韓国のキムチーな旅 1997/taka


私の日記 3月28日

[朝の散歩][温陽の公共温泉][チョビョンサンとの出会い][純韓国式お屋敷][円形の食卓を囲んで][2度目の夕食][遠浅の海で貝を採る]

 朝の散歩
 亨さんとオンドルの部屋で寝た。2万2千ウォン。
 8時、朝食に出かける。駅前に映画館があった。
「亨さんは映画好きらしい。」
ポスターを一生懸命見ている。そこへ、
「学校をサボって、映画を観に来たのだろう。」
不良女子高校生2人組みが来た。彼女達は扉を開けて中に入って行った。
亨さんと私もつられて中に入る。すると、彼女達が階段を降りてきた。どうやら、
「開館前のようだ。」
ここで、韓国語が喋れたら面白かったろう。間違いなく声をかけていた。しかし、
「残念。」
私達は韓国語が話せない。
 それから、すぐ側の小さな店に入った。朝定食(4千ウォン)を注文した。
 ・ 豚の腸のスープ
  (血の寒天、はるさめ入り)
 ・ キムチ2種類
 ・ ご飯
 感じの良い主人だった。 

 満腹になり散歩を始めた。すると、亨さんが『ポッキー』の自動販買機を発見。
それを買おうとしたが失敗。
「ポっキーが引っかかって出てこないよう。」
自販機が腐っている。
「どんどんどん。」
「どんどんどん。」
自販機を叩いて揺すったら何とか出てきた。しかし今度は、
「お釣りが出ないよう。」
「かちゃかちゃかちゃ。」
「かちゃかちゃかちゃ。」
返金レバーを動かしてみる。無理だった。
「あちゃー。」

 今度は、急に私の腹が痛くなる。
「漏れそう。」
ぴーぴーだ。先ほどチェックしておいた小さな韓国人専用宿に飛び込み、黙ってトイレを借りようとする。しかし、主人が出てきた。
「運悪し。」
何を言っているのか分からない。私は黙って外に出た。
しかし、その時の緊張感でピーピーだったはずのお腹が治っていた。
「もう、まいったなあ。」

 それから、亨さんは私のガイドブックをコピーするためコンビニへ。私は、××をしに宿へ帰った。彼とは12時頃に再会する約束だったが、これが彼との最後だった。

 温陽の公共温泉
 部屋の荷物をまとめ、ロビーで預かってもらい公共の温泉・銭湯に出かけた。(入場料2千ウォン。石鹸とタオルで300ウォン。)
「あー。いい湯じゃ。」
垢擦りおやじもいて、15分で9千ウォンだそうだ。
「やってもらえば良かった。」

 温泉から出ると、昨夜と同じ店で同じものを注文した。かけ蕎麦ならぬ、
「かけコンニャクだ。」
これは細切りコンニャク(色は真っ黒)が冷たい汁の中に入ったもので、腰があり、ぴかぴか光っていて実にうまいのだ。が、今日注文してみると何とそれは、
「蕎麦。」
だった。
「ありゃあー。」
でも、湯上がりには最高。

 チョビョンサンとの出会い
 それから安泰に行くため長距離バスターミナルの向かった。
 安泰周辺の海岸は国定公園に指定されているので、
「行きたい。」
そして、そこのの村で、
「民泊したい。」

 バスターミナルまで歩いて30分。くたくたになった。
しかし、チケットはすぐに買えた。
バスに乗ると私はすぐに居眠りを始めた。途中で起こされ、
「このバスを降りて、乗り換えろ。」
と言われた。ところが、安泰行きのバスがどこか分からない。
「安泰?」  
「安泰?」
聞いて回る。見つかった。
バスは10分後に来た。私は一番最後に乗車したので、ほとんど満席だった。しかし、軍服を着た若い青年のとなりが空いている。私は声をかけて隣に座った。これが運命的な出会いとなる。
彼の名前はチョビョンサンさん。24歳の学生で体格が良く、日本語の勉強を半年前から始めたそうだ。
 終点に着くまでの30分間、彼とずーっと話し続けた。
 安泰に着くと、彼にコーヒーを誘われた。私は喜んでついて行った。
「あなたは、今日どこに行きますか?」
「まだ、決めていません。」
「あなたは、今日どこに泊りますか?」
「まだ、決めていません。」
「それなら、私の家に泊りませんか。」
「はい、お願いします。」
私は、二つ返事で彼の申し出を引き受けた。
それから、彼は電話で両親に連絡した。

 純韓国式お屋敷
 泰安から彼の家までローカルバスで30分くらいだった。
途中で彼と同じ軍服を着た青年が乗り込んできた。チョビョンサンの顔がほころんだ。
「彼の幼馴染み。」
だと言う。この季節は休暇がもらえるのだろう。
彼の友達は先に降りていった。

