マチュピチュへの道
古代インカ道(インカトレイル)、トレッキング・ツアー(4日間)の記録です。
(上:インカトレイルから空中都市マチュピチュを望む)1 私の日記
前日まで
24日(トレッキング初日)
バスの出迎えサービス /やっぱりソンブレロ /ウルバンバで昼食/オリヤンタイタンボ /インカトレイルの入り口 /手で渡る吊り橋 /一人残された私 /キャンプ初夜
25日(2日目)
馬の登場 /チチャの虜 /ガイドの責任 /夕食が食べれない
26日(3日目)
荷物 /大久保さんとの出会い /最後の夜
27日(4日目)
ありがとうポーターさん /空中都市マチュピチュを見下ろす/マチュピチュ観光 /アグア・カリエンテス駅2 率直なアドバイス
・ トレッキングに必要なもの
・ ツアーの申し込み方法
休む間もなく日本から飛んできた。成田、ロサンゼルス、リマ、そして、古代インカ文明の街クスコ。しかし、3500メートルの標高と寒さのために、体調がよくない。市内での休息を考えたが、この高山病の症状は、これまでの経験から一日やそこらでは治らない。それならば、4日間の高地トレッキングで荒治療をしようと考えた。全行程33キロメートル。 ガイド・ポーター・コックが付いて65ドル。参加者数32名。私は、自分の体調への不安から、エキストラ・ポーターを4日間、一日7ドルで雇った。そして、ビタミンの豊富な缶ジュースやチョコレートなどを大量に買こんだ。荷物を全部まとめると、約24キロの重さになった。
バスの出迎えサービス
朝5時30分。宿の前で、高山病による頭痛と寒さに震えながらツアーバスを待つ。
「もう来ないんじゃないか。」そう思い始めた頃、1時間遅れでやって来た。しかし、さらに、他のツアー客を拾いに街中のホテルを回る。「集合を旅行代理店前にすればいいのに。」「こんな、出迎えサービス要らない。」私達ツアー仲間は、クスコの街の中をぐるぐると回るあいだ、不思議な連帯間を感じ始めていた。結局、出発は7時30分だった。
やっぱりソンブレロ
バスが街を出ると、とたんに機嫌がよくなる。陽気なチリの娘たちが、歌い出だす。舞い込む砂ぼこりなんかお構いなしに、クスコ郊外の景色を楽しんだ。1時間後、バスは昼食のため、ウルバンバに止まった。ほとんどの仲間は、指定レストランに入ったが、私は、どおしても帽子を買いたかった。早速、地元の人に市場の場所を尋ねる。
「オラ。」
最高の笑顔でご挨拶。
「オラ。」
「ドンデ・エスタ・エル・メルカド?」
スペイン語を使う。
「ペラ、ペーラ、ペラ、ペラ。」
私の質問、は分かってくれたようだが、何を言っているのか分からない。段々、人が集まってくる。しかし、身振りしか分からない。
私は元気よく歩き出した。市場に来た。なかなか良い感じである。私は、帽子屋を見つけてに中に入る。
「おっ、ソンブレロだ。」
「やっぱり、ソンブレロだよね。」
と独りぶつぶつ言いながら、手当りしだいにかぶって見る。ソンブレロを日本語に訳すと『つば付き帽子』である。値段を尋ねる。
「クアント・クエスタ?(いくら?)」
「10ソレス。」
私は、安い(500円)と思ったけど値切ってみた。
「7ソレス。」
「9ソレス。」
「8ソレス。」
「オーケー。」
簡単に決まってしまって、8ソレスで買った。
「もっと値切れたな。」
「まあ良し、とするか。」
とつぶやく。
私は帽子のかぶり方が分からなくて、横向きにかぶると、店の女主人と老婆にひどく笑われた。
「じゃあね。」
「アディオス。」
ウルバンバで昼食
それから、とても美味しいさつまいも入の鶏肉スープを飲んだ(3.5ソレス)。ここでも、訳の分からん会話となり、あっという間に時間が過ぎる。 集合時間になり、帰り道を急ぐと、何と正面に止っているミニバスの屋根に、私の荷物らしき物がある。
「何で?」
「盗難でもなかろう。」
小走りにバスに近づき中を覗いた。私達のバスの運転手とガイドが、昼食を食べている。
