私の日記
                
 恥知らずの日本人
                 
 1997 12 29(月)晴れ 

 ==◎今日の日程=======================
 午前:2泊3日ツアーに参加できず

    サパ15:00→16:00ラオカイ
              18:00(夜行列車)→

                             車内泊
 ===============================

  朝5時半起床。
  シャワーを浴びて、パッキング。

  
  (写真上:早朝6時半。ホテルのテラスから、お世話になった女の
   子と記念撮影。昨夜、彼女に日本語を教えてくれと頼まれた。ま
   た、背景の観光客用ホテルはフランス風、建築中も多い。)

  朝7時半。
  約束時間が過ぎても迎えが来ない。
  私は、人として恥ずかしい事をしてしまったのだ。

  昨夜、私はあるタクシードライバーと電話で交渉した。内容は、こ
 こからハノイにある村々を2泊3日で訪ねるというものだ。しかし、

 明日の出発は2人なので料金が高くなると言う。彼は70ドル請求し
 た。私は
30ドルだ、と答えた。そこへ、別の運転手がやって来て、
 私の代りに交渉しようと言う。電話を代わると、40ドルになった。
 ここまでに小1時間を要した。しかし、私は欲を出して
35ドルにし
 て欲しいと言った。これが悲劇の始まりだ。電話口で私が最後に聞い
 た言葉は
グッド・バイ。また電話すればよいと思った。隣にいる運転
 手も、
また掛ってくるから大丈夫と言った。案の定、ビールを呑みな
 がら待っていると電話が鳴った。私は
35ドルと言った。電話を交代
 すると35ドルになった。こうして、明日の朝7時出発の約束が成立
 したのだ。ただ、私は直接確認をしなっかた。


  今朝、迎えは来ない。確かに、代って交渉してくれた運転手は成立
 した
と言った。しかし、成立していなかった。

  私が電話する前、ドライバーは同じルートを希望する2人のドイツ
 人に
160ドル請求(80ドル/人)していた。そこに私が合流する
 訳だ。ドライバーは、私に70ドル請求し、
 70ドル×3人=210ドル
 
の計算をした。もし、35ドルなら、
 35ドル×3人=105ドル
 これは損をする計算なので有りえない。有るとすれば、

 ドイツ人(80+80ドル)+私(35ドル)=195ドル
 で、私だけ特する計算だ。

  私も代わって交渉してくれた運転手もこの事を承知していた。一時
 は、相手のタクシー・ドライバーも同意したが、
余りの非人間的要求
 に愛想尽かし、彼は約束を守らなかった。それでも、彼のほうが人間
 的だと思う。
35ドルといえば、この地方の人々の平均月収をはるか
 に超えているにもかかわらず、彼は35ドル放棄し人の道を選んだ。 

  私は、ハノイ行き夜行列車に乗った。私は70ドルでも100ドル
 でも構わない大金と、意地汚ない心を持った人間だ。深く反省した。

 

 ======

  ところで今日は晴天。太陽もある。旅する元気も出てきた。

  午後5時52分。列車の中。
  6人用個室に入った。前には2人のイギリス人女性が座っている。
 彼女達は美しくない。物売りが来る度に笑ったり怪訝な顔をする。
 思うと、私は他人の欠点を見つけることで自分を慰めようとしていた
 のか。

  午後10時、1番上のベッドからコンパートメントの電気を消す。


 ハノイ市内観光
                 
 1997 12 30(火)晴れ 

 ==◎今日の日程=======================
                   →05:30ハノイ
  ・ 国立美術館見学
  ・ 文廟見学
  ・ ホーチミン博物館見学
          ハノイ20:00(列車:ソフトシート)→
                             
車内泊
 ===============================

  朝から難しいことを考える。
  自分が何をしたいのか、何ができるのかを何回も問い返さなければ
 ならない。チャンスは次々に去っていく。チャンスは自分で作るもの
 であることを分かっていても、過ぎ去るものも多い。しかし、それは
 自分が強く望まなかったからであり、悔やむ必要はない。結果として
 つまらないものが残っても、それだけの選択肢しかなかったと考えよ
 う。また、運も自分で作るものであり、自分自身である。

