている。声を掛けると30分前
に見終ったそうで、感想は詰まらない。それでも、もう1度一緒に
回ってくれた。
成程、詰まらない企画展から始まった。2階展示室も駄目。3階ま
で上がると、ようやく面白い作品が出てきた。
1つはセットされた背景の前でアフリカ地元人を撮影したシリーズ。
ストロボ3発で写し出された人物は、観る者と静かな緊張感を保っ
ている。彼等との無言の対話は数分間に過ぎないが、私にとって初
めての経験であった。アフリカ旅行ではたくさんの黒人と出会った
が、こんなに深く語り合ったのはドゴンの精神的リーダー『ホゴン
』を除いていない。写された人々は誰も深く静かに私に語りかける。
実際の人々とではなく、写真に写し出された人々と語り合う経験を
したことで、改めて写真の力を思い知らされたと同時に、私の旅の
存在価値について深く反省させられた。
もう1つのシリーズは17歳の少年の自写像。どれもこれもカッコ
良い服を着てポーズを決めて。そして、彼の宙を見る視点と視線、
キュートなお尻はたまらない。
美術館を出た私達はカルチェラタン周辺を散歩、35Fの夕食。
お世辞にも美味しいとは言えない。
21:30 地下鉄の中で別れる
22:10 宿に戻る
4人部屋ドミトリーは電気が消えている
クラビットを飲み、背骨にエパテックを塗った
続きをどうぞ!
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(以下余白)