「バスを移動させ、自分達だけ安くて美味しいものを喰っている。」
「この、ぼったくり野郎め。」
私は、そんなことは顔にも出さず、中に入れてもった。そして、彼らが食べ終わるのを寝て待つことにした。
「みんなが首を長くしながら待っているだろう。」
と思いつつ、昼寝をした。
「ふっ。」
と気がつくと、運転手とガイドも寝ている。がーん。私達が、集合場所に着くと、みんな拍手で迎えてくれた。運転手は分かっていないが、彼等は怒っている。
オリヤンタイタンボ
30分バスにゆられて、 今もインカの水が流れるインカ最大の遺跡、オリヤンタイタンボに着いた。着いたというより、運転手のたばこ休憩のために止まった。私は、
「チャンス。」
とぼかりにバスを飛び出し、遺跡のほうへ走った。
「他に誰も来ない。」
遺跡には、ごうごうと水が流れ、見上げれば段々の水田が空に続いている。時を忘れ、遺跡の入り口へと近づいていった。私は、またもや、
「ふっ。」
と我に帰り、一目散にバスへ走った。バスはクラクションを鳴らして怒っている。しかし、ツアーの仲間は誰一人として怒っていない。
インカトレイルの入り口
3泊4日のトレッキングは、Km88駅から出発する。しかし、運転手が、
「路面が悪く走れない。残り2キロを歩け。」
と言う。ここで、ついにアメリカ人青年が爆発した。激しい口論の末、バスが細くぬかるんだ道をゆっくりと進みだした。
「うおーっ。」
「パチ、パチ、パチ。」
「パチ、パチ、パチ。」
「やったー。」
私も、思わず日本語で叫ぶ。
トレッキングの入り口に着くと、バスに別れを告げ、私達は靴の紐をしっかりと結んだ。私は、頼んでおいたレンタルの寝袋とマットをリュックに縛り付け、それとは別に、自分で運ぶためのカメラバックを用意した。さて、荷物を私のポーターに渡そうとすると、ガイドが、
「ポーターはいない。」
と言う。頭が、
「ぷっつん。」
と切れそうになる。ガイドと散々言い合ったが、いないものはいない。私は、誰よりも数倍重い荷物を担ぎ上げた。
手で渡る吊り橋
5分も歩かないうちに、素晴しい吊り橋が見えてきた。川には、1本の太いワイヤーロープが渡され、それに吊り下げられた3人乗り鉄製ゴンドラを、ロープを引っぱって進ませる。全員渡るのに30分かかったが、みんな満足した。渡り終えたところで、ガイドが、行程の説明をした。
「昼食場所まで、3、4時間。」
「その後、2時間歩いて夕食とキャンプ。」
ところで、彼の名前はフレディ。英語とスペイン語を話せるとのことだったが、彼の話す英語は、イエスとオーケーだけだった。
一人残された私
仲間は思い思いのグループになって、出発した。私は重い荷物と高山病のため、最後のほうに出発した。
「うーん。いい感じだ。」
古代インカの時代、キリスト教徒からの殺戮から逃れるために作られたインカトレイルは、ウルバンバ川に沿って続いている。
しかし、しだいにリュックは肩に食い込み、1歩あるく毎に、何回かの呼吸が必要になってきた。
「はあ、はあ、はあ。」
「はあ、はあ、はあ。」
「はあ、はあ、はあ。」
1歩に3呼吸必要になった。休憩しかない。昼食場所に着くはずの時間は、とっくに過ぎていたが、歩くペースが遅過ぎて分からない。道を間違えた可能性もある。私は、腰を降ろし、甘ったるいマンゴジュースを飲みながら、ここでビバークすることも考えた。
「明日は、正確に来た道を引き返さなければならない。」
30分は過ぎただろうか。ふと気が付くと、私達のツアーのポーターの一人が、目の前にいた。彼は私の荷物を担いだ。そして先を急いだ。
「1歩を1呼吸で歩ける。」
キャンプ初夜
その夜、私はカナダの青年ジャックとイスラエルの青年と仲良くなり、同じテントで寝た。
2日目(25日)
馬の登場
朝、さわやかに目が覚めた。朝食のパンとスープも美味しかった。
