このページは、旅行記ミャンマー2000冬です

  私の日記
          

  12月28日                (晴れ)
  ◎ バガン3日目 ======================
  午前: ニャンウー市場周辺の散策(宿の変更)
  午後: 自転車でふらふら
     ・ ニャウー村  ・ バガン遺跡
                            バガン泊3
  ===============================

  5:40 起 床
       昨晩のビールで、少々寝すぎ。
       暗い部屋で、Macと日記。 

  7:30 朝 食
       昨日と同じ。
       だけど、腹へってる分だけよし。

  8:30 出 動
       市場散策としては、遅すぎる。
       7時〜8時がベスト。

  バガンの市場
  バスがある。ヤンゴンから来たらしいような、違うような。現地の人
  が説明してくれるけど分からない(写真下)。
  

  (写真下:若いお母さんと赤ちゃんとお父さん?)
     赤ちゃんのホッペには、白のお化粧がしてある。お毋さんは髪に
     白の花飾り。「写真を撮らせてくれ。」と頼んだら、よろこんで
     ポーズをとってくれた。
  

  それから、
  屋台で麺を食べる。何も言わないと、日本人だと思って「チリ」や「パ
  クチ」などの香辛料を入れてくれない? 味は大変よい。
  50K(12円)。麺の種類を変えて、連続2杯いただいた。
  
  (上:江川さんに撮影して頂いた)

  
  (上:米からつくった細い麺。)
     スープは別にしてもらうこともできる。

    腹がふくれて細い路地をうろつくだけの戦闘意欲消失。

    港まで、太い道を走る。

    左手に見えるパゴダに立ち寄る。

  そのパゴタにて
  ミャンマー式の礼拝もおぼえて、賽銭もした。すると、そばにいた
  女が「ごーん」「かーん」と鐘を鳴らす。これは、「お祈りがおわ
  ったよー」という合図だそうだ。良いタイミング。私の他に誰もい
  ない。
  
  (上:金箔でこてこての仏像)
     クモの巣か「ほこり」か分からないけど、汚く頑丈な金網で
     保護されている。私は、金網の隙間にレンズを差し込み撮影
     した。
  
  
  (上:記念撮影)
  <ミャンマー式の礼拝>
  1 正座する
  2 両手を合わせ、親指を額にくっつける
   (ひっつける部位には、個人差があります)
  3 両手を床につける
  4 頭を床につける(尻は浮いてもよい)
  5 2〜4を3回くりかえす
  6 賽銭を入れる
  7 (鐘が鳴るはず)or 自分で鳴らす

  つい3日前までは、どんな神様がいようとお辞儀なんかしなかった
  けど、ここにきてするようになった。信じているからでも、仏教だ
  からでもない。

  ミャンマーに来たら、そこの食事をして、水をのみ、空気を吸って
  吐くように、礼拝すればよいと思ったからだ。初めは抵抗があるけ
  ど、そのうち慣れる。「宗教だって、慣れればいい」と感じるよう
  になってきた。パゴダを巡るなら、仏様にご挨拶ぐらいできなくち
  ゃ!

  ニャンウーの港
  再びペダルを漕ぐと、すぐに着いた。港だ。人がいる。当たり前。

  鳥取砂丘のようにたくさんの砂がある。砂漠みたい。洗濯をしたり
  水浴している人がいる。撮影したいけど、怒られないかなとドキド
  キしながら近づく。

  
  (上:海岸の右は女達のゾーンになっている。)

  
 (上:彼女は一度も顔を上げてくれなかった。奇麗に化粧してあるんだけ
    どなあ)  

  14:00 昼 食
  港のとある食堂に入った。ツーリストは入らない、いかにもローカル
  な店。チキンを頼んだら、親爺は隣の店に買いにいき、あげくの果て
  に「今日はありません。」と言って、魚が出て来たから相当である。

  たぶん、そこの店にある全てのメニューを出したのだろう。ブロッコ
  リーの煮物、トマトやたまねぎのサラダ、ピーナツの入った米、茶、
  食後のデザートであろう「胡麻etc」。そして、もらってきた魚。
  
  (上:クリックすると、そのレストランが出る)

  喰っているときは良かったんだけど、料金が酷い。500K!!
  300Kに値切ったけど、どう考えても150Kにしかならん。そ
  れに、さっきまで一緒に話をしていた若者は「じゃあ、お先に!」
  と言って先に帰ってしまうし、英語を堪能に話す少年だって、どん
  どん小さくなるし、、、まいったなあ、もお。
  「オッサン許さん!」

