このページは、旅行記『中央アジア2001夏/taka』です

  私の日記   8月2日(木)  晴れ(37.3度C:14時)

  =<ブハラ3日目>===================
  早朝 ブハラ観光
  アルク城→ バラハウズ・モスク→ チャシュマ・アイユブ→ 
  コルホーズ・バザール→ イスマイール・サマニ廟→ アブドゥ
  ーラ・ハーン・メドレセ→ モダリ・ハーン・メドレセ
  午前・午後 執筆
  18.00ブハラ (バス)→ ヒバ
                            バス内泊
  ==============================

  5.56 起床
  6.00 朝の散歩
  予定より30分遅れだけど(ちょっと悪寒がするけど)元気よく出発だ!
  外気は27.9度Cで体調が良ければ、とてもいい感じだと思う。僕は風邪
  ぎみなので、リュックを前に担いで寒さをカバーして歩いている。

  アルク城 推薦度 **
  門が開いていたので入ってみたら「1000スム」と言われた。怪しい男だ
  ったので、「チケットをくれ」と言ったら、すかさず「ペンを貸せ」と言
  われた。結局、チケットだか何だかわからない印刷物に日付けと1000
  スムと書いた紙を渡された。ガイドブックを調べると850スムになってい
  るから、値段は適正だと思う。だけど、本に書いてあるような無気味な死
  刑囚の人形が見れないので残念無念。それでも、荒れ果てた城内から見る
  ブラハの街は、傲慢な政治で殺されたたくさんの人々の悲しみやうめき声、
  悲鳴、涙、血、痛みに耐える声が聞こえるようで、長い時間いることがで
  きなかった。それから、ここに入る前、高い城壁を見上げながら自由に飛
  んでいる鳩を見て、「私にも翼が欲しい」と思った。こんな感情を持った
  のは初めてだった。

  バラハウズ・モスク ***
  

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  チャシュマ・アイユブ 
  アンバランスな造型は美しいと思う(写真下)
  

  コルホーズ・バザール ***
  入り口をちょっと見ただけなんだけど、活気がある。大きい。
  ゆっくりしたかった。

  イスマイール・サマニ廟 **
  中央アジアで最古のイスラム建築であり、かつ、日干しレンガの組み合わ
  せが絶妙、かつ、写真を見る限り『いい感じ』なので期待していったら、、、
  期待が大き過ぎた(下:記念写真)
  

  アブドゥーラ・ハーンモダリ・ハーン・メドレセ *
  向かい合って立っています。ついでがあるなら、、、
 
  (上:左がアブドゥーラ・ハーン、右がモダリ・ハーン・メドレセ)

  ===

  8.10 帰宿
  8.11 風呂
  8.27 朝食
  9.30 朝寝
  ↓
  11.07 起床
  ブハラの印象は少し変わった。初めは眠くなるだけだったけど、今は楽しい街
  のような気がする。朝の散歩で市民の生活(市場)が見えてきたからだ。初め
  てみたブハラの『ラビ・ハウズ』は完成度の高い観光地であり、そこから始ま
  る散策では、100メートル歩く間に10人の子供に『飴(ボンボン)』や『ペン』
  をねだられた。そして、唯一ゆっくり食事ができそうな場所が、さっきの観光
  拠点?『ラビ・ハウズ』だから、眠くなるのもの当然だ。ちなみに、この池(
  ハウズ)の周りには3つレストランがあるけど、そのまん中のレストランが気
  に入った。お薦め料理は、ランゲット
(羊肉のテンプラ、ポテト、小さな豆、
  560スム)
とシャシリク(170スム/本、3本ぐらい頼むと良い)とビール
  (ブラオ、750スム。他に、プルサーという生ビール(500スム)があるけど
  不味くて出てくるまで10分以上待たされる)
である。

