南米の旅 1996

私の日記

28日(休息日)

 高山病の荒治療は楽しいものだったが、完全に体力を使い果した。朝10時起床。朝食をとり、ホテルのロビーで洗濯物を頼むと、再びベットへ戻った。風邪のせいか悪寒もした。


29日(クスコ市内観光とフォルクローレ・ショー)

 今日は祝日だ!

 街のあちこちに祭りの雰囲気がある。テレビにフジモリ大統領がさかんに映っている。昨日、風邪と称して1日中寝ていたので、体はほどんど良くなかった。無理に寝ているのも良くないので、薬を上手に使ってウィルスの活動を抑え、上手に行動しよう。

 太陽の神殿
 街に出て、大久保氏と朝食をとる。歩いているうちに、太陽の神殿に着いた。下半分はインカの石組み。上にいくほど建築技術が下がり、最頂部はロマネスクか何か知らないけど、私の趣味からは程遠い。この建築物は、インカの人々の神殿をこわして、その土台の上に自分たちの教会を造っているのだから、趣味の悪いのは当然でだろう。しかし、こうして目前にすると、不思議なバランスに感動している私いるから不思議なものである。

 12角の石
 それから12角の石も見た。12角の石は良くないけど、その周りの石組みは良かった。特に、ベロンと出っ張っている2つの部分が乳房を連想させ、昔の人々が、「あそこをもって持ち上げ、運んでいたのか。いいなあ。」 何だか当時の様子がふくよかで暖かいように連想されたが、実際は、死期が早まるほどの重労働だったに違いない。

 宣伝カー
 昼食のスープはうまかった。その後、今夜19:00からフォルクローレショーを一緒に観る約束をして、大久保さんと別れた。しばらく歩くと、音楽をがんがん鳴らした車が来た。ボンネットや左右のドアなど、ありとあらゆる隙間に音楽と踊り96’というチラシを貼りまくりまくった宣伝カーだ。 芸能関係が大好きな私は、小さな紙に開催場所を書いてもらった。チケットは現地で購入するらしい。

 開演までは時間があったけれど、できるだけ早く着きたかったのでタクシーを拾った。「やったー! 今日はフォルクローレ・ショーを2つも観られる。」

 フォルクローレ・ショーその1
 14時半、チケットを買い、中に入る。 がーん! 誰もいない。広い会場には私一人しかいない。中央はバスケットコート一面分のスペースがあり、その周りを約1200の客席が取り囲んでいる。冷たい風が、ひゅるるるるーと流れる音が聞こえた。私はスペイン語辞典をとり出し時間を潰した。待つこと2時間。予定よりも1時間半遅れてフォルクローレショーが始まった。ペルー時間にも慣れてきた。知らないうちに800〜1000人の観客が入っていて、あー良かった。

 ところで、入場料は5ソレス(250円)にはジュースが1本ついていた。場内にはたくさんの物売がいて、邪魔なんだけど賑やかでよい。肝心のダンスは、後半になるにしたがって良くなってくるのけれど、大久保さんとの待ち合わせ時刻も近づいてくる。高校生、大人が出てきた。衣装も良くなってきた。しかし、最後の3つは観ずに、次なるフォルクローレ・ショーに出発した。出口でシシケパブを買い、タクシーに飛び乗った。

 フォルクローレ・ショーその2
 大久保さんはテレビでオリンピックを観ていた。30分も遅刻したのに、彼は心配していてくれた。「良い人だ。」私達は昨日買ったチケットを片手に劇場まで走った。前から3列目の席に座った。「生演奏の楽しいショーで、よかったよ。」私はギターを奏いていた人と一緒に、写真を撮った。

続いて私の日記(30日)をご覧ください。

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