私の日記
                  1997 08 02(土)曇
  キョウガ湖の村を行く

 ==◎今日の日程======================
 午前:ブゴンドウ村 (舟)→ケレ
         (自転車)→カバレマイドウ
 午後:    (大型バス)→ナマサレ
                          ナマサレ泊
 ==============================

  6時40分起床。
  港に出る。漁から返ってきた舟には、もう、魚は残っていなかっ
 たけどにぎやかな雰囲気は残っていた。

  良くないのはスティーブ。彼は、朝から酒を飲んでいる。きっと、
 私からくすめた金で買ったのだ。

  私は、部屋を貸してくれた男に5000Ush、娘に1000Ush
 を払った。それを見ていたスティーブは、
 「たった、それだけか!」
 と言ったが、私はそれ以上渡さなかった。
  もともと料金は決まっていないし、この金額が適正であることを私
 は知っている。

  いよいよ、出発の時が来た。スティーブは、
 「一緒に舟に乗り、ケレ村まで行く。」
 と言ったが、私は断わった。しかし、断わり切れない。何故なら、た
 またま通りかかった村長が、秘書であるスティーブに、
 「客人を送っていき、ケレの村長に紹介してやりなさい。」
 と言ったからだ。

  こうして、酔っ払いのスティーブと一緒に、1時間半の旅をするこ
 とになった。
 
 (写真上:舵を持っているのは船頭。キョウガ湖は、こんな
  色をしている。写真の右上は、漁をする人々。中央の人が
  湖面を叩き、両端の人たちが網を引く。)

  舟上で、同乗した宣教師達が英語の歌をうたった。

  人生は辛い。
  生活は苦しい。
  だけど、私達には夢がある。
  人生には夢がある。

  私はこんな歌詩は嫌いだ。私ならこうだ。

  人生は楽しい。
  生活は楽しい。
  それに、私達には夢もある。
  人生には歌もある。

  11時半。
  ケレ村着。舟代は、15000Ushも払った。スティーブが船頭と
 交渉した。適正料金は見当つかないが、3000Ushか?
           (宣教師の2人は1000Ushずつ払った。)

  当初の予定では、ここに1泊するつもりだったが、
 「スティーブは酔っているし、この村もブゴンドウと大差はなさそう
 だ。」
  私は予定を変更して、すぐ移動することにした。目的地は、同じキ
 ョウガ湖畔の村『ナマサレ』。ここは地理的に見て、少し裕福な感じ
 がする。とにかく、
 「これでスティーブとお別れだ。」
 と思うとさわやかな気分だった。

  しかし、移動手段は、またまた自転車しかない。自転車ハイヤーで
 ある。前回は荷物が腰に喰い込み、酷い目にあったので、2台頼みた
 い。しかし、自転車がない。1台もない。宣教師達は、自分の自転車
 を持っているが、私は無い。

  暫くすると、自転車がやって来た。料金は、バスの走っている村『
 カバレマイドウ』まで2500Ush。ぼられたかどうか、さっぱり分か
 らない。とにかく、出発できることが嬉しい。

  午後1時。カバレマイドウ着。
 
 (写真上:カバレマイドウの市場。交通の要所だけあって、
     活気がある。)

  私は、小さなレストランに入り、魚2皿と、アタプを頼んだ。どち
 らの魚もとても美味しく、アタプも良くできていた。これで、700
 Ush(80円)。この村での貨幣価値は、日本の20倍になる。それ
 から、違う店でお茶を飲んだ。100Ush。
 
 (写真上:小さな喫茶店でお茶を飲む。日記を書いていると、
     たくさんの人が珍しそうに眺めている。)

  今日の目的地『ナマサレ』へのバスは、市場前を15時出発予定だ。
 それを待つ間、村の中を散策。ここは、植民地時代に栄えた街らしく、
 外路灯や電線などがたくさん残っている。もちろん、現在の村には電
 気はない。また、フランス風の豪邸には、現在、たくさんの学生が下
 宿していた。

  バスは16時に来た。イスズ製で、30年は経っているだろう。私
 の座った椅子の窓ガラスは無かったし、最後部シートは鉄板むき出し
 で座れない状態だった。
 
 (写真上:バスは、このような小さい村々を通過していく。)
 
  18時。
  ナマサレ村では、3000Ushのロッジに泊った。2000Ushも
 あったが、机と椅子に1000Ushを払った。しかし、このロッジの
 女主人は、夜、私のためにバケツ1杯のお湯を持って来た。水ではな
 い。身体を洗うためのお湯である。これは最高のサービスだった。

  「もうすぐ陽が沈んでしまう。」
  重い荷物から解放された私は、早速、港に出かけた。一番にしなけ
 ればならない事は、明日の舟のチェックである。しかし、返ってきた
 返事は良くない。
 「明日は日曜日なので、舟は出ないよ。」

  私は、もう一泊する覚悟を決めた。
 
 (写真上:港から村へ通じる道。港には、用もないのに、た
     くさんの人がうろうろしている。この写真は、翌朝
     写したもの。)

  さて、シャワーの後は、ビールが飲みたい。
  私は、近くの店に買いに行った。しかし、ここで、災難に合うので
 ある。災難といっても、小さな村では良くある事だ。

  私が、雑貨屋の店の主人とビールの種類について話しをしていると、
 突然、後ろから来た男が、
 「君は何者だ?」
 「この村に来た目的は?」
 「国籍はどこだ?」
 「ここに何泊する?」
 「どこから来て、どこに行く?」
 などと、矢継早に質問してきた。挙句の果てには、
 「おまえの言っていることは嘘だ。」
 「おまえは日本人ではない。」
 「スパイだ。」
 という始末だ。頭に来たので、
 「あなたは一体誰ですか?」
 と聞くと、
 「警察だ。」
 それなら、
 「証明書を見せろ。」
 すると、
 「証明書はない。」
 と答える。
 しかし、相手の口調がしっかりしているので、私はパスポートを見せる
 ことにした。それで、その男は一応信用してくれたが、この村を訪ねる
 異邦人は極端に少ないのであろう。
 それが分かると、男は、
 「明日の朝一番に、ボスのところへ行け。」
 と言う。よくよく聞くと、ボスとは村長のことだった。
 「何だ。そんなことか。」
 で一件落着。 
 

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私の日記
金の首都『カンパラ』
3 Aug 1997

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