このページは、旅行記『中央アジア2001夏/taka』です

  私の日記

  8月3日(金)  晴れ(14時半、クーラーをつけた室内:32.6度C)
  =<ヒバ世界遺産 初日>====================
  ブハラ (バス)→ 5.30ウルチンゲ(タクシー)→ ヒバ
  
夕方 ヒバ観光
  西門→ カタル・ミナレット→ クトゥル・ムラド・イナック・メドレ
  セ(貯水池)
  ・ タシュ・ハウリ宮殿(ハーレム)
  ・ ジェマ・モスク(柱が212本、10→18世紀の建築)
                             ヒバ泊1
  ===============================

  1.00 検 問
  熟睡していたので、周りの人が日本人観光客だと説明してくれていた。
  眠たい目を擦って、「ヤポーニャ」と笑った。そしたら、その返事が
  「パスポート」なので機嫌が悪くなる。まったく、気に入らない役人
  だ。暇つぶし、善良な市民いじめ、あるいは、美しい女性だけを選ん
  でバスの外で所持品検査。所要時間30分。バスはゲートを超えてか
  ら、囚われの身の人々を待っていた。

  3.00頃 また検問
  今回、私のパスポートはバスの外に持っていかれた。何も挟んでいな
  いのから安心だけど、変なスタンプが押されるのではないかと心配だ。
  所要時間15分

  3.30 また×2検問
  この数キロメートル区間は、鉱物採掘の現場なので、検問が厳しい。
  それにしても、生活するには不便な国だなあと思う。パスポートは同
  じように持っていかれ、ノートに何やらメモをしていた。所要時間1
  5分。

    パスポートを返してもらわないままバスが出発しそうになるので、
    「待ってくれー!」

  5.00 検 問
  今度も熟睡中に役人は通過していたが、何人か後から来たパジャマ姿
  の青年に「%”`&&#?」とか言われ、「ヤポーニャ」と答えたら、
  彼が一番偉い役人だった。20才にしか見えないから、親が重職につ
  いているのだろう。ボンボンってやつだ。彼は、目ざとく荷台にある
  『日本語ガイドブック』や『腕時計』を見て喜んでいた。「なんで、
  こんな奴の暇つぶしにつき合わなければいけないんだ。」

  5.30 ウルチンゲ着
  オビーが「この車に乗れ。一緒に行こう!」と誘うと、大きなロシア
  製タクシーに乗った。「えっ、これがオビーの車?」「すごい金持ち
  じゃん」と思ったら、大きな勘違いで、ただのタクシーだった。オビ
  ーは、数キロメートル走ったところにある集合住宅の前で降りると、
  「さよなら、taka」と言った。ほんの短い付き合いだったけど、とて
  もよい人だった。彼の両手には、空になったペットボトルを一杯に詰
  めた大きな米袋が4つぶら下がっていた。
  ・ タクシー3000スム(3ドル)
  
  6.00 ヒバ着
  6.40 ホテルにチェックイン
  カラ内にあるメドレセを改造したホテルに止まる予定だったけど、
  部屋を見せてもらったら狭いし、こんな時間なのに暑いし「やぁめ
  た。」となる。隣にあるホテルに決めた。
  ・ 2面窓のツイン
  ・ トイレ、シャワー
  ・ 朝食付き15ドル
  だけど、私の希望した部屋が「良い悪い」と従業員によって言うこ
  とが違うし、料金もまちまちだし、一旦は希望と違う部屋に入って
  みたり問題が多かった。

  8.00 朝食
  ホテルの朝食を2ドルにしてもらって、頂いたが旨いものではない。
  ・ ヨーグルト
  ・ フライドポテトと目玉焼き
  ・ フルーツ
  ・ ナッツ類

    それから軽〜く散歩してきました
  
  (上:自家用車に積んできた西瓜を二輪車で運ぶ親子)

  
     (上:朝市は始まったばかり。活気はない)

  9.00 朝寝
   ↓
  13.00 起床
  13.30 昼食
  やっぱりホテルの食堂だけど、、、

  14.30 ヒバ『イチャン・カラ』散策
  まさか、1番暑い時間に行動開始とは思わなかったけど、元気
  よくやらなきゃね。

  西門
    → カタル・ミナレット
       → クトゥル・ムラド・イナック・メドレセ
         (貯水池、写真下)
  

  → タシュ・ハウリ宮殿(ハーレム、写真下)
  
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  ・ ジェマ・モスク(柱が212本、10→18世紀の建築)
  
  (上:石の台に彫刻された木製柱が林立している)
     1本1本が個性を放ち、まるで仏像を見ているよう
     ここは世界屈指のイスラム建築である

  ・ トロント・バズール(イャンカラの外、北側)
  

  (上:ドームの中に貯水池ある)
     期待して行ったけど、ご覧の通りである

  
  (上:日没直後のインチャンカラを歩く)

  20.30 夕食
  イチャン・カラ内にある比較的大きなレストラン

  <メニュー>
  ・ ビール2本
  (タシケントビール500スム、ロシア製の一番高いビール2000スム)
  ・ シャシリク3本 600スム
  ・ サラダ 100スム

  
    そこで働いている青年とたくさん話をした
    ・ 7月に大学を卒業したばかりの21才
    ・ アメリカに移住したい
    ・ 来月の結婚は両親が決めた
    ・ 新婦はウルゲンチ(ヒバの近く)出身の17才
    ・ 新婦とは、数回しかあったことがない
    ・ たぶん幸せだと思う
    ・ 子供は2、3人欲しい
    ・ 新居はタシケントにする
    ・ 父親がヒバでレストランを経営している

  
  (上:昇る満月)

  
  (上:家路を急ぐ人々)

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→ 私の日記
8月4日

 

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