私の日記
                 1997 07 29(火)晴れ
 『シピの滝』に行こう!

 ==◎今日の日程====================
     〜昨夜から、国際バスに乗りっぱなし〜
    5時  出・入国【ケニア→ウガンダ】
    7時 ンバレ着
 午後:ンバレ(ミニバス)→シピの滝
                          シピ泊
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 夜行バスは参ったなあ。
 ぜんぜん、Executiveでない。

 出発は2時間遅れの23時。

 リクライニングシートは、最後まで倒しても約3度傾くだけ。
 これでは、正確に座って眠るほうがましだ。

 翌日午前1時、ネオンぎらぎら店前に停車。
 そして、1時間の夜食タイム。
 「もう、堪忍してくれよ。」
 
 浮浪者の傍らにしゃがみ、夜空を見上げる。
 店からは、趣味の良い音楽が流れてくる。
 私は、外で用を足す。

===出・入国事情【ケニア→ウガンダ】=========
 
 5時。
 ケニアのイミグレ着。すぐ出国。
 
 少しバスで走って、ウガンダのイミグレ。
 係官が、
 「何日?」
 と尋ねるので、
 「2週間。」
 と答える。
 これで2週間の観光ビザを取得(無料)。
 そして、そのまま入国。

   ※ということで、全く問題ありません。

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 それから、とろとろ寝ていたら;
 「着いたぞ!」
 と言って起こされる。
 この『分岐点』で降りた乗客は私だけ。
 今は、午前7時。

 すぐ『トロロ』に行きたい!

 走ってマタトゥウ(乗り合いバス)に乗る。
 バスの運ちゃんがクラクションで止めてくれたのだ。
 『トロロ』まで500Ush(60円)。

 しかし、その車がそのまま『ンバレ』の街に行くというので、
 そのまま乗る。

 
(写真上:『コーチ』の中から写す。時速100kmは軽
 く超えている。割れたフロントガラスも気にしない。)

 8時。
 『ンバレ』の街に着いた。
 腹ぺこなので、レストランに入る。
 
(写真上:バス停前のレストランで。
 ご覧の通り、私は思いっきり闖入者である。)

 9時。
 銀行が開く時間を待ってレストランを出る。
 通りを歩いているおじさんに道を聞いたら、その人が
 ずっとついてくる。
 困ったものだ。
 
 何軒かの銀行を回ったが両替できない。
 私は、トラベラーズ・チェックを使いたい。
 結局、小さな薬局の主人に頼み込んだ。
       (200ドル=202.000Ush)
 「ありがとう。」

 それから、マタトゥウ『シピの滝行き』に乗り込む。
 約35キロの道のり。3000Ush(360円)。
 実は、さっきの男はここまで付いてきて、とうとう仕事
 を始めた。
 「私には家族がいて、、、
  子供が7人いて、、、」
 私は500Ushを差し出した。返ってきた返事は、
 「少ない。」
 私の返事は、
 「それなら、500Ushを返してくれ。」
 男の返事は、
 「それだけで良い。ありがとう。」 
 これで私は自由の身になったのだった。
 
 さて、私達の車は途中で白煙をあげてラジエターが爆発
 「あと、5キロなのに、、、」

 私は、後から来たトラクターに乗り移った。

 『シピの滝』で降りたのは私一人だった。
 500Ushを払う。
 ここの第一印象は、運ちゃんに『降りろ』と言われたから
 降りただけで、特にない。ごく普通の村だ。

 私は、目の前にあったホテルに入った。
 ダブルで7000Ush。
 少し高いが良い部屋だ。

 洗濯し、ビールを飲んで寝た。
 激しい雨が、ブリキの屋根を叩いた。

(写真上:シピ、第1の滝。落差30m。雨で増水している。
     シピには4つの滝がある。)

 起きたら、21時になっていた。
 丸1日移動していたのだから当然である。
 洗濯物のいくつかが落ちていた。

 宿の女主人に『夕食』を頼んだ。
 何が出てくるかはお楽しみだったが、
 「やばい。」
 芋に酸味が利いる。
 肉じゃがライスだった。

 22時消灯。

続きを、どうぞ!

私の日記
『シピの滝を歩く』
       30 jul 1997

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