このページは『Mr. takaによる若手教師のためのワンポイント・レッスン』です。

第1章 学校とは何か

1 特色ある学校

─特色がない学校は存在しない─

1 日本の自然環境
 1億3000万人が生活する日本列島(2007年)は、四季の変化がある自然に恵まれた国です。そして、南北に細長い形をしているので、同じ季節でも大きな違いがみられます。例えば冬を比較すると、北は路面が氷で凍結しているところから、南は半袖で歩けるところまであります。飛行機で国内旅行をすれば、まるで異国へ旅したように感じるでしょう。
→ 学校の授業で『雪』について学習する場合、同じ方法は成り立たない。

日本各地の平均気温(1971年〜2000年の30年間、気象庁)

観測地 最低気温 最高気温
稚 内 -5.1度C(2月) 19.5度C(8月)
名古屋 4.3度C(1月) 27.3度C(8月)
西表島 18.0度C(1月) 28.3度C(7月)

 また、それぞれの地域には、固有の動植物が生活しています。ヒトは、多様な生物の1種として生命活動を営んでいます。

2 多様な遺伝形質をもつ日本国民
 日本列島ができたのは、今から1600万年前であると考えられています。それまではユーラシア大陸と陸続きだったので、現在のロシア、モンゴル、中国、韓国、タイの人々が混ざりあっていたと思われます。さて、鏡であなたの顔を見て下さい。どこかの国の人に似ていませんか。はっきりした区別は難しいですが、大まかに北方系と南方系にわけることもできるでしょう。私(写真右)は大きな目をしていますが、ヒゲの生え方や顔の輪郭は韓国系です。

 また、私はある居酒屋で、北海道出身の女性が話していたことを忘れられません。
 「本土に住んでいる人は、日本人は全部同じ人種だと思っているけれど、皆違うわよ。ほら、私は色が白くて体ががっちりしているけれど、本土の男性は骨が細い人が多いわ。福地君の骨は意外に太いけれど細身だから、、、」その先の言葉は忘れましたが、同じ日本人であっても、かなり大きな違いがあることは間違いありません。DNAレベルの違いも確実にあります。

3 ヒトが作り変える自然環境 
 自然環境は、ヒトの活動によって大きく変わります。農耕民族としての日本人は、自然と共存してきたと考えられますが、田畑を作るために自然を作り変え、利用していたことは間違いありません。また、現代のヒトは、完全に自然な状態では生活できません。

ヒトによる自然破壊レベルからみた地域の分類
(1)ヒトが入らず、手つかずの自然を残す地域 (原生林)
(2)美しい清流や木々などを保護している地域 (国定公園)
(3)持続的にヒトと自然が共存している地域 (無農薬の田畑)
(4)アスファルトに覆われ地下鉄が走っている地域 (名古屋市内)
(5)海を埋め立て、人工的に作られた地域 (中部国際空港)
(6)廃棄物の埋め立て地とされた場所 (微生物レベルしか生活できない)
(7)酸性雨で森林が枯れるなど、自然の回復力を超えた場所

4 集団生活をするヒト
 ヒトは集団生活をする動物です。集団の最小単位は家族ですが、食料が十分にあれば、複数の家族が集って村や町を作ります。さらに規模が大きくなると、さまざまな種類の活動(生産、商業、政治、宗教、文化、芸術、教育、関連ページ『人類の活動と9教科)を分業し、生産効率を上げるように発達してきました。しかし、数100万人を超える大都市になると、自然だけでなくヒトの個性や特徴も失われるという弊害も出てきます。

言葉について
 同じ日本語でも、沖縄と東北の人は、満足な会話ができないと思います。実際、私は、旅先の青森県の銭湯で出会った老人と会話ができませんでした。彼は私が話している内容を聞き取れるのですが、私は彼が何を言っているのかさっぱり分からないのです。老人は「(湯が)熱いから気をつけろ」と言っているのですが、何を言っているのか分からない私は、「かけ湯」に使った湯舟の熱湯で、軽い火傷をしました。

5 地域のヒトが集まる場所=学校
 教育の基本は、集団の基本単位である家庭で行なわれます。家庭では、父母だけでなく、祖父母や兄姉などの年長者が教えます。子どもがある程度大きくなれば、幼い弟妹や近所の友達との関係から、自分で自分を教育できる(学ぶ)ようになります。この家庭内の教育は、家庭環境そのものであることは言うまでもありません。また、家庭教育は、次の学校教育の土台となります。最近の学校教育の問題は、この土台がない子どもが増えてきたことが大きな原因の1つです。

