| このページは、学級通信2年D組『枇杷林檎びわりんご』です。 |
枇杷林檎 231号(最終版6/6) 2001年4月6日(金)
はやく明日になればよい
福地孝宏
これは、私の好きな言葉の1つです。
ある画家の言葉なんだけど、名前は忘れちゃった。枇杷林檎の原稿を打ち込んでいると、まさに身を削る感じがする。自分の生身を削り、その削ったぶんだけ、文章、活字になっている気がする。体力を失い、ほおが痩けるのが分かる。だから、風呂に入り、ご飯を食い、もう一度自分に「身」をつけて学校にやってくる。そして、たくさんの原稿を前にして、また、自分の身を削る。2Dの諸君には、この感覚がわかるだろうか。中学生にはむつかしいかもしれないけど、3年生になると、少しわかるようになるだろう。つまり、睡眠時間を削り、眠くならないように食事制限し、「受験勉強」のために自分の身体を酷使する。
そして、その結果得られるものは何だろう。
「試験の合否」だとしたら、それは空しすぎる。
もっと、大きなものがあるはずだ。私の生身を削った「枇杷林檎」で、読者は「何か」を得た。「何か」は読者によって違うけど、「何か」を得た。毎日、毎日の気が遠くなるような積み重ねによってのみ得られるもの。それは、「受験勉強」においては、まったく基本的な個人的なものにすぎないけど、それは大人になったとき「枇杷林檎」のように大勢のためのものになる。しかし、その基本は同じだ。みんなの作文や読者からの投稿にも、「毎日続けること」「我慢」「忍耐」の大切さを書いたものがあった。
ここで裏話をしよう。今年(2001年)2月、修学旅行の下見のため学校を3日間休むことになった。私はいやだったけど、東京・鎌倉・横浜に行った。まるで、遊んでいるみたいだけど、行くからには、「生徒より遊んでやる!」の信念をもって最高の学習(遊び)をしてきた。その間、生徒に作文を書かせれば、学校に戻ってきた時、私の机上に原稿100枚以上が山積みになる。吉岡先生は私の体を気づかい、「福地先生、テスト期間中の作文はやめましょうか?」と提案されたが、私は迷うことなく、「だめ。毎日書かせて下さい。」と答えた。
その後、休日出勤したことは言うまでもない。
最終楽章にはいった「枇杷林檎」を誰にも止めることはできなかった。このような仕事(枇杷林檎)との出会いは、滅多にない。君たちも、これらの人生で「死んでも、これだ!」と言い切れる出会いがあるだろう。が、その時には迷ってはいけない。本当に死んでも走り続けろ。犠牲を払え。自分の身を削れ。
君たちの人生は始まったばかり。第2反抗期を終えた君たちは、スタート地点に立ったばかりだ。(まだ「反抗期の子」や「お子ちゃま」は、もうすぐです。それから、周囲の大人が「子ども」扱いするようであれば、その大人を教育してください。)そのための基本として、「受験勉強」がまっていますが、嫌でもやりなさい。だめでもやりなさい。あきらめてもやりなさい。人より能力が低くても、理解力が遅くても、記憶力が悪くても、何回やっても忘れても、成績が上がらなくても、やってもやっても下がっても、誰かに「おまえはバカだ!」、「君には無理!」と言われても、「劣性遺伝子」と差別されても、、、。それが人生の基本です。
(人生に、)言い訳は許されません。
枇杷林檎は発行するかしないか。
作文は書くか書かないか。世界に目を広げましょう。先日、生徒会執行部がフィリピンの子供たちに「文房具」を送りましたが、私には彼らの現状が手にとるようにわかります。いかに大勢の子供たちが勉強したがっているか。その一方、無学な親たちの多くが、「勉強する時間があるなら働け。金を稼げ!」と言い放ち、学校に行かせないか。逆に、日本の現状も身をもってわかります。消しゴムをちぎって投げ遊び、先生が作ったプリントが無造作に捨てる生徒がいる公立中学校の教室。
(社会が)甘すぎ屈折している日本教育界ですが、それでも日本の「受験勉強」は「すばらしい文化」であると思います。ほぼ全ての国民が通過?、体験?、乗り越え?、発見?、そして、そこから羽ばたく?のですから。無意味と思われる時間(学問)ほど、尊いものはありません。私は、「受験勉強バンザイ!!」と叫びたいです。
さて、話を戻しましょう。すべての物事は終わったら終わりです。枇杷林檎も終わったから終わりです。なま・枇杷林檎は終了し、『枇杷林檎』として1人立ちしました。2Dのみなさんには、紙(A4版、両面印刷)でお届けしましたが、これは君たちの肉体と同じように、残念ながら、ちょっとずつ年老いていきます。しかし、半永久の命をもった『電子・枇杷林檎』は、将来皆さんと結び(リンク)ついていくでしょう。君たちはコンピューターと密接にかかわり合う時代に生きていくので、これは非常に近い将来実現されそうです。いつでも、相談してください。本になって書店に並ぶより面白そうです。君たちにある無限の可能性、それを飛躍させる1つのチャンスになれば、「枇杷林檎」もさぞかし満足でしょう。
さあ、みなさんもよい仕事をしてください
「今日はもうできない」
「はやく明日になればよい」そんな仕事ができるように、今は基本の修得です。
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