このページは、学級通信2年D組『枇杷林檎びわりんご』です。

 枇杷林檎 212号      2001年3月12日(月)

 210号の太郎左エ門君へ         凡人のPTA会長
 卒業式から3日過ぎました。スーパーで会った人、もう何人に言われたことでしょう。「すっごく、いい卒業式をありがとう」って。私たち親子が、祝辞と送辞と知った時は2人で困って悩んだけど、結果的にたくさんの人に喜んでもらってよかったねっ!母は、最期まで仲好しの友達にも役員の仲間にも、子どもまでが代表をするとはどうしても言えませんでした。心の狭い母は、周りのうわさがとても気になりました。でも、子どもに対しては名誉なチャンスを頂いたのだから、親の都合で断わってはいけないと自分に言い聞かせてきました。私は、突然倒れたってコトで夫に代わってもらおうかしら?カゼをひいたコトにしようかしら?等々、大人げなく幼稚な考えまでしました。しかし、千鳥の先生方は私たち親子を、個々として見てくださり、あたたかい心でエールを送ってくださいましたよね。本当にありがたいコトでしたね。母は、懐が大きい千鳥丘の教育の場は素晴らしいと改めて思いました。学校の先生、生徒の皆さん、保護者の皆さんに感謝しようね。人間っていいな!と思う、今日この頃です。


 卒業式雑感                福地孝宏
 PTA会長さんの投稿を受け取ったのが昼だったので、今日は本格的な「雑感」を書く。20分ほどしかないので、少々乱暴なところがあると思いますが、お許し下さい。

 さて、卒業式当日、私には2つの係があった。「警備」と「カメラ・ビデオによる記録」。よくよく考えてみれば、この2つは同時にできるものではないけど、他に手の空いている職員もいなかったので、私は両方とも中途半端にすることにした。まず、体育館2階に登り、三脚を上手45度に固定した。これにフル充電したビデオカメラを据え付け、あとは「撮影ボタン」を押すだけにした。

 それから、通用門に向かった。ここで、卒業式が終了し、さらに、門出式が始まるまでの約3時間、寒さに震えながら警備するのである。服装は黒スーツ、白ネクタイ、白シャツ、白ハンカチ、黒皮靴、下にスキー・タイツ、上着の下には純毛のセーター。おかげで、思ったよりは寒くなかった。問題の「問題」であるが、今年は予定した通り発生しなかった。何事もなかった。だから、私は「松葉ばさみ」と「ゴミ袋」をもって、学校周辺のゴミを拾った。道行く人は、「なんだ、ありゃ。黒服の男がゴミを拾っとる。」と思ったろうけど、それほどまでに千鳥丘の卒業式は順調だった。もちろん、今日に至るまでの、3年生の先生方を中心にした、血の出るような日々の教育現場を見ている者にとっては、まったく頷けることだった。

 9時40分になり、私は持ち場を離れた。寒さに震えている先生2人を残しておくことは、はっきり言って卑怯なことだと思うけど、まあ、一応、「記録係」であるという理由をもって体育館に向かった。式は始まっていた。C組が入場している途中だった。私は、舞台裏のカーテンを静かに歩き、階段を登った。そして、撮影ボタンを押した。雰囲気はつかめていないけど、静かに撮影することだけに集中した。

 だんだん様子が見えてくると、何人かの卒業生がすでに泣いていた。もっと良く見ると、何人かではなくて、何10人も泣いているとことが分かった。それに、職員にも目を潤ませている先生がいる。

 典礼の声が響きわたった。「一同、ご起立ください。」全員が一斉に立った。一糸乱れず。これは、あとから聞いた事だが、卒業式に参列していただいた保護者から、「先生ありがとうございました。あの子達が、一斉に立つ姿を見て、私は思わず泣いてしまいました。あの子達が、みんな一緒に立てるなんて、、、。3年間、ありがとうございました。」


                         (時間ぎれ。悪しからず。)

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