  午前5時半、ハノイA駅着。

  坂本さんとB駅まで歩く。構内で時間をつぶそうという訳だ。そこ
 で、黒人イギリス女性がコカコーラをくれた。礼を言って飲んだ。何
 か話しかけるべきだったが黙って飲んだ。マナーが悪いと思った。ハ
 ノイは暑く汗が出た。
  荷物を詰め直してみるとサパで買ったお土産を車内に忘れてきたこ
 とに気付いた。がっかりしが、再び身軽になったので良かったと思う。
 物欲に囚われてはいけない。

  坂本さんがトイレから返ってくると怒っていた。2000ドンも取
 られたと言う。場所を教えてもらい、私も行く。だけど、金は払わな
 いつもりだ。もともとトイレは無料なのだから。私はサンダルをペタ
 ペタやりながらトイレに向かった。入り口の人と目が合ったらおしま
 いだ。異国人であることがばれてしまう。なんとか用をたす。後は脱
 出するだけだ。ペタペタ音をたてて外に出る。ここで水飛沫が掛かっ
 てはならない。無事ベンチに戻り、私は自慢げに報告した。また1歩
 ベトナム人に近づいたと。

  6時半。
  街が明るくなってきた。私達は駅前のホテルにチェックインした。
 今夜8時の夜行で出発するから安くしてくれと頼んだが無理だった。
 ツイン、バス無しで7ドル。

  7時。
  夜行寝台の切符を買うため駅に戻る。しかし、硬座と軟座しか無い
 と言う。寝台は売り切れなのだ。がーん。私は『フエ』までの14時
 間座ることになった。

  8時半。
  シャワーを浴び、ひと寝入りしてから坂本さんと出発。うまいフォ
 ーを喰う。彼は、これを食べるためだけにベトナムに来てもよいと言
 うが私も同感だ。

  それから別行動。
  私は自転車を借り、国立美術館に向かった。久しぶりの美術品に感
 動し、あっという間に2時間たった。正午、休憩のため追い出された。
  

(左:私の日記から、美
 術館でのスケッチ。16
 世紀の王様と家来。何回
 も描き直されており、そ
 の毎に技巧的に優れる。
 こんなスケッチを何枚も
 描いては時間を忘れる。)

  次に『文廟』に行く。ここは『昔の大学』と聞き、期待していたが
 良くない。また、1時からの民族音楽ショーを待っていると、係の女
 性に日本人かと聞かれた。はい、と答えると1ドルするけどよいかと
 聞くので、これもはいと答えた。演奏はまあまあ。しかし、1ドル払
 う必要はなかった。人々は『ドネイション(心付け)』と書かれた箱
 に思い思いの金額を投げ入れている。私は日本人であることを恥じた。
 日本人は、そのように見られているのだ。決して、彼等が悪い訳では
 ない。

  午後2時。
  ホーチミンが眠る博物館の前では2人の憲兵が直立不動の姿勢を保
 っていた。その前には、もう1人軍服の男がいる。私は一瞬躊躇した
 が、カメラを取り出し写真を撮ってもよいか聞いた。返事がないから
 良いのだろう。しかし、何やら言っている。どうやら、私の足が歩道
 にかかっていることが気に入らない様だ。その足を戻し、カメラのシ
 ャッターを押した。私は、あと何年間ホーチミンの墓を護衛するのだ
 ろうと考えた。100年か1000年か、まさか、1万年はないだろ
 う。そして、大空に翻る赤と黄のベトナム国旗を撮った。

  午後7時。宿に戻り、坂本さんとハノイ駅に向かう。
  彼とは別の車両に乗り込んだ。
  彼は寝台、私には無い(ソフト・シート)。

  午後8時。
  定刻通り夜行列車は出発した。長い夜の始まりだ。
  地元の人々との触れ合いは特になく、目を閉じた。

続きを、どうぞ!
私の日記
フエの王宮見学
12月31日(大晦日)

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