私の日記
フエの王宮見学
1997 12 31(水)晴れ
==◎今日の日程=======================
→09:30フエ
・ 王宮見学
・ 忘年会。年越しフォーを食べる
フエ泊
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ベトナムは西欧の暦が変わっても、何も変わらないようだ。国民の
休日(元日)が増えるだけ。私が期待していたようなお祭りはない。
逆に、気を付けないと銀行や店が休みになって困るだろう。
ホーチミンに住む人はホーチミンと言わない。サイゴンと言う。そ
れもそのはず、ホーチミン氏に占領されたのだから。南北統一という
よりは、、、。ホーチミン廟、博物館がハノイにあるのも当然だ。
7時42分。
もうすぐフエに着く。
私は今だに『フエ』を正しく発音できない。日本人にしか通用しな
い発音をしている。悲しい。あるいは、それだけ心が沈んでいるから
か。
フエ駅に着くと、阪本さん、村上さんとシクロに乗って街の中心に
向かう。1件目のホテルは部屋が湿っぽいのでキャンセル。2件目は
平屋作りで清潔な部屋だった。
シャワーを浴び、自転車を借りる。
私は48時間契約をした。
今晩、大晦日の行事をチェックしたいからだ。
3人で自転車をこぎ、王宮付近の食堂にはいる。
日本語の客引きもいる。
フエの名物料理『お好み焼き』を注文すると、何と、隣の店で作っ
たものを持って来た。こうなると代金5000ドンも旅行者用だろう。
味はまあまあ。
王宮に着いた。
55000ドン(550円)払って入場。しかし、中には何もない。
私は早々に見切りをつけて小さな屋根付き建物へ逃げ込んだ。ここは
とても暑い。ごろんと横になると王様気分だ。2人の友達は散策に出
かけてしまった。私は、まだ10分の1も見ていないが十分である。
目を閉じて、フエの王朝時代を感じる。ひんやりとした床。緩やかな
風。この木陰の外は、強い日差しが待っている。人民はその暑さの中
で働いたのだろう。しかし、私は王宮のほぼ中央に寝そべり午睡を楽
しむ。まさに王様気分だ。
(写真上:王宮内で写す。この背景が一番い感じ。ねっ、何もないで
しょ。あっても新品や再建中だったりして、日本の古い建造物を見
慣れた日本人には物足りないと思う。)
(写真上:王宮内の壁の装飾。緑色のガラス片を壁に埋め込んでいる。
ビール瓶のようだ。この他にも、さまざまな色の陶片が見られた。
アイデア、デザイン共に魅力的だった。)
王宮を出ると、村上さんと郊外へサイクリング。
とても気持ち良く、
「ベトナムだー。」
と叫んでもいい。王宮内は観光しているようで、私に似合わない。
(写真上:フエのゲームセンターで撮る。懐かしいインベーダーも
ある。モニターは普通の中古テレビで、メーカーも大きさも型番
も違う。私はとてもハッピーな気分になる。午後6時。)
宿に戻ると、阪本さんの部屋にたくさんの日本人がいる。
みんなで忘年会をすることになった。
(写真上:1次会の後で写す。右下の写真は、写真中央の加
藤さんに送ってもらった。ありがとう。)
そして、2次会で年越しフォーを食べる。
カウントダウン。
「乾杯!」
「新年おめでとう!」
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3次会まで行きました。
地酒を呑む。
・ 焼 酎、、、、、、、、、ううう
・ 薬みたいな黄色い酒、、、まずい
・ 甘酒みたいな白い酒、、、とても旨い
何と、合計20000ドン払った。
新年ということで、サービスしておこう。
フエの校外を走る
1998 01 01(木)晴れ
==◎今日の日程=======================
・ トゥドゥックトォム見学
・ ティエンムー寺見学
フエ泊
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午前8時半。
