このページは『Mr. takaによる、若手教師のためのワンポイント・レッスン』です。

第8.2章 いじめという犯罪

1 Mr.takaによる『いじめの定義』

1 いじめとは何か
 いじめとは、いじめる相手を人間扱いしないことです。単なる遊び道具、あるいは、それ以下のものとして扱うことです。私が学校現場で見聞したものは、授業中に消しゴムのかすを投げて暇をつぶすための物体、命令するだけで宿題を完成させる全自動宿題マシーン、学習用具を運ぶ運搬機、何を食べても文句を言わない美味しいおかずが入った弁当箱、要求したお金を持ってくる銀行、集団で無視して悲しむ姿を見て楽しむもの、殴ったときの反応を楽しむためのおもちゃ、などです。『人間扱いしない』という表現はとても厳しく感じますが、いじめは、被害者を自殺まで追い込むことができる(憲法に触れる)犯罪です。いじめは、その軽い語感を早急に改める必要があります。文部科学省に対しても、早急な定義変更を提案します。先生や保護者やマスメディアは、『いじめ』という言葉を軽々と使うべきではありません。
資料:いじめの問題への取組の徹底について(通知)から『いじめの定義』に関する部分を抜粋
                            18文科初第711号
                            平成18年10月19日
別添 「いじめの問題への取組についてのチェックポイント」
 なお、「いじめ」の定義については、一般的には、「
自分より弱いものに対して一方的に、身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、相手が深刻な苦痛を感じているもの」とされているが、個々の行為がいじめに当たるか否かの判断は、表面的・形式的に行うことなく、いじめられた児童生徒の立場に立って行うことに留意する必要がある。
※ 平成18年度児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査以降、「いじめ」とは、「
当該生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的・物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの」としている。

2 いじめとして認定する条件
 上記の私の定義では、殴られている生徒が「いじめだ」と泣き叫ぶだけでは、いじめになりません。いじめとして成立するための条件は、次の(1)〜(3)のいずれかです。
(1) ある生徒が『人間扱いされていない』と感じたとき
(2) ある生徒が『あいつは人間じゃない』と思ったとき
(3) 第3者が見て、明らかな人権侵害がおこなわれたとき
 学校現場で私がよく目にするものは、上記(2)です。「あいつはオレたちと違う(あの子は私達と違う)」と発言したり、「Aを無視しよう」と行動したりすることです。

3 いじめられる生徒は、自分の立場を否定する
 いじめられている生徒は、自分が『人間扱いされていない事実』を否定します。昨日まで親友だと思っていた友達が、自分を『もの』扱いしていると考えたくありません。多くの場合、「これは遊びだ」「自分がジャンケンで負けたことが原因だ」「これは仕方ないことだった」「何か自分が悪いのかもしれない」と考えるのです。事実を正面から見ることができないのです。これは、幼い子どもが、親からひどい虐待を受けていても、「自分の親は自分を愛してくれている」「これは何かの間違いだ」「自分が悪いことをしたからだ」と考えることと同じです。

4 私の古い定義
 私は2007年、いじめを『子どもの健全な発達に不可欠なこと』として定義しましたが、2011年、この定義を改めました。いじめは、『ある人を人間扱いしない犯罪行為』です。今回、いじめという『犯罪行為』と、子どもの健全な発達に不可欠な『競争や衝突』と切り離しました。以下は、古いページの前文です。

 子どもの健全な発達に、「いじめ」は不可欠です。いじめはごく自然な行為であり、その経験を通して、子どもは「人としての心」を成長させます。また、学校にはたくさんの子どもが集るので、いじめは無数に発生するのは当然のことです。教師に必要なのは、「いじめ」の質を見抜く目です。悪質な「いじめ」は即座に消滅し、良質なものは見守るのです。教師は、専門の教育を受けているので、流行に惑わされて全の行動を「いじめ」として一括して片付けるのではなく、教育的効果を狙わなければなりません。ただし、繰り返しますが、悪質なものは即刻、すべての教職員と関係する保護者、必要なら外部の関係機関と連絡をとり、完全撲滅に向けて取り組みます。

(2007年公開『いじめとは何か』)

2011年1月16日

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