このページは、旅行記インドネシア2000夏です |
私の日記
7月27日
◎ タナトラジャ初日 ===============
午前: 葬式見学 <水牛の生贄> シグントゥ村
午後: バトゥ・トゥモンガ村トレキング
バトゥ・トゥモンガ村泊
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7.00 起床。
向かいの部屋にはイザベルがいるけど放っておいて散策。
<補 足>
イザベルは「裁判官」と自己紹介したけど、旅人としては
いま1つ。だいたい、わたしの事を「怪しい」と思ってい
るらしいが、人を見抜けないようではダメ。私は「彼女と
行動すると時間を無駄にする」と判決を下した。
赤飯を食べ、ツーリスト・インフォメーションセンターで
情報を得て上機嫌。
それから、立派なホテルの部屋を見て値切って(140000
ルピーを半額)、ほくほくして帰ってきた。が、ここ『ウイ
スマ・ウイサタ』の奥さんは主人と違い、英語を流暢に話す
ことを発見。さらに、出入りのガイド「ソラ」も上手なので、
ここで骨を埋めることにした。ガイドも彼に決定だ!
そうこうしているうちに8時半。
さっそく、ソラと『お葬式』見学に出発する。細かいこと
は抜きにして、とにかく出動。場所はベモを2本乗り継い
で(うまくいけば)30分の距離にあるシグントゥ村。勿
論、イザベルとはバイバイ(まだ部屋で寝ている)。
===
10.00 シグントゥ村着
(上:トラジャの典型的な家屋。その間に殺された水牛が、
、、)
<解説:牛>
・ 水牛の値段は1匹300〜600万ルピー(8万円)で、大
きいほど、また、「白黒」のものが高価。
・ この家族は5年かけて費用を稼いだ。(9頭)
・ 親戚が持ってきたのけど、後日同じ数だけ「お返し」
する。
・ 記録では100頭の葬式あり。
<解説:家屋>
屋根の形は『船』をイメージしている。何でも、トラジ
ャの人々は昔、ユーラシア大陸から渡ってきたそうである。
日本人と同じ「エイジアン・レイス」なのだ。
===
(上:解体を葉っぱの上で始めた。皮を剥ぐと、白い脂肪が
表れる。美しいものである。)
(上:肉を適当な大きさに切る。私には適当にしか見えない
けど、専門家なら「ロース」とか「ヒレ」って分かる
んだろうな。)
それで、
昼飯はひどいものを喰った。それは豚(水牛ではない!)を
煮たもので、味付けは『塩』と『チリ』。本当はそれだけで
も美味しいんだけど、脂身の部分ばかり。
許せん! ギトギト
<解説>肉を煮込んだ場合、脂が溶け出すのは当然。で、熱
いうちは湯に溶け「透明」でわからんけど、冷めるとギトン
ギトン。それは拭き取れないので、床などに擦りつける。口
の中は、どうにもならん!
もう!、
煙草1カートン(40000ルピー)プレゼントしたのに、こ
の仕打ち。なのに、さらに4000ルピーもするビスケットを
あげてしまった私はよほどの「お人好し」である。
(上:水牛の小腸)
(上:胃袋の内壁。柔突起がいっぱい。緑色になって
いるのは、草の葉緑体だと思う。)
===
ということで宿に帰ってきた。
だけど、ソラが頻りに勧めるので、たてつづけにバトゥ・
トゥモンガ村トレッキングをすることになった。
14.00 出 発
荷物は奥さんに預かってもらった
途中の景色はまあまあ
だったけど忘れた。
ベモの乗り継ぎもまあまあ
料金は500ルピー+2500ルピーぐらい
(忘れた)
16.30 バトゥトゥモンガ村着
(上: ホテルから見た景色。)
(上: 虹が出てきた。)
(上: と思ったら雨。)
===
急にテンポが早くなってきた気がするけど、これでいい。だ
って、たらたらするのは、やっぱり性に合わないからね。そ
こで今はビールを2本飲んで、もう満足である。他にするこ
とはない。
(上:ソラと記念撮影)
(上:夕食。ほとんど喰ってしまったが、これは
『パピヨン』)
めっちゃ旨かった。バナナの皮で包んだ『鶏肉』『ココ
ナツ』『野菜』を竹筒に入れ、2時間かけて蒸したもの。
20000ルピー(250円)もする。
20.30 消 灯
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