  初め店に入って座った時、うちわを持ち出して私を煽ぎ出したから
  「怪しい」とは思ったんだけど、しっかり料金をチェックしておけ
  ば良かった。きっと、外人からぼったくるのは初めてで、今まで友
  達から「もうかった、もうかった。」と散々耳の大きくなる話を聞
  かせれていたのだろう。

  ===

  14:30

  いい時間になってしまった。遺跡見学に行こう。今日でパガンとお
  別れだから、もしかしたら、もう2度と来ないから有名なところを
  見物しよう。

  アーナンダ寺院
  また来ちゃったよ。だけど、いい。ここだけは、もう1回来ても良
  い。奈良東大寺の法華堂(四月堂)みたいに、仏像が私を引き付け
  る。バックのガラスのきらきらもいいし、とってもゴージャスで嬉
  しくなる。たくさん寄進してしまった。
  
  (上:アーナンダ寺院で、1番ゴージャスな仏像)

  ザマヤンジー・パゴタ
  地図がよくないので、適当に走って出てきた大きなパゴタ。後から
  本で調べたら、未完成ながらバガンで1番大きいらしい。気になっ
  たのは、出入口が大小たくさんのレンガでふさがれていること。理
  由はわからない。

  
  (上:良い感じの仏像なんです。)

  
  (上:この2体の仏像の裏に、女性らしき人が寝ていた)

  
  (上:写真で見ると、男みたいだなあ。)

  
  (上:こんな太った人もいる。金箔や朱がアトランダムに。)

  ===

  15:20
  もう時間がない。
  もう1つ大きいパゴタを見たい。

  遠くに金色に輝く屋根が見える。
  2Kmぐらい先だろう。
  自転車を走らせる。

  パゴタを見るのは女を見るよう。美しいものなら、いつまででも見て
  いたいし、たくさんの人が訪れ、寄進し、その美しさを保つ。そうで
  なければ放置され、時間と共に朽ち果てる。

  しかし、その美しさは、決して建設当時のものであるとは限らない。
  何回も何回も修復されることで、表面だけでなく、精神的な内容も変
  わる。その時代に合わせて変化しなければ保てない。そうでなければ、
  誰も訪れない、死んだパゴタになる。

  日本人の傾向は「建設当時がよし」「渋いが好い」だけど、私は時代
  と共に変化する方が好きだ。日光東照宮のようにキラキラしているの
  も好きだけど、ミャンマーは、金を維持するために使わない。生きた
  信仰の対象として何回も修復し、新しくする。陳腐に見えても改築す
  る。保存や維持に重点をおき過ぎると、心は死んでしまい、寺院が「
  意味のない過去」になったり、「金」目的の観光資源になる。

  これは、女性も男性も同じで「保存・維持はダメ」と自転車のペダル
  を漕ぎなが考える。

  テン・マーガセ寺院
  この名前はあってるのか間違っているのか分からない。

  ここから夕焼けを撮った(下2枚)。
  

  

  

  帰り道、さっきの続きを考える。

  さて、男性から見た(女性としての)パゴタは、わずかな変化に驚い
  たり、感心したりする。例えば、屋根の先端のちゃらちゃらした金属
  部分に、金が使ってあるとか、赤い色をぬってあるとか、ほんとうに
  些細でいやになるけど、それぐらいの差しかないから、仕方ない。

  それをみて、「ほー」ともっともらしく納得したり感心したりするし
  ないの。こんなことなら、市場で歩いている女性を見ていた方が変化
  に富んでいるし面白い。声だってかけれるし、向こうから声をかけて
  くることもある。「プレゼント、プレゼント」「金くれ、金くれ」と
  言われるかもしれないけど、それでもライブ感があてって楽しい。

  あー、遺跡見物なんてやめだー!

  さて、こうなってくると一番大切なものは何だ? 

  異性でもない、家庭でもない、歴史でもない。

  母親かなあ。母子だけに成立する関係。いかなる人でも母親はいる。
  死んじゃったとしてもいる。父親は、その付属。その関係を保護した
  り金銭的に参加している。

  やっぱり、家庭ではない。一番大切なものは母子の関係。もちろん、
  父親がいたり祖父母がいたほうが安定はするだろうけど、、、

  私は、こうして異国の地をさまよっているけど、あついあついと自転
  車のペダルを漕ぐにつれて昔懐かしい土地を走っている感覚に襲われ
  る。別に、ここは何処だっていい。私はただ、ペダルを漕いで進むだ
  け。目的地はあるんだろうけど、そんなことより、今自分が何をして
  いるんだろうとか、大切なものは何なのだろうとか、本当にくだらな
  いことを考えている。

  19:00 夕 食

  23:00 消 灯

続きをどうぞ!

私の日記 12月29日

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