このページは、旅行記アフリカ南部 2002夏 です |
私の日記
7月20日(土)
くもり(名古屋)→ くもり(シンガポール)
==◎ 飛行機(名古屋→ シンガポール)==========
名古屋10.20(SQ981)→ 15.50シンガポール、チャンギ空港
・ シンガポール市内無料観光
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5:45 起床
徹夜して、やり残した仕事を全部終えてから出発しようと思っていたのに、い
つしか床に就いてしまい、しかもぐっすり寝てしまい、全然やる気のない自分に
気付く。こんな時間に目覚めては荷物の最終チェックも危ういし、メールのチェ
ックもできない。
7:20 朝食
7:35 自宅発
8:05 黒川発(名鉄の空港バス)
9:45 名古屋空港国際線出発ロビー
暇な時間が始まった
・・・常滑沖に新しい空港ができると、このロビーは壊されることになる。
大型クーラーの吹き出し口から80ホーンの騒音が出ているが、臨時に増設さ
れたプレハブのような待ち合い室は快適な室温に管理されていない。私はパソコ
ンの電源を取るため壁際のコンセントの近くに座り込んでいるから、舞い降りる
クーラーの風を楽しむことができる。しかし、中央に置かれたソファーに座る人
は、大きな窓から差し込む眩しい光、だだっ広い滑走路からの照り返し、灼熱の
太陽に焼かれた薄い天井からの赤外線をどうしているのだろう。
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自分へ、
マックに熱中することなかれ!
注意せよ!
心地よい乱気流は体調を崩すのに十分だ
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アナウンスが鳴り止まない
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アナウンスが鳴り止まない。90ホーンに近い大音量での案内、呼び出し。
そんなに連呼しなくても、飛行機に搭乗するより買い物が大切な人もいるのだ
から好きにさせれば良い・・・これから行くシンガポール・チャンギ国際空港
は連呼しないと思う・・・それにしても、聴き取り難いアナウンスだ。改善し
てほしい。あと3年で廃棄されるから設備だから我慢しなければならないけれ
ど、我慢した先に待っているのが海上に浮かぶ『常滑沖の空港』かと思うと頭
が痛い。今からでも中止してくれないかなと願っている。中止するなら、この
環境を何十年でも我慢しようと思う。
乱気流の中で聞く、小さなスピーカーからの大きなアナウンスは思考を停止す
るのに十分な圧力だ。/ 先ほど飲み終えた自動販売機のコーヒーは何の余韻も
残さず、わずかに歯磨きの衝動を引き起こしただけだった。/ 財布にはじゃら
じゃら邪魔な小銭410円が残っているが、それを始末したくなるような物はな
い。/ 航空券を見てトランジットの時間を計算すると、私の適当な予想6時間
とは大きく異なり、9時間半だった。「9時間半」と書いただけで増々眠くなる。
/ 私の搭乗便の案内が始まった。「大変お待たせしました。シンガポール航空
でシンガポールへ御出発の皆様、すべてのお座席のみなさまが御搭乗になれます。」
10.10 搭乗
・ 35列D、通路側の席に座った
・ 隣の席の加藤さんと話をした
・ 金融関係のことで話が弾んだ
・ シンガポール航空の機内サービスの赤ワインは旨い
15.50(日本時間14.50)シンガポール着
・ うろうろしているうちに市内無料ツアーのデスクに遭遇する
・ 参加することにする
・ 出発時間まで時間を潰す
・ マックで仕事をしたい
・ コンセントの形状が合わない
・ 3つ又の『イギリス型』ばかり
・ 無料、赤外線インターネットのポイントはあまっているけれど
17.25 ツアーカウンター前に集合
・ さっきもらった『シール』を胸に貼る
17.30 出国審査
・ 本当はパスポートを見せるだけなのに
・ 1番先頭に並んだので、
・ 審査官の質問に答えているうちに
・ パスポートに入国スタンプを押され、
・ 間違いに気がついた審査官に『VOID』と書かれる
・ そして、別のカウンターに連行される
・ ちょっとショック
18.00 ツアーバスに乗り込む
・ 屋外は熱い
・ バス内はクーラーが効いてちょうど良い
・ 市内の目的地まで約45分
(上:午後6時30分、観光船乗り場に着いた)
・ 12ドルの乗船料を無料サービスしてもらった
・ 自由時間はほとんどなかった
・ 裏道を歩きたかった
・ シンガポールの良い印象を与えるための政治的作戦なのか
(上:なんだか分からない建物の前でUターン)
・ 同じような観光船が次から次へ走っている
(上:午後7時、これから空港へ戻ります)
・ まだ、出国してから1時間しかたっていないのに
・ ところで、背景にはたくさんのカメラマンが写っている
・ プロのモデル(男女の白人)を使っている
19.40 空港着
20.00 夕食
・ 海老シューマイ・ラーメン(細口)
・ トマトと卵のサンドウィッチ
・ 芋?のジュース
・ 1000円ぐらい
一緒のツアーだったバックパックを背負った女の子に同席を求めた。どこに行
くのか聞いてみたら、パリ→ コートジボアール(親戚がいる)→ ニジェール
(サハラ沙漠)→ コートジボワール。西アフリカは、当初私が計画していたと
ころなので、何処かで再会することになったかも知れない。
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それから、フロアーの上で寝た
私の出発時間は、翌朝1時20分だった
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