このページは、旅行記インドネシア2000夏です

  私の日記
          

  8月2日               
  ◎ タナトラジャ7日目 ==============
  午前:
結婚式見学(場所不明 
  午前:
ランテパオ(パロポ経由)→ その北約20kmの村 
                      ソラの実家泊

  ==========================

  7時起床。今日は、これまでで1番雲が厚い。結婚式があると
  いうけど、雨が、。気の毒なのは新郎新婦とその家族だけど、
  その気の毒さも含めて見学?!

  さて、午前中は教会でやるそうだから、晴れますように。

  8時朝食。朝からナシゴレン(炒めご飯、写真下)。海老煎餅、
  目玉焼き、ゆでた鶏が乗っている。5000ルピー(70円)。昨
  夜と同じ店、WR. TRISNO(ワルーン・トリスノ)にて。

  

  9時にソラが来て出発。ブル村、それから北東へ20分。そこか
  らは歩くそうだ。

  まず、『とある村(写真下)』と訪ねる。入村料3000ルピーを
  取られたから、観光客用の村である。全然興味ないけど連れられ
  て入ってしまう。コウモリがたくさん住んでいる。それだけの話。

  

  ===

  結婚式を行う村に来た。

  名前は知らない。教えてくれたけど忘れてしまった。会場の
  周りでは料理(パピヨン)を作って雰囲気が盛り上がってき
  ているけど、私は不機嫌である。何故なら、今ごろ新郎新婦
  は町の教会で「現代的」な結婚式をしているから。私は、そ
  れを見たかったのに、ソラが直接この村に連れてきたから。
  ちゃんと、行きたいと行ったのに、、、
  
  (上:パピヨンを作る男達)

  会場にトラディショナル衣装の女が登場。早速、さりげなく
  写してみる。(写真下、後は観客席)

  
  
 (写真上:行列は民族衣装の男、女、子供に先導され、
     新郎新婦、その家族へと続く。)

  さて、気になる新婦はホーランド人。数年前、観光旅行に
  来たときの男(ガイド)と結婚するらしい。
その男性は、
  ソラの友達。31歳。

  それで、結婚後、新婦はトラジャに住むというので、新郎
  の家族は大喜びだけど(金銭的なことを言えば、新婦の月
  給で豪華『新居』を土地、庭、畑付きで建てることができ
  る。また、同様の金額で水牛10頭を買うことができる。)
  一方、新婦の親戚・家族は大変である。この式に参列する
  ため10数人が飛行機でやってきたけど、何人かは顔が引
  きつっている。だって、足元だけ見てもこうだ。どろどろ
  ペチャペチャの地面を裸足、あるいは、サンダルで歩いて
  いるんだから。

  
  (上:警察官の立会で誓約書にサインする新郎新婦)

  私は2人の幸せを祈るしかないけど、どんなもんか見に来
  た普通の西洋人達は大変だ。さらに、結婚後の土地や建物
  の権利は、新婦(インドネシア人じゃない)には一切無い
  ことを知ったら、さらに凄い問題になるんじゃないかと心
  配になる。

  さて、長いスピーチが終わり、食事が始まった。
  

  
  
  食事はバイキングで、我先にと争うのは世界共通。それから、
  意外、といっては失礼だけど大変おいしい。世界に通用する。
  ローストビーフ、生野菜、野菜のあえもの、チキン、スープ
  など10種類ほどあった。水は200mlのミネラルウオーター。

  ダンスが始まった。
  プロのダンサー(2組)をよんでいるらしい。

  
  

  太鼓を鳴らしているのは、そこらへんの少年やおばさんだ。
  たぶん、ふだん踊っている踊りだと思う。だから、みんな
  やりたがるんだと思う。

  
  (上:かわいいダンサーを写してしまった。)

  1人のダンサーが太鼓に登り、腰を曲げたり、手をひらひら
  させて盛り上がる(写真下)。
  

  こうした踊りを見るのは地元の人にとっても、ある程度珍しい
  ものかもしれない。少女や老婆の瞳が輝いていた(写真下)。
  

  家族の母親が「娘」の頭に現金をはさむ(写真下)。小さな娘は
  民族衣装を着て、緊張して踊っていた。
  

  最後に、新婦が出てきて謝辞を述べて終ってしまった(写真下)。
  彼は頑張ってトラジャ語でスピーチしていた。とってもいい感じ
  のお父さんだった。

  それから、もっと盛り上がるかなと思っていたら、ちょっと踊っ
  てあっさり終了。「なーんだ。」夜通しじゃないんだ。

 

  ===
  ===

  それから、ソラの実家にむかった。今晩泊めてもらうのだ。
  いくつかの擦れ違いはあったけど、私は彼を気に入っている。
  それに、彼の若い奥さんにも会ってみたい。彼ぐらいの収入
  のトラジャの人々の生活を垣間見てみたい。

    ベモ(乗合いタクシー)を3回乗り継いだ。

  18.00 着。
  辺りは真っ暗になっていた。

  広い土間に通され、大きいけど古いソファーに座った。
  お父さん、お母さんと握手したけど、とても良い感じの人だ
  った。

  奥さんがコーヒーを持ってきた。小さくかわいい人で、英語
  を話すことができる。だから、ソラに散々注意されていた。
  「ランテパオの事は秘密だぞ!」
  「さもないと奥さんに殺される。」
  
  21才の弟は、入り口に近い部屋で、友達と一緒にハードな
  音楽を聞いていた。

  

  食事が来た(写真上)。
  ゴザをひいて食べる。

  ソラも私も「うまいうまい。」と言って食べるけど、それほど
  旨いものではない。本当に小さな魚。それと野菜。それだけ。
  それでも、魚はスペシャルだから、小さな小さな小骨を取りな
  らが丁寧に食べた。「もう1つどうぞ!」と言われたけど遠慮
  した。私は、いつでも食べることができる。

  ところで、写真に写っている人々を紹介しよう。左から、ソラ
  奥さん、2人の赤ちゃん、ソラの母親、父親、そして、私。

    ===

    21時頃だと思う。
    外を散歩した。

    舗装道路をあるいた。
    畑とブッシュはあるけど、裏道はない。
    ホタルが飛んでいた。

  帰ってきてから蚊帳を吊り、寝た。
  トイレはない。
  

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私の日記 8月3日

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