韓国のキムチーな旅 1997/taka


私の日記 3月30日

[朝の散歩][現代美術館][世宗文化会館][南大門市場][カルビと逆ナン][化け物]

朝の散歩
 7時、すぱっと目が覚めた。 
 テレビを付けて、ゆっくりと荷造りをしていたら8時になってしまった。
「朝食を食べよう。」
と外に出る。
「銭湯発見。」
入りたい衝動にかられるが、我慢する。
「2軒目発見。」
どうやら、他にもたくさん在りそうだ。
しかし、食べ物屋が無い。
「ぐーぐー。」
腹が鳴る。仕方無くハンバーガーのファーストフード店に入った。3700ウォンのセットを頼む。
 ・ チーズバーガー
 ・ ポテト
 ・ コカコーラ
他に客はない。食べていると17、8歳の高校生風の男女10数名がやって来た。
暇な私は観察を始めた。彼等は、
「がやがや。」
と言いながら長いテーブルに一列に座った。そして、リーダーの青年がお金を集めながら、仲間の注文をとる。彼は、黒の背広でお洒落をしている。集金が終わると、女リーダーと一緒にオーダーに行った。戻ってくると2人で話し始めた。
「何を言っているのか分からない。」
そのうち、私の傍に座っている若者は退屈そうに居眠りを始めた。腕を組み寝てしまった。あちらの方では、女の子がコンパクトを取りだし化粧を始める。
「げろ。日本と同じだ。」
 やがて、店員が、
「出来ました。」
と声を掛けると、さっきまで寝ていたパシリ(使い走り)風の男の子が、
「がばっ。」
と飛び起き、男リーダーと共にハンバーガーを取りに行く。そして、ニコニコ嬉しそうに女の子達に配る。
「どうなっているのか分からない。」

 それから、東大門市場(写真下)まで歩いた。


「まだ早過ぎたらしい。」
何も無い。
「10時になれば凄い活気に包まれるのかな?」
と思った。それでも、ぶらぶら歩いた。
この市場は巨大なビル群の中にたくさんの商店が入っている構造だ。今は、入り口に下ろされた鉄格子の間から垣間見ることしか出来ない。
それでも、印象に残ったののは火事現場。悲惨だ。近くに消防車も止まっていた。
残念だったのは、旨そうな屋台が並んでいたこと。おばちゃん達が盛んに声をかける。
「ここで食べたーい。」

 それから、宿に戻ることにしたが、歩いたほうが早そうだ。しかし、あまりの寒さに銭湯に入る。2400ウォン。
「大変気持ち良い。」

 現代美術館
 宿でゴロンとしてから、
「現代美術館に出発。」
地下鉄No.4に乗る。30分で着いた。
 しかし、この美術館は遊園地、動物園と合体しているので降りてからが大変だった。シャトルバスの存在を知らない私は、飛んでもない距離を歩く羽目になった。
 入場料500ウォンを払って入る。常設展も企画展も素晴しい内容だった。子供が多いのが難点だが、是非とももう一度尋ねたい美術館だ。


(上:美術館で採ったメモの1ページ)


 南大門市場
 次に、今回の旅の目的地の一つ南大門市場に向かった。私は10年前にみたあの活気をもう一度確かめたかった。
しかし、見るだけではつまらない。私は韓国らしい原色のベッドカバーを買うことにした。何件か回った。
「ベッドカバーはありますか?」
この市場では、何と日本語が通じてしまうのだ。
「何か悲しい。」
しかし、
 ・ ベッドカバー   55000ウォン
 ・ 枕カバー 2つ  1500ウォン ×2個
合計9万ウォンにしてもらいカードで支払った。

