このページは、旅行記アフリカ南部 2002夏 です |
私の日記
8月12日(月)
快晴
==tour 16: オカバンゴデルタ2日目(ナミビア)=====
早朝: オカバンゴ・デルタ散策1
午後: オカバンゴ・デルタ散策2
デルタ内のキャンプサイト泊
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5.20 起床
6.00 朝食
6.30 キャンプサイト発
今日はオカバンゴデルタ内部にトラックで進み、それから手漕ぎカヌーに
乗り換えてデルタを散策する。
(上:デルタ内にある村)
(上:私はトラックの屋根の上に座り、360度の景観を楽しんだ)
屋上には4席用意されていたが、実際に座ったのは私の他にフランス人男性1人
だけだった。突然あらわれる木々の棘トゲ攻撃と、振り落とされる危険とがある
からである。カメラも私も落ちることはなかったが、私のゴアテックスの雨具に
は、するどい穴があいた。素肌だったら大怪我である。
(上:次の村)
この村で、カヌーの漕ぎ手をチャーターして『船乗り場』へ向かった
(上:船乗り場)
体感温度は30度Cを越えていたが、長袖長ズボンにした。
(上:カヌーは2人乗り)
今にも浸水しそうな丸木カヌーに乗った。動いてはいけない。大変狭い水路を進む。
長い棒を使って川底や川岸を押すことによって進む。
(上:可憐な睡蓮の花が咲いていた)
(上:泥に残された動物達の足跡)
(上:死んだ象を見た)
カヌーを降りて死んだ象を見に行った。辺りには激しい死臭が漂っていたが
私は興味深く観察した。肉がたくさん残っているので不思議に思った。ガイ
ドに質問すると、このサイズの象を食い尽くすには3ヶ月を必要とし、ライ
オンやハイエナ、ハゲタカなどいろいろな動物が食べに来るらしい。死んだ
原因は他の雄と縄張り争いをしたこと。1ヶ月前のこと。
(上:頭の上に乗って牙を抜こうとする人々)
彼等にとっては、ときたま出くわす日常的な出来事なのだろう。
それから草陰に眠る『水牛』を見たりして、
3時間のわたるカヌー散策は終了した。
終了地点には、私達のテントと昼食が待っていた。
(上:今晩のキャンプサイト)
中央にキャンプファイヤー、その周りに折り畳み椅子、その奥にテントがある。
手前では青いTシャツを着たマークが昼食の準備をしている。
冷えたビール
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昼食
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昼寝
15.00 デルタ内散歩に出発
大変危険なので1人で歩くことはできないし、法律で禁止されている。
(上:前方、200メートルのところの象が現われた)
食事をしている。この後すぐ、後ろから別の象が歩いて来た。
(上:象の足跡)
巨大であることは言うまでもないが、分厚い皮膚であることも確かだ。
(上:私の足のすぐ左にあるのがライオンの足跡)
(上:野生動物を観察するツアー仲間)
デルタ内は単独行動が禁止されている。歩く時は1列になる。私語はもちろん禁止。
観察する時も、物音を立てないのように注意する。
これから写真左手のブッシュに入る。
(上:ブッシュ内は涼しくて気持ちが良い)
実はこの写真を撮影した後、ガイドから厳しい注意を受けた。撮影のために、
少々隊列から遅れてしまったが、私の姿がないことに気付いた女性が大声で
私の名前を連呼したのである。この女性は足が悪いので、私が特別に気づか
っていたのだが、まさかこんな形で私を気づかってくれるとは思わなかた。
(上:フクロウがいた)
(上:キリンの糞)
写真左手奥にある植物を食べながら糞をしたのであろう。
(上:4輪駆動車のわだちと動物達の足跡)
この動物達の楽園は、カラハリ砂漠の北端に位置する。
(上:ワシがいた)
彼の脚には『魚』があるけれど、写真で確認することはできない。
太陽が傾いてきた
↓
↓
(上:象とキリンと私達)
象とキリンと私達が出会って別れた。
この世界で2度と出会うことはない別れ。
19.00 夕食
↓
キャンプファイヤー
↓
ビール
22.00 消灯
(上:キャンプファイヤーの夜)
一晩中、燃えていた。
ガイド達3人は炎を囲んで寝た。
ハイエナがうろついただけだった。
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