 たくさんの家族が集り、人間社会が高度なると、教育を専門に行なうようになります。その場所が学校であり、教える人が先生です。この学校は、ある特定の地域に住んでいる子ども集ってくるのですから、その地域の家庭環境そのものであり、ごく自然に地域に特色を反映しています。

私の体験談から
 私は名古屋市内の7つの公立中学校を経験しましたが、どれ1つとして同じ学校はありませんでした。同じ都市においても全く違うのです。したがって、政府主導の『学校の特色づくり』は不要です。そもそも、外部からきた教師が、どのような特色をつけようというのでしょうか。例えば、コンピューターをたくさん導入したモデル学校作ったとしても、それは地域を無視した実験であり、一部の一般企業の活性化しか得られないでしょう。

6 特色を作る必要はない
 したがって、全ての学校には特色があります。他人が作る必要はどこにもないのです。地域に住んでいる人が先生となり、地域に住んでいる子どもに教えれば良いのです。中学生レベルは、とくに高度な内容を学習する必要はないので、地域の特色を活かした授業を行なえば十分です。日本国(文部科学省)は、最低限度のラインを示すだけで十分です。強制も指導も必要ありません。それ以上に何かしたいなら、十分な教育環境を作り維持するための金と、若い教師が生活できる金を準備してくれれば十分です。地域に任せて下さい。

特別な色
 もし、私が勤務する学区の人が「この地域(学校)に特色を作ってくれ」と訴えても、私は「虫が良い話」として聞き流します。例えば、ある親から
「私の子どもには個性(特徴)がないから、子どもの個性を作って欲しい」と言われた時、あなたはどうしますか。私は「出来ません」と固辞します。個性や特徴は、与えられた環境や自ら選んだ環境の中で生活することから、自然に生まれるものです。権力や力を行使すれば「特別な色」はつけられますが、私は反対です。
※関連ページ『子どもの個性とは何か』

 逆に、現在の日本社会は、地域の人々が自身の特色を守る必要があります。便利さだけを追求すると、心が貧しくなることは歴史が証明しています。いつの時代も、地域住民レベル(特色を持つレベル)で、国を監視する必要があります。正義や平等という、甘美な言葉に騙されてはいけません。お互いの特徴や個性を尊重することが大切です。

人口密度、人口
 人口密度の高い地域では、一般に疎遠になりやすくなります。これは、満員の地下鉄やエレベーターの中を想像すればすぐに理解できます。狭い場所に、見ず知らずの人が大勢いる場合は、マナーとして迷惑をかけないように個性を押し殺す必要が出てきます。逆に、ほとんど誰も通らない山道で人とであった時は、挨拶だけでなく会話も始まることでしょう。人の数が少なければ、人間どうしの関係は近くなります。
→ 中学校における40人学級は、教育の水準を下げる。
→ 適正な人数は、25〜30人であろう。

7 特色としての学力
 各学校はそれぞれに特色を持っているので、全国一律の授業はできません。できるわけがありません。したがって、本来なら学習内容も変わるべきですが、ある程度の統一した規準も必要でしょう。また、規準をつくると、それにどれだけ到達したかという達成度を測定することができます。いわゆる『学力』です。私は、全国一律の学力規準は、全国民が100点満点になるような低いところに設定するべきだと思います。いや、全世界の人類が100点満点になるようにするべきです。人類は1つだからです。そして、特色ある学校ごとの厳しい規準を設定して努力を重ねることが必要でしょう。

 以上は、理想の学力論ですが、私の経験からすると名古屋市内でもいわゆる学力格差は明確です。例えば、中学3年生で6×7の計算が満足にできなかったり、自分の住所や父母の氏名を漢字で書けなかったりする生徒が数%いる学校がありました。信じれない方もあると思いますが、これが現実です。私は前に、学力格差と言いましたが、私は格差を『特色』と言いたいです。このような生徒がいる学校は、人懐っこく、おおらかで、元気があり、人情がわかり、自己主張できる生徒がたくさんいます。先生の教え方が悪い、などと批判する子どもも保護者もほとんどいません。

 この続きは、別ページ『授業のレベル設定』をご覧下さい。

2007 jun 8
2007dec29、2008Jan19加筆

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