そして、昨夜ガイドに予約した馬がやってきた。私は重いリュックを馬に乗せると、カメラバック片手に歩き出した。るんるん。
チチャの虜
2日目の今日が1番きつい道なのだが、私は昨日とは別人のように飛び回り、トレッキングを楽しんだ。
道の途中にある小さな店では、ミネラルウォーターやビスケットを売っている。仲間は瓶入りジュースを飲んでいたが、私はポーター達が飲んでいる地酒、チチャに挑戦した。それは青いポリバケツの中に入っている豆類から作った発砲性の黄色い酒で、細かな粒つぶが入っていた。青いバケツの中から、プラスチック製のコップで酒をすくう。そして、ごくごく。体中の疲れが抜けていくようだ。これ以来、私はチチャの虜になった。とても安く、0、5リットルで30円だった。
ガイドの責任 今日最後の、3つ目の峠で、私達は集合した。そこで、馬は引き返し、乗せられていた荷物は、それぞれが持つことになる。私は、ガイドと交渉し、彼の荷物と私の荷物を交換してもらった。
私はとても早くキャンプ場に着いたが、ガイドが着いたのは、一番最後だった。
夕食が食べれない
あまりの寒さに、ジャックと私は寝袋の中にもぐり込み、夕食を待った。2人は話し疲れて眠り込んだ。
ガイドに起されて外に出ると、もう真っ暗。懐中電灯なしでは歩けない。みんなの集まっている所に行くと、美味しそうなスープとマカロニを食べていた。私達も食べ始めたが、あまりに寒い。
「カタカタ、カタカタ。」
私は足踏みを始めたが、周りのみんなも足踏みをしながら食べている。
「カタカタ、カタカタ。」
「カタカタ、カタカタ。」
半分もしないうちに、私は食べれなくなってしまった。
「食べれば暖かくなる。」
などと言っていられない。すでに、私の胃袋は縮み上がっていた。
3日目(26日)
荷物
朝起きるとすぐ、荷作りを始めた。荷物を軽くするため、また、みんなに朝食として食べてもらおう思い、重い缶詰やジュースをガイドのフレディに渡した。
ところが、朝食に出てこない。
「ポーター達に配ったのかな。」
「優しい人だから。」
ところが、出発の時間になって、昨日と同じようにフレディと私の荷物を交換した。しかし、彼の荷物が非常に重い。何と、荷物を軽くするためにやった缶詰やジュースが、ごろごろと入っているではないか。
「もう、目が ・ 」
大久保さんとの出会い
小さな峠の頂で、腰を降ろしている日本人に出会った。私達は、お互いに写真を撮りあった。彼は仕事を辞めて、
「自分に挑戦するために来た。」
と言う。足は豆だらけで、汗をたくさんかいていた。彼とは、これからも何回か偶然に出会うことになるが、初めて出会ったときから二人は気があった。
最後の夜
最後のキャンプ地には、シャワーとビールが待っていた。私は、大久保さんとビールを飲んだ。ここは、1泊2日のトレッキングツアーの人達と同じ場所になるので、非常に多くのトレッカー達で込んでいた。
4日目(27日)
ありがとうポーターさん
朝食を終えると、ポーター達が帽子をもってチップを集めに来た。私は、持っていた全ての缶詰や食料、そして、10ソレス(500円)を差し出した。彼等は、非常に喜び、嬉々として分けあっていた。そして、私は、軽くなった自分の荷物を担ぎ上げた。
「もう、自分で運べる。」
空中都市マチュピチュを見下ろす
朝日を受けるマチュピチュを見るため、早朝に出発した。
1時間ほど歩き、最後の峠を登りつめると、突然、私の目の前に空中都市マチュピチュが現われた。
「うーん。」
「これが、あのマチュピチュか。」
私のイメージのなかでは、そびえ立つ山頂に水を引き、農耕を行い、そして、高度な文明社会を営んだ謎の空中都市なのに、何とそれを見下ろしているのだ。学校では、
「古代インカの人々が、自らの文化を守るため険しいアンデス山脈に都市を築いた。」
と習ったが、実際にその場でみると、
「必然的で何の謎もない。」
マチュピチュ観光
