このページは『モロッコ旅行記 2007春』 2007 march -2007 april です。 |
世界遺産 メクネスのメディナ(旧市街) 2007年3月25日(日)〜26日(月) このページは『私の日記』を再編集したものです。
・王宮庭園のゴルフ場
・クリスチャンの牢獄
・ムーレイ・イスマイル廟
・マドラサ・ブー・イナニア
・ジャメイ博物館
・グランモスク
・マンスール門
・メディナ散策◎ メディナ(旧市街)の入り口から新市街を望む
上:新市街とメディナの間は低くなっているので、その昔、大きな河川が流れていたに違いない。
上:メディナの入り口。城壁によって囲まれている。
上:メディナ内部の第1印象。
王宮庭園のゴルフ場
たまたま日曜日だったからだろう。王宮庭園の入り口が開き、ゴルフを楽しむ人々がいた。200ヤードまでのショートコース8ホールなので、ゴルフ好きな人なら軽い運動になる。
上:少年の左手にはゴルフグローブ。
また、グリーン奥に見える壁はコンクリートではなく、王宮の城壁。
上:王宮の城壁にあるモザイクの前で、写真を撮りあう高校生達。彼らはモロッコ各地から修学旅行に来ている。
クリスチャンの牢獄
ムーレイ・イスマイル時代、異教徒であるキリスト教弾圧のために造られた地下牢。当時は4万人が収容されていたらしいが、そんなに入れるような広さはなかった。完全には発掘されれていないのであろうか。
上:牢獄の中から地上との出入口を写す。写真にたくさん写っている人は、修学旅行の高校生達。
上:王宮やクリスチャンの牢獄(前述)、ムーレイ・イスマイル廟(後述)に隣接するレストランのテラスで記念撮影。
ムーレイ・イスマイル廟
ムーレイ・イスマイルは17世紀のモロッコ最大指導者の1人。それまでの古い建築物を壊し、自分の理想とする王国を作ろうとした。廟は「墓」を意味するので、ここはムーレイ・イスマイルの墓である。さて、ここで私の心を1番惹き付けたのは、中庭にある日時計(写真右下)。高い壁で四角に区切られた空間の北側にあった。当時の指導者たちは、差し込む太陽の光の角度によって、正確な時間を人々に伝えようとした。生活を時間によって区分し、1日に5回礼拝することは、大切な生活リズムになっていたに違いない。学校に例えるなら、キンコンカンコンのチャイムのようだけれど、暑くてだらだらして仕舞いがちな環境においては、とても有効だったろう。僕はチャイムは嫌いだけれど、、、
上:廟の入り口。入場料金は0。
右:廟の中庭部分にあたる所にある日時計。これは目立たない構造物なので、気にとめる人はほどんといない。
上:廟の内部にある噴水の前で記念撮影する人々。
上:ムーレイイスマイルの墓石の前で記念写真を撮る人々。
右:この写真で見る限りは、かなり良い感じである。
![]()
マドラサ・ブー・イナニア
14世紀に建てられたイスラム教の神学校。入場料10ディナールを払う必要があるためだろうか、私の他に誰もいなかった。見どころは少ないが、落ち着いた雰囲気と精密なつくりが気に入った。なお、マドラサとは「学校」の意味である。当時のほとんどの神学校は、ここに限らず宿泊設備を伴う立派なものであったが、現在はこのマドラサと同じように使われておらず、観光客のために開放することで保存修復に努めている。
上:神学校のパティオ(中庭)
左上:回廊から見た神学校のパティオ。
右上:ここに限らず、ネコを良く見かける。
グランモスク(1番大きなモスク)
メディナ(旧市街)の中心となるグランモスク。下の写真はグランモスク前でバナナを売っている人。
左上:写真の背景にあるのはグランモスクの壁で、白い門はその出入り口である。異教徒の私は入れない。
右上:モスクの入り口には、必ず手や足を洗う場所があるが、生活用水としても欠かせない。
上:職人街の一角からグランモスク(写真中央の緑色のタイルの建造物)を見る。
ジャメイ博物館
メクネスを訪問したなら、この博物館は必見である。建物の造りだけでなく、収蔵品も見ごたえがある。
上左:建物内にパティオ(中庭)のような空間がある。
上右:なぜか気になった容器。
上:当時の王族達の居間。私もこんな空間でのんびりしたい。
マンスール門
下の写真の緑色のタイルで装飾されている部分である。見学しなくても問題ないと思うが、あまりに有名なので一目見ておかないと話題についていけなくなる可能性がある。
上:有名な門の割には、観光客はいない。
以下は、職人街(庶民)の生活空間のスナップ写真。
上:朝採りの野菜を買う女性達。
私も街の人々の雰囲気に慣れてきて、広角レンズで接近して撮影できるようになってきた。街の人々も私のことをあまり気にしていない。
上:挨拶を交わすメクネスの住人、3匹のネコ。
上:幼稚園の扉
上:ヨーロッパからの観光客の姿が見られる。