このページは、旅行記アフリカ南部 2002夏 です

  私の日記


  30 AUG (fri)
                             晴れ
  
== ヨハネスブルグ JOHANNESBURG(SOUTH AFRICA)====
  午前: アフリカ博物館
MUSEUM AFRISA
  14.15 JOHANNESBURG(SQ405)→ SINGAPORE

                             不眠
  ==============================


  6.00 起床
  バスタブの蛇口をひねって温度を調節し、テレビのスイッチを入れる。CNN
  ニュースがジンバブエの新内閣誕生や日本に大型台風が近づいていることを伝
  えている。

  (上:自室の窓からみたヨハネスブルグの街)
  
  7.00 朝食

  9.00 市内散策
  「外出するするならタクシーにしなさい。」
  「歩きたいなら誰と歩くのか教えなさい。」
  「アフリカ博物館はまだ開館していない。」
  ホテル正面玄関で、ガードマンが私をさえぎって言う。レセプションも一緒に
  なって同じことをいう。今、ヨハネスブルグでは約150カ国が参加する『環
  境と貧困についてのサミット』が開かれているので、私はとても安全だと感じ
  ている。前回、京都で開催された『サミット』は危険なものだったとは思わな
  いし、私の散歩を妨害する権利は彼等にはない。


  
(上:ニュータウンNewtownには、大型液晶テレビがあった)
   ここは朝のテレビでテレビで生放送していた場所で、背景は『シアターマーケ
   ット』、左には『アフリカ博物館』がある


  (上:マーケットシアター
Market Theather

  9.30 アフリカ博物館、Museum Africa
  ガイドブックは10時開館になっていたが、すでに開いていた。館内の人影はま
  ばらだったが、ほとんどの人は首から『サミット参加者の身分証明書』をぶら
  下げていた。



  (上:南アフリカの独立に関するコーナーは充実している)
   命を賭けた人々そのものが展示してあるようだった。

  
  (上:炭坑で働く人々)

  
  (上:スワジランドの年中行事)
  その初日が今日である。昨日までいたあのスワジランドで祭りが始まるのかと思
  うとわくわくした。


  (上:ゲイの写真)
  サミットに合わせたのだろうか。50人以上の写真家による企画展『写真祭』が
  開催されていた。総数500点は越えていたと思う。歴史から現代にいたるまで、
  多種多様、雑多な角度からの展示せれているで2時間半はあっと言う間に過ぎ
  去った。


  (上:ゲイ・コンテストの楽屋裏)

  他の博物館やアート・ギャラリーも見学するつもりだったが、展示内容が充実
  していたので時間がなくなってしまった。

  12.00 タクシーで空港へ
  12.30 空港でチェックイン
      ↓
      南アフリカ出国

  14.15 さようならアフリカ南部の大地よ

  飛行機に乗るといつでも同じ感覚を持つ。それまでが空白であったこと。そし
  て、今も空白であること。限られた空間の中で同じようワインを飲み、食事を
  し、眠る。あるときは時間に逆行したり、あるときは順行したり、自分の意志
  とは無関係にどんどん時間を飛び越えていく。地図上では明らかに自分はここ
  にいるけれど、空白な位置にいることを深く感じる。食事を終えて午後5時に
  なった。あれから3時間経過したのか。何もしていないように感じさせれるの
  が機内サービスだから、私は完全に術中にはまっている。


  2002年 8月 31日(土)
  6.00 シンガポール国際空港着

  次の便まで19時間あるので、2つの選択肢があった。
  1 シンガポール入国→ 観光
  2 空港内のトランジットホテルで休息しながら仕事
  私は後者を選びたがったが、あいにくの満室。明るくなり始めたロビーの床で寝たり、
  レストランで仕事をするはめになった。それでも充実した時間を過ごすことができた
  ので満足した。


  2002年 9月 1日(日)
  1.15 シンガポール発
  8.30 名古屋着

  10.30 自宅着

最後まで読んで頂きありがとうございました

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takaのメモ帳 9月1日

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