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私の日記 8月1日(晴れ)
==◎ドゴン・トレッキング 5日目===========
DOUROU→ NOMBORI
・ 集中豪雨にあう
ノンボリ村泊
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夜の天気; 曇
0時を過ぎた頃からだろうか。分厚い1層の雲が空を覆った
強風で目覚めると喉ががらがらだった。風邪の症状が出た
コケコッコー
1番鶏のあとに続いて、
あちらこちらからコケコッコーが聞こえる
時計を見ると午前3時
これじゃあ鶏じゃないよ!
犬の遠吠えだよ
寝袋に潜り込む
6時
曇りと言えども明るくなった
トイレに行き水を飲む
朝食のミレット揚げ(初体験)は油が古い
それでも食べる
良く分からない酸味がする
腐ってる?
コーヒーは砂糖をたっぷり入れて2杯
9時50分、出発
曇りなので歩きやすい
おやー?
怪しい雲
まだ20分も歩いていないのに
私はザックに雨除けを着けた
(写真上:向こうから黒い雲が近づいてくる)
ここには写ってないが左右に前線が見える
また、ザックカバー(青)を持っていたのは私だけで、
後の豪雨で、皆さんの中身はべたべた。衣類も例外で
はない
10時40分
ノンボリ村まであと1キロの地点、ちょうど崖を降り始めたとこ
ろで土砂降りとなる。岩陰に隠れて雨宿り。しかし、10分もす
ると寒くてどうにもならぬ。ザックから服を取り出し、ズボンは
脱ぐ。ゴアテックスを上下とも着た。暖かい。
岩はああやって削られていくんだなと納得する
降りてきた石段は、今や激流と化し
あんなとこ、岩と落ちちゃう!
断崖のあちこちから水が滝のように流れ落ちる
ヨーランの言葉『自然の畏れを感じた』を思いだす
まさに自然を前に成す術無し
4、50分待った
2人のポーターと下に降りていくと他の人が歌で迎えてくれた
私は踊った
その時は、再出発の喜びでお調子に乗っていたが、下で待ってい
た人達は寒さを紛らわすために歌っていただけだった。歓迎の歌
ではない。
※ 後日聞いた話では、同行のホーランド女性1人が高熱のため
緊急帰国
小雨の中、進む
小さな川が行く手を阻む
雨がなければ川じゃないだろう
男達が腿まで浸かり貴子を『たらい回し』渡し
はい、
はい、
はい、
はい、
はい
あっという間に回したのは彼女の体重ではなく、激流が原因
と思う
寒さに震えながらゴー
注意:私は全然寒くない(ゴアテックスだもん)
ただしサンダル/長ズボンべたべた/パンツはキープ
次の川が超えられない
今度は本物だ
岩を投げる→ ダメ
枯れ木 → ダメ
手をつなぐ→ ダメ
幅2メートルなのに、、、
元気な私はポーターと上流を調べに行く
ダメだ
引き返す途中、一緒に来た外人パーティーが、さっき超えた川
向こうを歩いてる
ドウロウに戻るの?
叫んでも届かない
アレックスの所に戻ると、
彼は『近くの小さな村で待とう』と提案した
大賛成!
小雨の中、1.5キロの道を歩く
川向こう500メートルにノンボリ村が見える
小さな村
村長は暖かく迎えてくれた
はじめ汚い山羊小屋に通されたが
すぐ、別の部屋を掃除し招き入れてくれた
全部着替えて時計を見る
14時
4時間さまよっていた
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寝袋に入って寝る
復活!
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15時半、
村長から1皿のピーナツの差し入れ
少年ポーターから何杯もアフリカンティーをもらう
アレックスも来て、
ここで、チキンスパゲティーにしようと言う
大賛成!
(写真上:復活した日本人2人とアレックス、そして、スパ5人分)
わーい、チキンスパ
アレックスは料理上手で味がよい
食後にアフリカンティー
16:55発
川の水量が減ってきている
膝までになった
ドウロウ村に戻った人達は選択ミスだ
それも重大ミス
ノンボリ村
5分で着いた
ここは景色の良い、清潔で感じの良い村
お腹は空いてないけどスパゲティーを一杯食べる
紅茶といえばリプトン
コーヒーといえばネスカフェ
アフリカンティーといえば中国産リーフ(葉)
うーむ
アレックスによると
中国は全てのコピー商品(安物)を作っているそうだ
しかし、アフリカ茶は中国葉で良いそうである
よく分からん
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夜、
雨が降り出しそうなので室内で寝る
高さ1メートル、ゴザ付きの立派なベット
(そう見えた)
続きをどうぞ!
(以下余白)