このページは『イラン旅行記 2004冬』 2004 dec -2005 jan です

私の日記
2005年1月5日(水)      快晴
                      
◎ イラン最終日==================
 コム博物館
・ ハズラテ・マアスーメ
15:30 コム(タクシー)→ 17:00 テヘラン
20:10 テヘラン(イラン航空800便)→
  
                          飛行機内泊
翌12:55 成 田(新幹線)→ 22:30 名古屋
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6:30 起床
 かぜが終焉を迎えたと思ったら、左の副鼻腔炎になった。仕事がまったく捗らない。

9:25
・ 寝たり寝たり(起きたりがない)を繰り返しながら、シャワーを浴びる
・ 水蒸気が心地よい

11:00 コム博物館
・ 撮影禁止ではいけれど、何も撮らなかった

11:30 ハズラテ・マアスーメ
・ コムはここしかないでしょう

(上:ハズラテ・マアスーメ南側の入り口)


(上:女性専用入り口の天蓋)

13:00 電話をかける
・ バムでお世話になったファリーバの携帯へ
・ 約5分
・ 4000リアル

15:00 チェックアウト
・ 13:00までなら追加料金は不要だけれど、15:00までいたので2万リアル払った


(上:安宿街。私は左側、赤い看板の宿に泊まった。)

15:30 コム発
・ 橋の上でまっている黄色い無線タクシー
・ 前の席は2.5万リアル、後ろは2万リアル
・ 私は、迷わず前の席を選んだ
・ 出発する前、他の乗客に真似て甘いお菓子のお土産を買った
・ ちなみに、小型バスなら15000リアル
(上:遠くに見える白いものは、湖の水が干上がってできた岩塩だと思う。)


(上:平坦な大地に忽然と現れた2色の山。)


(上:新しく大きなモスクが出現した)


(上:聖者『アリー』の肖像を掲げた路線バス。バムとテヘランを往復しているのだろう。)

17:00 テヘラン着
 ここからが大変だった。テヘラン市内に入る前、タクシードライバーが車を止め、ジャンクションに停車している別のタクシーに話し掛けた。何事もなく戻ってきて、しばらく走ってから、「飛行場まで30000リアルでどうだ?」と尋ねるので、私は断った。何の話かさっぱり分からなかったからだ。後からじっくり考えると、あの時、私のドライバーは車を乗り換る話をしていたようだ。しばらく車を走らせたのも、料金を下げる作戦だったのかも知れない。とにかく言葉が通じないので、私はテヘラン市内の南端まで乗ってしまったけれど、あそこで乗り換えていたら、渋滞に巻き込まれることなく1時間は早く空港に到着しただろう。しかも、劣悪なる個人タクシーで嫌な思いをすることもなく、さらに、国内線ターミナルで降ろされることもなくイランの旅を終えることができたと思う。

18:10 チェックイン


(上:とりあえず機内食を撮影してみた)

翌8時頃(日本時間) 北京空港
 ストップすること1時間半。機外に出たい、と頼んでみたけれど鼻で一蹴された。ぼやーっとしていると、わらわらと清掃人が入ってきた。人海戦術は中国にあり。人手を頼りにあっと言う間に綺麗になった。/ 窓の外は雪。ここでも、人が集まってきたナー、と思っていたら、竹箒で雪掻きを始めた。「えっ、機械じゃ無いの?人間じゃあ、そんなの無理だよ。寒いよ。」と思っていたら、あっと言う間に雪がなくなった。中国の国民は本当に素晴らしい。本当に働き者だよ。働いている姿を見せて頂くだけで勉強になる。


(上:カメラを取り出している間に雪がなくなってしまった。)

翌12:30 成田着
・ とくに何もあるわけでもなし

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takaのメモ帳 1月6日

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