  14.11 ホテルのホールにて
  あれからがんばってMacを叩いている
  15.00になったら食事に行こうかな
  そして、16.30になったらバス停に移動

  18.00発『ヒバ』行きバスに乗りたい、と思っている

  17.10 タクシー乗車
  ・ バス乗り場まで
  ・ 500スム
  
  (上:ホテルの姉さんに案内してもらった)

  17.25 とある交差点着
  いきなり「ここかよっ!」って感じだけど、確かに交差点の看板には、

  17.54 とある交差点にて(写真下)
  
  『ヒバ』行きバスを待っている。街の情報では14.30発が変更になって、
  18.00になったということだけど、ここでの情報は、19.00、20.00、
  21.00、22.00になっている。また、ガイドブックには民営バス・
  ステーションと書いてけど、実際はブハラの北は数キロメートル
  にある交差点にすぎない。
  

  時は流れて、18.18

  一人で日記を書きたいんだけど、色々な人が集まってきて仕事にならな
  い。おかげでバスには乗れそうだけど、、、それから、このコンピュー
  ターの値段を聞くから「2000ドル」と答えたら、「それは、このレス
  トランの値段と同じだ。また、ウズベキスタンのコンピューターは500
  ドルで買える」とのこと。僕のコンピューターで店のオーナーになれる
  なんて夢のような話だ。また、私の持っていガイドブックにこの交差点
  の小さな写真があって、大いに盛り上がっている。それから、今度旅行
  に来る時は日本の写真を持ってこようと思う。だって、みなさん興味が
  あるらしいから。それから、僕の給料明細や支出明細書も興味ありそう
  だから、写真入りで紹介すると面白いと思う。お互いの情報交換が一番
  大切だからね。
  
  (上:このお店と私のコンピューターが同じ値段)
     冷水器の前に立っているのはのファルー(17才)
     英語が話せる唯一の地元民

  19.45 バスに乗る
  バスが来たので、「あれか?」と指しても違うと言われ、でも、予定時
  間を45分も過ぎて大型バスが何台も通過していくのでついにしびれを
  切らしはじめていた。そしたら、いきなり「taka、あれだ!」とおん
  ぼろバスを指差され、急いでパソコンをしまい、バスに走った。乗車口
  は人で溢れていたけど、汗臭い禿げた乗務員が「ツーリスト」と言って
  優先的に乗せてくれた。車中は、凄く暑くて満員で、たまらん。けど、
  他の上半身裸の乗務員が前から2列目の彼の横の席を分けてくれた。無
  茶嬉しい。バスが出発するころ、もう1台大型バスが止まって、そっち
  のほうが新しくて大きかったんだけど、今さら降りるわけにもいかなし、
  第一、そのバスが『サマルカンド』行きかも分からないし、満席である
  ことにも変わりはない。さて、バスは出発したが、上半身裸の男が3人
  もいるので「本当にイスラム世界なのか?」と思う。確かに暑いには暑
  いが、ちょっと女性に失礼な気もする。ゆらゆらバスに揺れながら、1
  番前の席には小学校に上がる前の子供が2人分の席を占領しているけど、
  どうやら彼は、一番偉い乗務員の初孫らしい。いいなあ初孫って。

  22.00 夕食
  バスが止まって夕食となる。がらがらだった食堂が人で溢れかえる。ま
  ずい飯だけど我慢して食べるしかない。私はチャイ(茶)しか頼まなか
  ったけど、人々の表情から分かる。

  運転手と乗務員の一団に招かれ、持参した西瓜とウォッカを御馳走にな
  った。非常にうまかった。とくに、ウォッカの銘柄はチンピョンといい、
  安くて旨いのだそうだ。後から色々な種類を試してみたけど、実際その
  通りだった。また、ウォッカは飲みたくなかったけど茶わん1杯を飲み
  干したお陰で、バスで眠ることができたと思う。ウォッカ様様である。

  22.45 バス出発
  やがて寝る。

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8月3日

 

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