3 中巻、下巻
・中巻と下巻は、いわゆる「天皇の系譜」を記している。
・中巻は初代から15代天皇まで、下巻は16代から33代までを記している。中巻の天皇の記述内容を順にみると、初代天皇は史実がないので、上巻と同じ「神話の世界」になる。2代から9代までは著述が少なく「欠史八代」といわれる。15代は史実性があるので「実話の世界」であるが、その内容は天皇家に関するものばかりである。下巻は、天皇家の内側を超えないので、本ページは神話の分類される初代天皇のあらすじだけを記す。
中 巻
1 初代「神武天皇」の東征と即位
(1)神武天皇※は「どこへ行けばもっと良く葦原中国を治められるか」、と兄イツセに相談した。
※ 即位していないので、名称は「カムヤマトイワレビコ」であるが、本ページは混乱を避けるため「神武天皇」とする。
※ 上巻37で、葦原中国支配に成功したことが、この段階で全く忘れれられている。上巻38では、天孫と言われる『ニニギ』は何もただ地上に降りるだけで支配できたはずなのに、地上の美しい娘だけを娶ったために短命になった、という実績をしか残していない。
(2)相談の結果、東へ行くことにした。
(3)神武天皇は、舟軍を率いて日向国を出発して筑紫国へ向かい、豊国の宇沙(現 宇佐市)に着いた。
(4)宇沙では、宇沙都比古(ウサツヒコ)と宇沙都比売(ウサツヒメ)が仮宮を作り、神武天皇に食事を差し上げた。
(5)神武天皇は、宇沙から岡田宮へ移動し、1年過ごした。
(6)その後、阿岐国の多祁理宮(たけりのみや)で7年、吉備国の高島宮で8年過ごした。
(7)浪速国の白肩津(現 東大阪市)に停泊すると、ナガスネヒコが軍勢を起こして待ち構えていた。
(8)戦争が始まり、兄イツセはナガスネヒコの矢に当った。
(9)イツセは「我々は日の神の御子だから、日に向かって(東向きに)戦うのは良くない。まわり込み、日を背にしよう」と言った。
(10)南の方へ回り込んだとき、イツセは紀国の男之水門で死んだ。
※死んだイセツは、自動的に黄泉国の住人になる。
(11)熊野に来ると、大熊が現われて消えた。
(12)神武天皇と兵士たちは、気を失って倒れた。
(13)熊野の高倉下(タカクラジ)が太刀を持って歩いてくると、神武天皇は目が覚めた。
(14)その太刀を神武天皇が受け取ると、熊野の荒ぶる神は自然に切り倒された。
(15)倒れていた兵士たちは、気絶から覚めた。
(16)神武天皇は、タカクラジに太刀を手に入れた経緯を尋ねた。
(17)タカクラジは、次のように答えた。
(ア)ある日、次のような夢をみた。
(1)アマテラスと高御産巣日神が出てきた。
(2)2神はタケミカヅチ※に「葦原中国は騒然として、私の御子たちは悩んでいる。お前は葦原中国を平定させたから、再び天降りよ」と命令した。
※タケミカヅチは、中国を侵略した天津神の1。
(3)タケミカヅチは、「平定の時に使った太刀があるので、その刀を降ろしましょう」と答えた。
(4)そして、タケミカヅチは私に、「倉の屋根に穴を空けてそこから太刀を落とし入れるから、天津神の御子へ持って行け」と命令した。
(イ)夢から覚めると、倉に太刀があったので、こうして持って来たといった。
※その太刀は、ミカフツ神といい、現在は石上神宮にある。
(18)次に、高御産巣日神の命令で八咫烏が遣わされた。
(19)神武天皇は、その案内で大和の宇陀へ移動した。
(19)宇陀には兄宇迦斯(エウカシ)と弟宇迦斯(オトウカシ)の兄弟がいた。
(20)神武天皇に仕えるかどうか、八咫烏を遣わしたが、兄のエウカシは鳴鏑を射て追い返した。
(21)エウカシは軍勢を集めて迎え撃とうとしたが、軍勢を集められなかった。
(22)そこで、神武天皇に仕えると偽り、御殿を作り、その中に入ると天井が落ちてくる罠を仕掛けた。
(23)エウシカの弟は、神武天皇に兄の策略を報告した。
※ここでも兄弟は互いに裏切ったが、これまでに何回も兄弟で争っている。
(24)神武天皇は、道臣命(ミチノオミ)と大久米命(オオクメ)をエウカシの元に遣わた。
※ミチノオミは大伴連ら、オオクメは久米直らの祖である。
(25)二神は矢をつがえて「仕えるというなら、まずお前が御殿に入れ」とエウカシに言った。
(26)エウカシは、自分が仕掛けた罠にかかって死んだ。
