このページは、学級通信2年D組『枇杷林檎びわりんご』です。 |
枇杷林檎 202号 2001年3月1日(木)
誕生日おめでとう!!
3月生まれの人
桜井大幸 松永篤治 興津香織 北浦佐智 佐藤千恵
202号と203号は、28日(水)授業後に書いたものです。
やったぞー。 ミミズの医者の息子
さっき給食のときに、「わたしも200号にのたぁ?」ってきいたら、「201号だよー」っていわれた。ショック。私の友だちはみんな200号なのに、なぜわたしだけプラス1なの〜。すごく残念だった。しか〜し、今、びわりんごを読んだら、『なんと』”200号”にわたしのペンネームが・・・。おもわず、「やったぁー」と言っていしまった。こんなにうれしいことはめったにないぞ。でも、あと少しで2Dも卒業。それといっしょに、びわりんごとも「さよなら」ををしなければならない。なんて悲しいことなのか。びわりんごを書いて、作文をカッコウつけずに書けるようになった。びわりんごのおかげで少し成長できた。ヤッター !!!
ヤッター。記念すべき200号に私の作文が載りました。そっかー、もう200号かー。
つまり、枇杷林檎200枚・・・。この厚さがみんなの2Dへの思いだと私は思う200号! ピース
今日くばられた枇杷林檎は、なんと200号!!
その中で100回以上載った人は7人。すばらしい!!200号!! D
今日で200号達成した。スゴイ。(うちは書いていないケド。)
福地先生と吉岡先生も36人分を200枚読んだとはスゴイ。。推理? 数学の先生
200号の新井さんの作文の中で、ピーンときた言葉を発見した。その言葉とは、「キーワード」。数学の授業の中にも「キーワード」はあるんですよ。「相似な三角形を見つけよう!」、「平行線を利用して角を集めよう!」、・・・。1日の生活の中にも「キーワード」があり、ドラマの中にも「キーワード」がある。キーワードを探して、生きてみるのもおもしろそう!二百号 松田隆幸
今日で二百号になった。うれしくも何とも思わない。ただ書いていれば到達するから。二百号がいいというより新鮮な気持ちが読み手に伝わる方が大切だ。それだけが言いたい。風呂そうじ 腰山忠司
昨日までに風呂そうじの回数が650回を越えた(2年間)。アパート時代のときは、A温泉で友達と毎日入っとった時がある。僕はその事を思い出しながらそうじをした。めっちゃ懐かしーーーい!わかったかな 吉岡二三代
「先生、何枚出るのォー」「私って、どっちィ−」と枇杷林檎の掲載者チェックをしていると、矢つぎばやに質問が飛んできた。そして、帰りの会に刷り上がったのを持っていくと、群がって取りにきた。「うっそォ−」「うぅ、うわぁ、なんでェ−200号に載してくれんかったのォ−」というわめき声があっちからもこっちからも聞こえてきた。──何事によらず、自分の思い通りにはいかないもの。人生とはそういうもの。Uちゃん SKY
MくんがUちゃんに、「おばけになるなら、何になりたい?」って聞いていた。Uちゃんは、「ゲゲゲのきたろう」と言った後、「ぬらりひょん」と言った。私の知っている限り、かなり変なおばけだったような。ちびでおじさんっぽい・・・。Uちゃん、何で「ぬらりひょん」?おしえてー!!!私はねえ、雪女になりたい。だってミステリアスな、いい女っぽいもん!!!オイラのうしろの人 オヤジ
ぼくのうしろの人はバカです。それは、いつも歌をうたっているからです。こう、「あた〜らしい上司はアメリカ人」。僕は、はっきり言って、「アホだ。こいつ。」って思いました。この作文を見て、こいつはゲラ×2笑っていました。アホの◯◯君。しかも、今日の作文でへんな替え歌を書いていました。こんなに歌が好きなら、結婚すればいいのになぁ。たぶん今ごろ、歌っていると思います。あの男は・・・明日がないさ!! ポポロクロイス物語
♪ 明日がなぁいさあすもない。ふけた俺らには夢もない。
いつかきーといつかきーととしーで死ぬだろぉ ♪
さあ、みんなで歌ってみようミミズさんへ ひょう☆ヒョウ
友達にたよることは悪いことでもあるケド、いいこともあるでしょう!だって、何もかも1人でできるわけないんだからさ!!!どん(2)頼ってよね!!!
話の玉手箱23 和語・漢語・外来語
外来語とは、外国から日本に入ってきた単語であるが、中国から入ってきた単語は外来語といわず、漢語という。日本にもともとある大和(やまと)言葉を和語というが、宿屋・旅館・ホテルというように、和語・漢語・外来語と並べてみると、かなりイメージが違ってくる。どちらかというと、和語→漢語→外来語の順に高級感がある。外来語は水と同じように、高い文化から低い文化に向かって移るのが原則だそうである。最近、やたらと外国語(カタカナ)を取り入れて話し、教養をひけらかす輩が多いが、教養のない私にはちんぷんかんぷんである。しかし、これは外来語とはいえないだろう。ところで、日本には心の状態を表す「気」という言葉がある。これには、気兼ね、気持ち、心得、心配りなどたいへん多くの使い方がある。こうした言葉が、外国の人達にとって、心模様を表す「外来語」として役立つ日が来ることを期待しているのは私一人だろうか。
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