マチュピチュは、バスでやって来た観光客であふれ返っていた。長い道のりを歩いてきた私達も、入場券を買うために長い列に並び、長い時間待たなければなれなかった。
遺跡の中に入ると、スペイン語と英語のガイドがいたので、私は英語のガイドについた。彼は挨拶をすると、いきなり、
「誰かコカインの葉を持っていないか。」
と尋ね、アメリカ人青年から貰うと、うまそうにかみだした。みんな笑った。もちろん、コカインの葉を噛むことは合法であり、私も噛みながら歩いてきた。
マチュピチュは素晴しい遺跡であると同時に、第一級の観光地であった。
アグア カリエンテス駅
いよいよ、クスコに帰る時が来た。私は大久保さんとバスに乗り、ツアー最後の集合場所になるアグアカリエンテス駅に向かった。駅に着くと、私達はスクランブルエッグといくつかのカクテルを頼んで、くつろいだ時間を楽しんだ。しかし、列車の到着する時刻を1時間過ぎてもまだ来ない。私達は別料金を払って、1日に1便しかない特急列車に乗ろうとしたが、
「座席がない。」
と言う。仕方なく、いつ来るか分からない普通列車を待つことになった。しかし、列車が来ると同時に、それに乗ろうとする人々で、列車が見えなくなった。私達は、なんとか乗れたものの、大きな荷物と超満員の人々で、足が床に付いていなかった。このままの体勢で、いつ着くとも知れない6時間の列車の旅を楽しんだ。
休息
クスコの街に着くと、今度は宿がない。
「ありますか。」
「ありません。」
「ありますか。」
「高い部屋ならあります。」
「また、今度にします。」
少なくとも10数軒尋ねた後、新しくきれいな宿を見つけた。そして、深い眠りに就いた。ひき続き、私の日記7月28日『休息日』をご覧ください。 ↑このページのTOPへ
2 率直なアドバイス
1 ツアー内容について
時間があれば3泊4日をお薦めします。世界中から集まった若者と知り合いになったり、古代インカ帝国に思いを馳せることができるでしょう。しかし、自然やそこに住む人々との触れ合いは期待できません。マチュピチュのホテルで1泊することは、よほど深く研究しようと思っている人以外にはお薦めしません。1泊2日はとても安価でが、マチュピチュを遠くから、あるいは、いろいろな角度から眺めたい人にはお勧めできます。お金は数倍かかりますが、ランドクルーザーや専用バスで行くことは、体力と時間の 両面で十分に価値があると思います。帰りのローカル列車での移動が、かなりきついからです。
2 ツアーの申し込み方法
旅行代理店はアルマス広場を中心に20件以上ありますが、料金・内容ともに大差はありません。契約する前に確認するポイントは次の通りです。1 マチュピチュの入場料が含まれているか
2 ツアーの参加人数が多過ぎることがないか(食事の準備には非常に時間がかかります。また、足の遅い者がいるとトラブルが起きやすいです。)
3 ガイドは英語を話せるか
4 英語圏の参加者は何人いるか(スペイン語が話せる人は大丈夫ですが、英語を話せるガイドだと説明があっても、ほとんど話せないと考えて間違いありません。)3 トレッキング必要なもの
まず、健康なからだと柔軟な心(年齢制限はありません)。丈夫な靴と靴下。バンドエイド。つめきり。長ズボン。下着。Tシャツ。長袖シャツ。セーター。ウインドブレーカー。帽子。サングラス。日焼け止めクリーム。歯ブラシ。チョコレート、ピーナッツ、ビタミン剤。解熱鎮痛剤。小さな水筒。リュック。カメラとフィルム。懐中電灯と乾電池。時計。筆記用具。現金。(あってもいいものはインスタントコーヒーと砂糖)・ 寝袋とマット(ツアー申し込み時、安価にレンタルすることも可能ですが、とても汚いです)
・ テント(ガイドが用意してくれるので不要です)
・ 食 料(コックが用意してくれるので不要です)
・ 水(湧き水の中に殺菌剤を入れれば大丈夫ですが、トレッキング中に購入することができます。高価ですが悪くありません。)