(27)次に、忍坂の地まで来たとき、土雲の八十建(数多くの勇者)が待ち構えていた。
(28)神武天皇は八十建に御馳走を与え、八十建に対して80人の調理人をつけ、調理人に刀をしのばせた。
(29)そして、合図とともに一斉に打ち殺した。
(30)その後、神武天皇は登美毘古(ナガスネヒコ)、兄師木(エシキ)・弟師木(オトシキ)と戦った。
(31)そこに邇芸速日命(ニギハヤヒ)が参上し、天津神の御子としての印の品物を差し上げて仕えた。
(32)神武天皇は、畝火の白檮原宮(畝傍山の東南の橿原の宮)で即位した。2 神武天皇の結婚と子作り
(1)神武天皇は大物主の子である比売多多良伊須気余理比売(ヒメタタライスケヨリヒメ)と結婚した。
(2)皇后は、次の3子を産んだ。
名 備 考 ヒコヤイ(日子八井命) ・皇位継承者なのに、記述なし。 カムヤイミミ(神八井耳命) ・意気地なしなので、天皇になれなかった。 カムヌナカワミミ(神沼河耳命) ・後に、2代天皇になる。
(3)神武天皇は、アヒラヒメ(阿比良比売)と浮気し、次の2子を産ませた。
名 備 考 タギシミミ(多芸志美美命) ・後に、皇位を奪うため、第1婦人の子供を殺す計画をするが、
失敗して殺される。キスミミ(岐須美美命)
3 神武天皇の死と反乱
(1)神武天皇が死んだ。
※ 神が自然死した記述は、これまでのところ見当たらない。
※ 老衰が死因ならば、これまでに登場した神も死んだ可能性が出る。
(2)第2婦人の子タギシミミは、神武天皇の第1婦人と結婚し、その3人の子どもを殺す計画をした。
(3)策略を知った第1婦人は、3人の子に知らるため「狭井河から雲が立ち登って、畝傍山では大風が吹く前触れとして、木の葉がざわめいている」と歌を詠んだ。
(4)その歌をきいた3人の子は、タギシミミを殺そうとした。
(5)3男カムヌナカワミミは、2男カムヤイミミに武器を渡し、タギシミミを殺すように言った。
(6)しかし、2男は手足がわなないて殺すことができなかった。
(7)3男は、兄の武器を取ってとどめを刺した。
(8)2兄はこの失態を恥じ、弟に皇位を譲り、自らは神官となって仕えた。
※ 皇位継承は、年齢順であることを示している。
※ しかし、有資格者は、自らの意志で継承資格を譲ることができることを示している。以下は本ページの目的から逸脱するので、省略
中巻に登場する天皇
代 名 生存年※ 史実性 備 考 1 神武天皇 137 なし ・神話の世界
※天皇が結婚してからは、内容に神話性がない。2 綏靖天皇 45 ・欠史八代
・具体的な著述が少ない3 安寧天皇 49 4 懿徳天皇 45 5 孝昭天皇 93 6 孝安天皇 123 7 孝霊天皇 106 8 孝元天皇 57 9 開化天皇 63 10 崇神天皇 168 - 11 垂仁天皇 153 - 12 景行天皇 137 倭建命(やまとたけるのみこと) 13 成務天皇 95 - 14 仲哀天皇 95 神功皇后 15 応神天皇 130 あり -
※ 生存年は、産まれて死んだことを確定する。
※ すなわち、神武天皇以下すべての天皇は、現在、黄泉国で生活している。
※ 黄泉国の支配者はイザナギであり、天皇はその支配下で生きている。
下 巻
下巻に登場する天皇
代 名 称 生存年※ 史実性 備 考 16 仁徳天皇 83 あ り
※ 実在した物的証拠が
増えると同時に、上巻
の神話の世界と隔絶して
いる。- 17 履中天皇 64 - 18 反正天皇 60 - 19 允恭天皇 78 - 20 安康天皇 56 - 21 雄略天皇 124 - 22 清寧天皇 不明 - 23 顕宗天皇 38 - 24 仁賢天皇 不明 ・欠史十代
・具体的な著述が少ない25 武烈天皇 不明 26 継体天皇 不明 27 安閑天皇 不明 28 宣化天皇 不明 29 欽明天皇 不明 30 敏達天皇 不明 31 用明天皇 不明 32 崇峻天皇 不明 33 推古天皇 不明
※古事記に書かれている主な内容は、次の通り。
・天皇の名(古事記編纂のとき、天皇の漢風諡号はなく、国風諡号で記されている)
・天皇の后妃、皇子、皇女の名
・子孫の氏族
・皇居の場所、名称
・治世年数
・死んだ年
・生存年
・陵墓所在地
・治世中の主な出来事