このページは、旅行記インドネシア2000夏です |
私の日記
7月28日
◎ タナトラジャ2日目 ==============
午前: バトゥトゥモンガ(トレッキング)→ ブル
午後: 闘鶏見学(ブル村)
ランテパオ泊
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6.30 起床。朝日は見えたかも知れないけど、まあいい。
それにしても眼下に大きな村を見下ろすのは気持ちがよい。
特に、それに雲がかかっていたり、動いていたりするとよ
い。ところで、朝は起きたら掃除だ。目の前の大きな家は
廊下の掃除をしている。私は毛布を散らかしたままにした
が、大変良くない。窓を開けて空気を入れ替え、布団をた
たみ、顔を洗って「ねる事」から決別しなければならない。
とっても辛いけど、人にはタイミングというものがあって、
それを逃してはいけない。目が覚めたら起きる。起きたら、
寝ていたことによって汚れたものを自ら奇麗にする。それ
が次への出発になる。
(上:ホテルの食堂で。左から、ホテルの女の子、ソラ、私)
ソラは女の子とふざけあって「トラジャの人々は冗談が好き」
と言うけど、これは本当だ。いつも冗談ばかり言っている。
これは経済的に貧しいから言うのではなく、民族の性質だと
思う。
8.30 トレッキング開始 小さな村を訊ねながら、ラ
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(上:コーヒーの実。たくさん飲みました) |
(上:カカオの実。) |
黄色い外皮は石に叩きつけて割った。白いほにゃほにゃの部分
を食べる。ただし、その中の茶色の「カカオ(チョコレートの
原料)」は食べれません。また、コーヒーの実も食べれないの
に噛った。 ←まずい
(上: タウタウの前で記念撮影。)
一番奥の建物が『墓』。この大きさだと10人ぐらい入る。
その両脇にある人形を『タウタウ』と言うが、これは、実在
した酋長であったり偉大な女性であったりする。また、手前
の『屋根』は死者を運ぶための『船』で、葬式の後は朽ち果
てるまで放置される。だから、道を歩いていて、この形を発
見したら近くに墓があると考えてよい。
10.20 使われなくなった墓があったので中に入った。
→ 感想は「(匂いが)クサイ」。
(上:墓から出てくる著者。) (左:内部の壁は鉄製斧で削られている。3畳の広さを作るのに約1年。8万ルピー(10万円)) |
(上: 道端で出会った子供達。背景にトラジャの屋根が写っている)
(上: 同じ場所で、鶏をもったおじさんに出会った)
「なにするの?」
と訊ねたら闘鶏するっていうから、ついて行くことにする。だけ
ど、これは違法行為なので見つかると警察に捕まったり、賄賂を
払って見逃してもらう必要があるんだって。実際、ベモで移動中、
警官が検査にきたけど、彼は自分の懐におしこんで難なきを得た。
私は、鶏が騒ぐんじゃないかと心配したけど、さすがに手塩にか
けたニワトリさんだけあって静かにしていた。
(上: 大きな村を通過。稲穂もしっかり実っていた。)
(右: トラジャの教会) 注目して欲しいのは、突き 出した『船』の形の屋根と その軒下の『水牛』のハリ ボテ。トラジャの人々のた くましさを感じる。 |
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11.00 闘鶏(Cock Fighting)を見た。たくさん人が集
まっていて大変楽しい。だけど、バリでもそうだったけど、
ビデオを回しすぎている。一体何が楽しいのか、良いのか分
からなくなっている。カメラマンの目を失っている。かくな
る上は、もう適当にちょろちょろっと撮っておしまいにする
しかない。いろいろ歩き回って、結局得たものは、何でここ
にいるんだろう、とか、インドネシアのトラジャの人々はカ
メラやビデオに興味がないこと、外国人にも興味がないこと、
それよりお金を賭けることのほうが大切なこと。だって、
200000ルピーとか500000ルピーが飛び交っているんだか
ら、、、鶏は1000000ルピーで戦わせ、勝者がその金と鶏
をいただく。敗者に残されたのもは、切り落とされた片足(
ナイフがついている)だけだ。1000000ルピーはホテルで
働く知的な27歳青年の月給。しかし、その彼は、今の戦い
で負けた。(彼は、来月教会で結婚式を挙げるといっていた。)
(バリの人々とは全く違うということ)
(上:専門の男とが戦わせる)
だけど、どう見たって八百長だ。だって、手放すタイミング
が違うから、グサッとナイフで一撃で死んでしまう。地元
人もオーナーも分からないのだろうか!?
注意:勿論、長引く場合もあるし、引き分けもある。
(上:足につけれらるナイフ)
(上:鶏のオーナー)
頭にかわいいピンクのひらひらをつける。彼を『パペケ』
と言う。また、対戦相手は『パソコ』といいムギワラ帽子
をかぶっていた。
(上左:試合会場のまわりでは、1対1で賭けあう。) 「ペケペケ」「ソコソコ」の賭け声が試合を盛りあげる。試合中央 (写真には3人写っている)では、プロが素人相手に賭けている。 そして、八百長なんだけど、誰も文句を言わないのは何故なのか! 私には理解できない。(写真左:後は『米倉』) |
(上:試合場横で、対戦相手を見つける人々)
車座になって座り、互いのニワトリを手に取りながら重さや
様子を確かめ合う。1ヵ月分の給料を賭けるのだから、真剣
かつ、時間をかけて行う。
(上:試合場横で雑談する人々)
今日は相手が見つからず、明日にするのかもしれない。焦って
はいけない。明後日でもいいし、今年はやめてもいいんだから。
(上:女性が手にしているのは有名料理『パピヨン』)
これは、竹筒から出した「バナナの皮」に包まれた米。これを、
皮ごと包丁で切って、「はい、日本人さんどうぞ!!」と頂い
た。味は良好。観客席での一コマ。
(上:夕方になると漁師達が魚を売りに来た。)
勝った人は、ほくほく顔でお土産にするのだろう。
===
これは夕食のときに知ったことだが、闘鶏は葬式セレモニ
ーのあとに、墓にいれる前にやるんだそうだ。(ソラは「
レスト、レスト(休憩)。」と言っていたが、何日間も続
く長い葬式の休憩日なわけで、彼等にとっては重要でない
けど観光客にとっては同様に面白い。)
17.00 ほとんどのファイトが終って帰路につく。小雨が
降っていたので傘がわりにベチャ(箱付き自転車)に乗っ
たが、1.5kmでたったの1000ルピー(15円)。じーちゃ
んに、もう1000ルピーやろうと思ったけど、彼のほうか
ら「くれ!」と言ってきたのでやめてしまった。ああ、か
わいそうなじいちゃん!
18.30 今はシャワーを浴びて洗濯をしてバッテリー・チ
ャージをして満足である。今からソラと夕飯に行く。
続きをどうぞ!
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