 突然、チョビョンサンが私に言った。
「あれが私の家です。」
そして、運転手に頼んで降ろしてもらった。
「えー、大きい。」
本当に大きい。絵葉書で見たような純韓国式の家が、広い畑に中にぽつんと見える。私は彼の家へと続く細い道を歩きながら、この当たりの山や畑は彼の父親のものであることを聞いた。

 円形の食卓を囲んで
 彼の家には誰もいなかった。
私は縁側に荷物を置かせてもらい、彼と話しをしながら家族の帰りを待った。
「小1時間は待っただろうか。」
誰も帰ってこない。
 チョビョンサンは私を部屋の中へ案内した。
 私は大きなテレビの置いてある居間に通された。床はオンドルになっていて快適だ。
 彼に薦められて、紙パック入りのジュースを飲んでいると母親が帰ってきた。私は慌てて、ジュースを机に置き姿勢を正した。
「アンニョンハセヨ。」
(こんにちは。)
「チョヌン・タカ・イムニダ。」
(私の名前はタカです。)
私の韓国語はここまでである。後は、彼女の挨拶を笑顔で聞く。そして、
「あつい握手。」
である。
彼女の名前は、カーファージャ。とても暖かい感じの人だった。
「自分の母に似ている。」
と思った。体型は違うけど、、、
 カーファージャは着替えてから料理を作り始めた。
チョビョンサンと私はテレビを見ながら会話を楽しんだ。

 しばらくすると、母親の声にチョビョンサンが立ち上がり、円形の木製食卓を運んできた。そして、ご馳走が並び始めた。たくさんのキムチが並んだ。
「さあ、食べましょう。食べましょう。」
チョビョンサンが勧める。
「うまい。」
私は蟹キムチをつまんで叫んだ。
「食べましょう。食べましょう。たくさん食べましょう。」
さらに、チョビョンサンが勧める。


私達3人は、ゆっくりと食べた。
彼等が一回につまむ量をみていると非常に少なかった。しかし、その方が消化に良いし、コミュニケーションも良くとれる。

 十分に満足すると、カーファージャが食卓を片付けた。

 2度目の夕食
 「さらに1時間経ったのだろうか。」
父親が帰ってきた。私は、またまた姿勢を正し挨拶をした。
彼の名前は、チョーハンジョン。
「大きな声の父親だった。」
 それから2度目の夕食が始まった。カーファージャは準備を始めた。チョビョンサン、チョーハンジョン、そして、私の男3人組みは取り止めのない話しを始めた。その中で第2次世界大戦中の日本軍の話が出てきて、私はそのこのについて日本人の一人として謝罪した。やがて、食事の準備が出来ると、私達は自家製の酒を飲みながらの夕食が始まった。
 私達は、少しだけ酔った。
 とても良い気分だった。
 カーファージャもお酒を飲んだ。

 遠浅の海で貝を採る
食事が終わってしばらくすると、チョビョンサンが言い出した。
「海を見たいですか?」
私は、
「はい。」
と答えた。カーファージャは、チョビョンサンと私のために長袖のシャツやズボン、帽子まで出してくれた。 
私達は懐中電灯を持って海に向かった。
私にとって初めての海だった。そして、知らず知らずのうちに、
「白い砂浜。」
を想像していた。
楕円形の懐中電灯の光りが、私達の道を照らした。
「10分は歩いただろうか。」
とうとう海岸にやって来た。
「思ったとおりの砂浜だ。」
しかし、チョビョンサンが変な事を質問をした。
「歩きますか。」
私は、
「はい。」
と答えた。
そして、私達は波打際に向かってまっすぐに歩き始めた。しかし、いつまでたっても波が無い。
「どうなっているんだ。」
私は不思議だった。やがて、その謎が解けた。この国立公園は遠浅の海によって指定されているのだ。
「しかも、その広さたるや凄まじい。」
強力な懐中電灯で照らしても波打ち際が見えてこない。
「少なく見積もっても100mは続いていただろう。」
素晴しい体験だった。だだし、白い砂浜ではなかったけどね。
 さらに凄いことには、そこに大きな貝が『あし』を広げて餌をあさっていたことだ。その大きさは大人の手のひらをいっぱいに広げたくらい。
 私達は真っ白な『あし』を懐中電灯で照らし出しては、いくつもいくつも拾った。
 そして、記念写真を撮った。


 その夜、チョビョンサンと私は同じ部屋で寝た。私のために用意されたふとんはピンク、きみどり色、オレンジを基調にしたとても奇麗なふとんだった。とても嬉しかった。

引き続き私の日記 『3月29日』をご覧ください。

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