同室の村上さんは早朝6時発『DMZツアー』に参加していない。
私はのそのそシャワーを浴びて、またベットに潜り込む。
10時。
起きることにする。
私は、自転車に乗ってどんどん走った。暑いような気もするが暑く
ない。斜面をノーブレーキで駆け降りるのは気持ちよい。途中でイギ
リス人のディビットに出会った。彼とは半日、一緒に行動することに
なった。彼ははっきりとしたアクセントで喋るのでよく解る。アメリ
カ英語より良い。私の発音やアクセントはまだまだ曖昧だなと感じる。
トゥドゥックトォムに着いた。
ディビットは入場料55000ドンが高いと、売り場のおねいちゃ
んに噛みついている。どうにもならんと分かっているのにやっている
から面白い。ちなみにベトナム人は5000ドン。
中に入ると日本人の団体が一杯いる。ラッキー。彼等のガイドの説
明を聞く。時々質問する。図々しい奴だ。それをディビットに通訳す
る。とにかく日本の団体さんはたくさんいる。
2時になっていた。
ディビットと私はティエンムー寺に向かった。
|
ここにも日本人がたくさ 小1時間するとディビッ |
午後6時。
右手にフォン川の日没を見ながら自転車をこぐ。
ホテルに着くと、村上さん加藤さんが待っていた。私がディビット
との約束を告げ一緒に行くことになった。しかし、ディビットと我々
の趣味は違う。彼はビートの効いた音楽の店に入った。そこには彼の
友達がいた。私も知っている西洋人だ。しかし、日本人はローカルな
『ジモPーな』店が好きなのである。私達は席について早々、店を出
ることにした。
ドンバ市場を徘徊し、飯を喰う。
1000ドンの揚げ物、1000ドンの肉饅を喰う。高い値段を言
われるので頭に来る。それから、美味しいフランスパンのサンドウィ
チを地元民価格(2000ドン)で食べた。今思い出してもよだれが
出る。
車窓を楽しむ
1998 01 02(金)晴れ
==◎今日の日程=======================
フエ09:00(列車:ソフト寝台)→
・ 車窓を楽しむ
車内泊
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朝6時半起床。
朝食に出発。
街をぶらぶらしながら、適当なものをつまみたい。
まず、少女と父親の作る『スナック入り冷麺』、別の店で暖かい『
フォー』を食べ大満足。満腹になった私は、カフェでブラックコーヒ
ーを飲む。周りには、苦みばしった顔のおやじ達。木の葉の滴がダン
ヒル(煙草)に落ちた。そんな事、誰も気にしていないようだ。朝日
に映える煙草の煙はとても印象深かい。
8時。
村上さんに別れを告げフエ駅に向かう。
シクロの少年は100円玉を私に見せ、
「5000ドンと換えて欲しい。」
と言った。私は50円得した計算になるが変な気分だ。日本円は趣味
として持つに足りないのか。あるいは少年の生活が苦しいのか。
(シクロ代:4000ドン、40円)
フエ駅では、アオザイを着た女が待っていた。2日前、私の代わり
にチケットを購入してもらうため、100000ドンを渡しておいた
女だ。この時、私には他の方法が無かった。女は、
「ソフト寝台(1120000ドン)なら有る。」
と言う。この外国人料金は飛行機より高い。私は不足分を支払った。
他に方法が無かったのだ。
9時。
予定時間通りに列車が入ってきた。アオザイの女は私を寝台車へ
と導いた。まだ、チケットをもらっていない。彼女は友達の車掌に
紹介すると、チケットは彼に貰えと言って帰った。私は、彼も彼女
も立場を利用して不当な金銭を得ていると直感したが、為すべきこ
とはない。私は正規の料金を払って、誰からも通用するチケットを
手に入れるのだ。彼等は免許をもった公務員であり、彼等のモラル
に頼るしかない。モラルの無い人間は日本にもたくさんいる。だた、
日本の場合は巧妙に隠されていて私の目に触れ難いに過ぎない。
また、ベトナム政府のモラルと人民のそれ、あるいは、日本政府
