私の日記
                 1997 07 30(水)晴れ
 『シピの滝』を歩く

 ==◎今日の日程====================
  終日:シピの滝周辺を散策
                      シピ泊(2日目)
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 6時起床。
 朝のトワイライトが美しい。
 しかし、私には大仕事が待っている。
 それは、ビデオのバッテリーを充電すること。

 まず、部屋の壁のスイッチを分解。
 むき出したコードに直結。
 が、失敗。
 天井の蛍光灯のスターターが点滅するだけ。
 さらに、スイッチまでばらばらになった。

 次に、天井の蛍光灯を剥がす。
 虫の死骸がいっぱい出てきた。
 しかし、リード線から電気を取り出せない。
 しばらく考え、ライターでリード線を包んでいるビニールを焼
 き取るアイデアを思いつき、早速、挑戦。

 そして、見事に大成功!
 この作業に1時間半かかった。

 8時。
 ビスケットとジュースを買って出発。
 ちょっと散歩するつもりが、15時になっていた。

 ====<シピの滝を歩く>================
  滝は全部で4つある。
  普通は順に廻れるが、昨日の雨で増水。第1から第2の滝へは渡
 れない。
 しかし、果敢にトライ。
 結果は、『失敗』。
  死ぬかと思いながら2回
 滝壺に降りた。気付くと、
 腹に付けていた航空券と紙
 幣はずぶ濡れ。
  それでも懲りず、近くの
 少年に500Ush渡し、
 再度挑戦。
  しかし、足を滑らせたら
 本当に死ぬであろう事に気
 づいた少年は、私を断念さ
 せた。

  少年は、滝の左側を迂回する道をとった。しかし、それは道なき
 道であった。途中、たくさんの植物について、特に、触ると危険な
 植物について教えてくれた。
 1時間後、第1の滝の上部に出た。少年は右手を差し出し、私はそ
 の手をがっちり掴んだ。私達は4本の足で川底を確かめながら1歩
 ずつ進んだ。

  渡り終えたところで少年と別れた。少年は学校があるそうだ。そ
 れから、少年に教えてもらった道を歩き出したが、すぐに見失った。
 「どう考えても、一人で歩くことは不可能のようだ。」

  私はガイドを雇う事にした。彼の名前はスティーブ。ガイドとい
 っても、その辺を歩いていたおじさんである。交渉して3000
 Ushになった。
 
 (写真左:第4の滝でスティーブと写す。水飛沫は、数
   秒で私達をずぶ濡れにする。)

  第2、3の滝に来た。まあまあである。
  第4の滝に来た。まあまあ。でも、滝を全部見たので満足。
  

  帰り道、スティーブが
 「酒を飲みたいか?」
 と言うので、私は、
 「はい。」
 と答えた。私達は適当な家に入り、女に声をかけた。2軒めで
 「酒がある。」
 と答えが返ってきた。そこの家には、とてもかわいい子供がいたの
 でビデオを撮ってもよいかと尋ねた。しかし、返事は、
 「いくら払う?」
 私は、
 「酒とビデオで1000Ush。」
 と答えた。私がビデオを構えると、彼女はよそ行きの顔になってしま
 った。
 「あらら。」
 さらに、酒代として『500Ush払え。』と言う。もう、最悪!!し
 かし、後の祭りである。
 

  次にスティーブは、
 「『蒸留した酒』を飲ませたい。」
 と言う。つまり、彼が飲みたいのである。私も飲みたかったので、
 彼と小さな村に行った。そこには非常に簡素なバーがあった。勧め
 られるままに座ると、すぐに老婆が私の前にひざまずいて、握手を
 求めてきた。
 「まるで、私に祈っているかのようだ。」
 初めは、丁寧な挨拶かと思ったら、ただの物乞いだった。
 私は100Ushの酒を奢った。
 彼女は、酒を受け取ると、さっさと出て行った。

  スティーブと私は200Ushの酒をもらい、草の茎のストロー
 で飲んだ。

 
(写真上:村のバーで蒸留酒を飲む。アルコール度数40
   ぐらい。細いストローで飲むのでよく効く。美味。)

  酒は、旨かった。
  そして、スティーブにさよならを告げた。スティーブは、酔っ払
 いになってしまった。

  それから、一人で村に帰る途中、食事をしている母子に出会った。
 私がじっと見ていたので、母親は、
 「この人は、空腹なんだ。」
 と思ったのだろう。私のために小さな机と椅子、そして、お皿いっ
 ぱいのふかしたじゃがいもを持って来た。私は、実際お腹が空いて
 いたので、
 「うまい、うまい。」
 と言って食べた。赤ちゃんと同じものを食べた。
 塩とじゃがいもだけなので、水がないと喉につまって食べづらい。
 生水ももらって飲んだ。
 
 (写真左:頼んでいないのに、昼食を出してくれる。)
 (写真右:じゃがいもを美味しそうに食べる赤ん坊。)

  私は、お礼に500Ushを差し出した。
 「本当に、うまかった。」

  16時。
  村に帰ってきて、遅い昼食をとった。
  レストランの主人とその兄とたくさん話をした。
  金のこと、政治のこと、宗教のこと。

  20時。
  ホテルで赤ワイン(2000Ush)を飲む。
 「大変美味しい。」
  ところで、このホテルには、今日稼ぎのあった人だけ集まって
 ビールを飲む。稼ぎのない人は、家でじっとしている。ここでも、
 世間話が始まった。

  ウガンダでは、女性はフリーだそうだ。そして、一人の女が私と
 SEXをしたいそうだ。でも、私はしたくない。
  彼等に、何度も、
 「どうして?」
 「エイズが恐いのか?」
 と聞かれたが、したくないものはしたくない。挙句の果てには、一
 緒に話をしていた女が、
 「私としよう!」
 と言い出す始末だ。
 
  後から考えてみると、彼等にとって私は白人であり、ある意味で
 羨望の的なのである。

続きを、どうぞ!

私の日記
『移動もまた楽し』
31 jul 1997

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(以下余白)