南米の旅 1996

ウロス島半日観光

1 私の日記                
 7月30日 クスコ→フリアカ→プーノ
 7月31日 プーノからウロス島半日観光

2 率直なアドバイスと行き方

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私の日記

7月30日(クスコ→フリアカ→プーノ)
 ティティカカ湖へ飛ぶ
 時間を稼ぐため、ティティカカ湖まで飛ぶことにした。乗り遅れたら大変なので、出発2時間半前に宿を出た。空港までは30分の道のりだ。私の手には13:30発のチケットが握られていた。

 「どうなっとんだー。」13時になってもチェックインすら始まらない。カウンターの奥まで乗り込んで、搭乗券を手に入れたまでは良いけれど、出発時間は手書きで15時になっている。「なめんなよ。」
が、15時になっても飛行機は来ない。隣の婦人に尋ねた。
「どこに行きますか?」
「フリアカです。」
同じ行き先だ。
「何時出発ですか?」
「15時です。」
彼女のチケットには15時と印刷されている。
「便名は?」
「Americana **便」
「がーん。同じだ。」
こんな事なら、どのガイドブックに紹介されている高原列車の旅を楽しみたかった。
 結局、私達の飛行機は17:50に飛び立った。

 フリアカ空港で満月の出迎え
 18:20フリアカ空港に着くと、満月がどこまでも続く地平線の中に沈もうとしていた。
「今日はこの月に免じて許すことにしよう。
 飛行場を出ると、機内で知り合った人達とプーノ行きのコレクティーボに乗り込んだ(3ソレス)。
 
 祭の情報集め
 19:30プーノ着。ウロス・ホテルに泊まっった。33ソレスのトリプルルームで、機内で知り合ったマークとディアナと一緒だ。私はベットに荷物を置くと、すぐさま夜の街に飛び出した。もうすぐ行われるというタキーレ島の祭の情報を入手するためだ。何人かの人に聞いてみたが、
「知らない。」「そんな祭りあるの?」「もう始まっている。」「8月からだ。」正確な情報がない。
「タキーレ島への船はここからがメインだというのに、、、」しかし、露天にある小冊子を見ると、ペルー国内の祭として載っているではないか。「タキーレ島の祭は8月1日〜3日。」嘘臭い冊子だったが、これが一番信用おけそうな情報だった。しぶしぶ、その記載を信用することにした。(実は、約1週間も前から始まっていた。)
                           



7月31日(ウロス島半日観光)

分けの分からん情報
 昨夜、正確な情報を入手できなかった。私は昨日の小冊子を信用していない。
「港に行って情報を仕入れよう。」
 早朝6時に起きて、港まで歩いた。波止場に近づくと、何人もの男達が次々に私の方に寄ってきては、小船のチケットを売ろうとする。いろいろな話をまとめると、
「タキーレ島の祭はもう始まっているが、一番盛り上がるのは明日。」
らしい。(本当は、4日後であった)
さらに、
「ウロス島行きの船が、7:30に出る。」
と言う。私は、プーノの街にいても仕方ないと思っていたので、近くにいたトラック運転手に1ドル紙幣を渡し、ホテルに舞い戻った。
「船の出発まで、30分しかない。」
ベッドの上のカメラをつかむと、今度はリクシャーで港へ向かった。
 港にある店で、朝食になりそうなバナナ、ミカン、ビスケット、そして、インカコーラをひったくるようにして買った。
 私は船の場所を聞き、その中で1時間待った。しかし、8:30になっても出発する気配がない。他の観光客を乗せた船は次から次に出発し、私を乗せた船だけ取り残された。
「あれはツアーだから仕方ない。」
とは思うものの、頭の中は、
「ちんちん。」
 船は、9:10に出航した。

 青と緑の鏡
 ティティカカ湖へ滑り出すと、湖面の風が私のもやもやを吹き飛ばした。船は、一面の浮草を、かき分けながら進む。船の奥には、現地の人達が陣取り、おしゃべりと編物をしている。私はサングラスを取り出した。
 そして、ポーランドの新婚さん、チリの3人娘と顔を見合わせながらサンローションを塗る。太陽が心地よい。
 どこまでも続く青緑の鏡、空と葦の浮島を映したティティカカ湖には、船のエンジン音だけが響き渡っていった。

 小島に住む人々
 途中、牛を飼う人や、トトラと呼ばれる小船に乗る人々を眺めながら、船は快調に進んだ。しかし、その人々にカメラを向けると、彼等は非常に嫌がった。
 
 たぶんウロス島
 私達の船は、小さな島についた。
「これがウロス島かなあ?」
ガイドはスペイン語で、
「降りなさい。そして、30分後に来い。」
と言った。スペイン語が得意なポーランドの新婚さんに、聞き直してもらった。
「30分後は間違いなさそうだ。」
しかし、
「船はどこかに移動するようで、しかも、どこに移動するのか分らない。」
と言う。もう一度尋ねてもらったが無駄だった。
船の中を覗くと、現地の人達はもういない。
仕方なく、私達3人は船を降りた。注意深く、葦でできた浮島に第一歩を踏み出した。
「ふわふわ。」
「ふわふわ。」
その感触は、として実に気持ち良い。私たちは何度も何度もジャンプしては、歓声を上げた。島の家は葦の草でできていた。
 30分後、船を降りたところに戻ってみるが、船はいない。島中をうろうろ探し回ってやっと見つけた。
 船の中には、現地の人々が乗り込んでいた。

  ウロス島
 私達の船は、15分ほど走り、次の島に着いた。
「ウロス島。」
と看板があった。
 そこの島には、土産ものを地面いっぱいに広げた人々が待っていた。土産ものをみたり、小さなミュウジアムを観て30分ほど過ごした。観光化されていて、しかも、彼らは観光客に飽き飽きしていた。
「ここに、私の求めるものは無い。」
 出発の時間になりプーノの街に戻った。  
                     

続いて、私の日記8月1日をご覧ください。

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ウロス島への行き方と率直なアドバイス

1 ウロス島へはティティカカ湖畔の街、プーノから船を利用します。(他に手段はありません)

 日帰りのチケットは当日でも十分に購入できます。売り場はありませんが、港に行けばたくさんのチケット売りから声を掛けられるはずです。均一料金で、街にある旅行代理店よりも安く手に入ると思います。船はたくさんありますが、すべて8時〜9時に出発するので、早朝に手配しなければ失敗するでしょう。

 私の場合、たくさんあるウロス島のうち2ヵ所に、それぞれ30分ずつ止まりました。

 ウロス島に宿泊することも可能ですが、お薦めしません。なぜなら、金を払えば子供から老人まで写真のために笑顔を作ってくれる観光地になっているからです。
 
5 もし、あなたがタキーレ島の訪問を計画しているなら、ウロス島だけを訪れる必要はありません。タキーレ島行きの船が、ウロス島に30分ほど立ち寄ります。そこで観光すれば十分でしょう。(タキーレ島1泊2日の訪問をお薦めします。 詳細をご覧になりたい方は青色の部分をクリック。)
                          
6 土産物を購入する場合は、交渉を言い値の1/4以下から始めて下さい。


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