のそれと比較した場合、私は返答に困る。
私のコンパートメントは4人用で、中には若い3人の女性がいた。
ベトナム語フレーズ・ブックを読んでいると彼女の方から話しか
けてきた。名前はハン(写真左)。さすがソフトシートの乗客だけ
あって上品だ。真新しいジーパンも珍しい。
片言英語の会話が続く。
昼食が運ばれてきた。
あっという間に2時間半が過ぎた。
(写真上:車窓にはベトナムの緑がいっぱいに広がる。手前には
バナナが見える。)
12時半。
眠くなってきて寝た。
14時25分。
起床。彼女達もすやすや寝ている。私はカメラと紙と鉛筆を持っ
てコンパートメントを出た。
15:26 青い青い湖が、畑に続く。
湖には小舟が、しかし、
馬が泳いでいても不思議でない村。
緑と水の国。
土をアヒルと水牛と
15:29 湖を土砂で仕切って畑を作る。
今はまだ、水畑。
何週間か後には、
立派な畑になるのだろう。
15:33 海だ。青い海が見える。
15:45 陽が傾いて、
椰子の葉陰が伸びる。
15:46 煉瓦でできた井戸が死者の墓を連想させる。
2人の少年が畑に水をやる。
呼吸を合わせ、1つの篭を生き物のように操る。
長いロープにつけれらた篭が宙を舞う。
長縄跳びのようにリズミカルに。
15:54 畑というより底無し沼だ。
あるいは、絶対歩きたくない湿地帯。
15:56 音の無い踏切。
青と白の制服姿の学生が、私を乗せた列車にさえぎ
られて立ち止まる。
彼の顔は暑い日差しの中に見えない。
彼女かもしれない。
15:58 真青な河を渡る。
白さぎの大群が鉄橋から逃げ出すように飛び立った。
どんどん小さくなっていく。
西には太陽も見える。
16:02 水牛は私と目があったのだろうか。
3匹の犬は1列になって家路を急ぐ。
16:07 ぜぜぜ。ぜぜぜ。
変な音がすると思っていたら、
虫かなあ。
草むらから音がする。
夏なんだか冬なんだか、良く分かんないよ。
16:09 ご婦人が井戸水を汲んでいる。
深さは1メートルもない。
16:10 原色オレンジに塗られた家の壁がまぶしい。
ローカルバスは悲惨だなあ。
窓から顔と手が何本も出る。
その全てがオレンジ色に輝いている。
16:13 私は立って背伸びをした。
もう2時間も車窓を眺めている。
16:15 うわあ。
一面の緑、黄緑、緑、黄緑。
どちらにしようかな。
完璧な単一色が広がった。
16:19 計画を立てよう。
私をリードする計画を立てよう。
そして、計画をいう列車に乗って旅をしよう。
16:22 カメラマンになろう!
私はスチル・カメラとビデオ・カメラを持っている。
16:26 椰子の木があぜ道と、、、
16:32 駄目だ。
カメラを持つと内容より、その視覚的効果に囚われ
てしまう自分がいる。
16:56 カメラの電源を切る。
「迷うのは止めよう!」
自分の初めに決めたことを押し通せ。
困難か安易であるかは問題でない。
16:58 さっきまであった太陽が、山に隠れる。
今日はもう、おしまいだ。
17:00 グリーンのフィールドが広がる川を越える。
17:02 陽に力が無い。
犬が走る。
17:03 GA BIEN DIEN通過。
サイドを換えて西日を見る。
17:06 曲がりくねった河岸を人が行く。
河幅は広い。
17:07 夕食の時間。
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夕食を食ったら、思いっきり眠くなってきたので寝る。
老人になると眠る時間が多くなる。お喋りをする相手がいなくな
るから、あるいは、SEXに対する欲求が低下するから。
90分して起きる。
体のリズムがよい。
ベトナムで私が過ごせる時間は、あと54時間。
54=1(計画)+34(活動)+16(睡眠)
で行こう。
飯は6回食える。
金は48000ドンしかない。100ドル両替しよう。
メコン・デルタに行こう! 1月3日 |