 世宗文化会館
 それから、うどんとぎょうざを食べて世宗文化会館まで歩いた。
 韓国初日に手入したチラシによると、今晩7時からリサイタルをやることになっている。ただし、
「何のリサイタルかは不明。」
韓国後が読めないのだ。しかし、
「そんなことでめげない。」
私は、文化会館の階段を駈け上がり中に入った。
「一枚下さい。」
私は一番最初のお客のようだ。
「はい、どうぞ。」
最前列の中央付近の席をくれた。
「いくらですか?」
「だだです。」
「えっ?」
「無料です。」
「無料ですか?」
「はい、そうです。」
「でも、このチラシには1万ウォンと書いてあるよ。」
「でも、無料です。」
何だか狐に摘まれたようだったが私はただのチケットを手に入れた。
「ラッキー。」
そしてロビーの自販機でホット・コーヒーを買い、ゆっくりと飲んだ。
「うまい。」

 しばらくすると、大きな花束を抱えた男女がやって来た。年配の夫婦も花束を持って来た。どうやら、
「観客のほとんどは身内らしい。」
でも、
「ただなら許せる。」
私は、ささやかなソプラノ・リサイタルを楽しんだ。とてもファミリーな暖かい雰囲気のコンサートだった。たった一つの疑問は、
「これが、首都ソウルにある国立文化会館なのか?」
ということだ。
  
 ソウルのカルビと逆ナン
 さて、宿に戻ると、
「おまえの部屋は無い。」
と言われる。
実は、昨日の宿は高かったので変えることにしたのだ。しかし、安宿は人気がある。
「仕方無い。」
が、私は無駄遣いをしたくなかったので、安宿のリクエストカードに名前を書いて夕食に出発。
「日本人5人組みと一緒だ。」
と言っても、全員今日知り合ったばかりだ。そのうちの一人が、
「私の旅の目的は、うまいカルビを食べることだ。」
と言う。彼は、
「牛のカルビ。」
「牛のカルビ。」
と言いながら店を探す。別の青年は、
「安い店。」
「安い店。」
と言いながら店を探す。これでは、いつまで経っても決まらない。
結局、日本語の看板のある焼き肉屋に決まった。しかし、
「高い、まずい。」
の2拍子だ。でも、皆さん、
「うまい。」
と言うので、私も、
「うまい。」
と言った。そのうち美味しい話しが出てきた。彼等の一人がプノンペンの街中で『逆ナン』されたと言うのだ。つまり、歩き疲れて広場の階段に座っていたら、奇麗なお嬢さんが、
「はい、どうぞ。」
と言ってパンをくれたそうだ。その後、数週間一緒に旅をしたそうだ。
「うらやましー。」
彼女はプロではない。
「本当にかわいそうな旅人。」
と思いパンをくれた事がきっかけだそうだ。

 それから、酒屋でビールと焼酎を買い宿に戻った。私から学生さんへのささやかな奢りだ。さて、宿の大きなテーブルを囲んで、くちゃくちゃ喋っていたら、
「日本に3回入国拒否をされた。」
と言うイスラエル人が参加してきた。確かに、
「怪しい。」
あんな奴は入国させてはならない。彼は、
「日本は儲かる。」
と言っていた。

 話に区切りがつくと、私は自分の宿に向かった。
 ここには、私の部屋は無いそうだ。地図を片手に20分程歩いた。

 化け物
 そこの宿にも日本語の看板があって、日本人がいっぱい泊っていた。12時を回っていたので、私は足音を立てないように、ゆっくりと静かに2段ベッド階段を登り横たわった。安宿の共同部屋なので、手を伸ばせば届く位置に天井がある。ところが、変な音がする。
「ズズ。」
「ず。」
「、、、」
「ズズ。」
「、、、」
「ズ。」
「くちゃ、くちゃ、くちゃ、くちゃ。」
「くちゃ、くちゃ、くちゃ、くちゃ。」
誰かがラーメンを喰っている。
「糞ったれが、こんなところでラーメンを喰うんじゃない。」
また、食べ方が汚い。音楽が無い。ふと横を見ると、隣の住民と目が合った。
「ううう。」
彼の目も、訴えていた。
それにしても、奴は人間じゃ無い。この部屋に住人は、全員起きてしまった。もう30分は喰い続けているだろう。あまりに酷い。彼と目が合った。やっぱり、
「人間じゃあ無い。」
「みんな、彼が終わるのを待っている。」

引き続き私の日記 『3月31』をご覧ください。

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